大王対女帝12-普墺仏、戦争と外交
2021.02.20 11:19
デッティンゲンで勝利したオーストリア軍は、フランス軍を追いかけてロレーヌに迫った。指揮官はマリアの夫フランツの弟カールである、彼は故郷奪還に燃えている。これを見たプロイセン王フリードリヒ2世は、ここぞとばかりに1744年8月17日、ベーメン(ボヘミア)に侵攻した。
この名目は、自分達のかついだ皇帝カール9世を承認させ、欧州に平和をもたらす、ということである。いちいちへ理屈をつけるのがさすが哲人王。しかしそれをきいたカールの墺軍はベーメンへ急行する。さらにザクセンまで墺軍に味方して兵を出した。
プロイセンの頼みはフランスである。フランスは43年に摂政フルーリーが亡くなって、いよいよルイ15世の親政が始まった。しかしプロイセンの電撃作戦についていけるわけがない。ようやく王自らアルザスまで出兵するが、メスで病気にかかり重体となった。
実はこのとき愛妾のシャトールー侯爵夫人を連れていったのだが、世間にすこぶるウケが悪く、従軍司祭は病気快癒のためには彼女と別れて懺悔すべしと言った。背に腹は代えられぬと仏王は懺悔して別れて、病は回復するが、彼の女癖はそんなことで変わりはしない、次の愛妾が名高いポンパドゥール公爵夫人である。
下は映画「ポンパドゥール夫人」冒頭あざとい王との出会いのシーンがある