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芭蕉を読む

2018.02.19 13:50

http://kogumaza.jp/1508haikujihyuu.html  【芭蕉を読む】 より

                                矢 本 大 雪

困った時の芭蕉頼みである。時評に何を書くかを思いあぐねて、芭蕉の句をぺらぺらと辿っていた。初めの頃は相変わらず面白くない。しかし、なんと比喩作品が多いことに気付く。次のような句である。

   年や人にとられていつも若夷(寛文年代)

〈新年にとるべき年を、人に先にとられるから恵比寿様はいつまでも若々しい像のままでいられる。〉

   夕顔にみとるるや身もうかりひよん(寛文年代)

〈夕顔の花がほっかり夕闇の中に浮かんだような夕化粧した美人に見とれていて、身も浮かれ立ったようにぼんやりしてしまった。「夕顔」には夕化粧した美人の顔が隠されている発想である。これよりはやく万治二年(一六五九)刊の『鉋屑集』には「夕顔の花にこころやうかれひよん」(俊之)がある。〉

   影は天の下照る姫か月の顔(寛文年代)

〈月は、『玉兎』・『玉蟾ぎょくせん』・『桂男』などとも呼ばれるが、この地上に降り注ぐ光からすれば、まさに『天の下照る姫』の名こそふさわしいであろう。いかにも美しい月の顔だ。北村季吟の『山の井』に「望月の影に向ひては、天女の鬢鏡とも、山姫の姿見とも見なし…」と教えているような典型的な貞門風の見立てである。〉

   寝たる萩や容顔無礼花の顔(寛文年代)

〈萩が乱れ乱れて地に伏しているのは、美人が寝転んで脛を出しているような妖艶な姿である。容顔美麗というべきところだが、この姿では容顔無礼といった方がふさわしい。こういう擬人的発想の型は、芭蕉の仕えた藤堂蝉吟にも、「地をするは寝乱れ髪の柳哉」などが見られて、貞門の常套的な技巧である。〉

   萩の声こや秋風の口移し(寛文年代)

〈萩にさやさやと葉擦れの音が立ちはじめたが、これこそ秋風が口移しに伝授した秋の声である。芭蕉が指導を受けたと思われる北村季吟は『山之井』で、「桜は風にこたへて声のあなれば、秋風の口まね、定宿などもいひ…」と作り方を教え、「秋風の口まねするや萩の声」の例句を挙げている。『桜川』には「西風の口移しをや萩の声」(維舟)などと言う句も見られる。これを実践しただけの作である。〉

このように、初期(寛文年代)の頃の芭蕉は、まだ二十代の若さで、松尾宗房と号し貞門派の句集に入選することを目指していた。江戸にその名が知られるのは、延宝六年・三十五歳を過ぎたあたりからである。それまでは貞門派の、常套的な擬人法や比喩を踏襲していただけなのである。つまり、そのグループ内の表現の約束事に、縛られてしまっていたのである。それが、俳諧の発生ととらえれば、そういったグループ内でのみ通じる表現も意味があったのかもしれない。しかし、文芸として俳句を考えるならば、広がりを持たず、内へ内へと同一性をのみ求める表現の内向性はどんなものか。このままでは俳諧はついに俳句になれなかったのかもしれない。

ここには、定型の危機があった。ただ、蕉門派の出現でその危機はあからさまにされないまま、今日を迎えた。いや、松尾芭蕉の出現が、いかに今日の俳句にとって大きな意味を持っていたか。それ以後俳句は、自らに定型の危うさを問うこともなく現在に至った感がある。

談林俳諧や、貞門俳諧の俳諧味は、定型の中にある程度の規則性(言い過ぎだとすれば、紋切の型を)持ち込もうとしたことにある。そこには言葉遊びや、古典・漢詩からの引用も用いられ、最初は新鮮なはずだったのだが次第に(繰り返し用いられることで)陳腐なものになっていった。ただし、用いるものは入れ代わり立ち代わり替わるので、その陳腐さが特に目立つこともなかったようだ。

なにやら正岡子規以後の俳句には、全く無縁のこととも思われようが、果たしてそうだろうか。私はここにこそ、現在も俳句が抱えざるを得ない問題点があるような気がしてならない。確かに今は談林派も貞門派も存在しない。しかし、それに代わる絶対的な装置が俳句界に君臨している。それが『歳時記』である。たとえば「春暁」という季語がある。(あかつきは、夜が明けかかってはいるがまだ暗いころで、あれこれとものが見分けられ、かすかに夜が明けたころをあけぼのと言い、朝ぼらけとも言った。清少納言の「春は曙」がこの季語の背景にある。)が、その意であるが、春の朝とは言い換えられない、ある種の情緒をすでに醸し出して俳句では使用されている。

   春暁のものの香にある机かな      森  澄雄

   春暁やまだ一言ももの言はず      倉田 絋文

また「老鶯」という季語もある。春の季語「鶯」に比べ(夏になって鳴いている鶯を言い、夏が近づいて繁殖期にはいると、巣作りのために平地から山中へ入ってしまうことが多い。この頃の鶯を老鶯というのであるが、別に老いたわけではない。ただ、古人は鶯を春の季のものとし、夏に至ってまだなくその声を老いたるものと主観的にとらえた。)の意であるが、「老」の字をあてることで、特別な情感を付与している。

   老鶯や泪たまれば啼きにけり      三橋 鷹女

   夏鶯の悲願の遠音あるばかり      飯田 龍太

四句ほどあげたが、どの句も季語にかかる比重は大きい。いわば、季語が先にあって発想された句とも言えそうだ。

このように「歳時記」は、季語に過重な情緒を付加しようとする傾向がある。たとえば「夏の果」という季語には、夏終る、夏行く、夏惜しむ、夏の名残、等といった言い換えがあり、名残惜しさの演出が強い。まさに、名残惜しさの押し付けに、我々が唯々諾々と(いや、むしろ便利に)利用させてもらっている光景が見える。

はっきりと言おう。季語はとても便利である。季節感を伴う言葉を体系的にまとめたものとして便利すぎるといってもいい。しかし、そろそろ疑問を抱いてもいいのではなかろうか。

季語に付加された多大な情感を、もう一度自らの手で磨き直すことをすべきではなかろうか。

便利で、初心者も含めてだれでも句作ができる、といううさん臭さに、そろそろ疑問を持ってもいい。今、俳句界こぞって、歳時記派とでも呼ぶべき現象が起きていはしないか。もう

一度「季語に力を!」