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「日曜小説」 マンホールの中で 4 第一章 7

2021.02.20 22:00


「日曜小説」 マンホールの中で 4

第一章 7


「ピンクの煙か」

 屋根の上で時田はつぶやいた。今までピンクの煙などは見たことがないし、聞いたことはない。しかし、例えばナトリウムを燃やすとオレンジ色に光るというように、炎色反応やその煙には何らかの成分が混ざることで、本来の色ではない色が出てくる。たばこの煙が「紫」であって白ではないというのは有名な話であり、それは煙草をまいている紙の中に延焼剤を含めた火薬が入っているからであり、その延焼剤の燃焼煙の色が紫なのである。

 では、ピンクの煙というのは何なのか。当然に見たこともないし聞いたこともないからよくわからない。しかし、間違いなく言えることは、そのピンクの煙が何らかの作用をして、幸宏といわれる若者はこのようになってしまったのに違いない。時田はそのように思ったのである。

「どうする」

 次郎吉は、指で信号を送った。明らかに足を怪我している幸三は、このまま放置すれば間違いなく幸宏に襲われる結果になる。もちろん、和人といわれる若者と二人で対抗すればこの場で食べられてしまうようなことはないであろう。それだからといって、このまま放置しておいてよいというものではないのである。

「放置しろ」

 時田は、やはり指でそのように信号を送った。次郎吉はもしかしたらまだそのピンクの煙についてわかっていないのかもしれない。次郎吉は、時田の指示に従って何も言わず屋根の上で様子を見ていた。

 幸宏は、目の前にある猫が息絶えたのを見ると、そのまま猫にかぶりついた。いつの間にこんなに力があったのか、猫の骨がボリボリと音を立てている。とてもまともな神経で見ていられる光景ではなかった。

「う、うあああ」

 和人は、声にならないうめきを発すると、何とか幸三を支えると、足を引きずる幸三を連れて後ろ向きに走った。

「な、何なんだあれ」

「でも幸宏だった」

「いや、幸宏じゃない。なにか、ゾンビ映画に出てくる何かだ」

「でも、この世にゾンビなんているわけないだろう」

 和人と幸三は、なにか会話にならない会話をしながら、痛めた足をかばいながら走った。

 幸宏といわれたゾンビのような男は、猫を平らげると、ニヤリと笑って、和人と幸三を追いかけ始めた。もちろん、ゾンビ映画のような歩き方ではなく、外見上は、普通の人間である。しかし、急いで追いかけているはずなのにまったく走ることをしない。ただ、休まないので、そのまままっすぐに歩くだけなのである。外見上は普通の人間が歩いているのと変わらない。遠目で見ればなんら変わらない。ただ幸宏の口の周りと着ている服が猫の地で不自然に赤く染まっていることを除けばである。

 幸三と和人も何とか逃げていた。しかし、足を痛めているので、逃げるにしても限界がある。次郎吉は助けてやらなければ、いや、和人や幸三など助ける義理はないのであるが、この二人がここで襲われてしまっては、郷田や正木の居場所がわからなくなってしまうと思い、そのままこの二人を助けるつもりで、近くにいた猫を捕まえると、幸宏の前に投げた。猫にはかわいそうであるが、しかし、こうするしか方法がない。

 ちょうど少し前に落ちた猫は、そのまま、幸宏の脇をすり抜けて幸宏の後ろに回った。幸宏は、猫を追いかける格好で、後ろに向くと、そのまま歩いて猫を追いかけた。猫は必死に逃げる。この猫のおかげで、和人と幸三は助かったようなものであった。

「た、助かった」

 少しは知って近くの公園のベンチに座った幸三は和人に笑顔を見せた。少し笑顔が歪んでいるのは、まだ足を痛めているからであろうか。

「ああ、しかしあれは何なんだ」

 和人は、少し離れたところで、温かい缶コーヒーを2つ買ってくると、一つを幸三に渡した。

「あの時・・・」

 次郎吉は、ベンチの裏手の茂みの中に隠れて話を聞いた。時田は次郎吉と別れて、幸宏を追いかけてたため、ここでは一人である。次郎吉も時田も、もしかしたら東山資金の隠し場所で彼らに顔を見られている可能性がある。実際に、和人や幸三も東山資金の所に来ていたのであるが、外で待たされていて、次郎吉や時田の顔は全く見ていなかったのであるが、それでも警戒に越したことはない。だいたい、先ほど仲間である幸宏のあのような姿を見てしまっていては、他の人もゾンビ化しているのではないかというような気がするであろう。深夜に人影を見れば、警戒されてしまう。そのために、茂みの中に隠れていなければならなかった。

「俺と和人は抜け穴の中に逃げ込んだじゃないか」

 幸三はそのように言った。この話の感じから、抜け穴というのは肥料工場から裏手の山の工場の社長の家に繋がる抜け穴であると思われる。

「ああ、警察にあそこまで攻め込まれたら、あそこに逃げるしかなかったじゃないか」

「そうだ。そしてあの抜け穴の入り口を閉じたはずなんだ」

「でも扉なんかなかったぞ」

「ああ、だからあの辺の荷物で塞いだんだ。そうでないと警察に捕まってしまうじゃないか」

 幸三は、少しため息交じりに言うと、缶コーヒーを飲んだ。

「そうしたら、郷田さんが出口の方を爆発して塞いでしまったんだ。その時に、俺は足をやっちまったんだが。」

 なるほど、と次郎吉は思った。郷田と正木は、自分たちだけ逃げるために和人たちを犠牲にしたのである。抜け道があるということを警察が知れば、どこかに逃げたということになる。そうすれば再度警察はメンツをかけて捜索を始める。そのためには、一時的にも死んだと思わせる必要があるのだ。身内を犠牲にするという状態になったのは、郷田もかなり追い詰められているということであろう。

「そうしたら表で爆発が」

「ああ、あの爆発は隆二が手榴弾を爆発させたんだ。いや、正確に言えば、手榴弾で警察を追い払おうとして、しくじったということなんだ」

「幸三は見ていたのか」

「ああ」

 また幸三はため息をついた。当然に仲間が爆死しているのであるから、思い出したくないであろう。

「幸宏は、あの時中まで入れなかったんだが、穴をふさいだ荷物の陰に隠れたはずなんだ。隆二も何発か投げたら、荷物の陰に隠れる予定だったんだ。しかししくじってしまって。そうしたら、あの爆発と同時にピンクの煙が出てきて、幸宏を包み込んだんだ」

「ピンクの煙。そんな煙見たことないよ」

 和人は笑い出した。

「笑うところじゃない。煙がピンクだったんだ。爆発で隆二は粉々になっちまうし、あの女も消えちゃっただろ。でも、幸宏は実はピンクの煙に包まれただけで怪我はなかったんだ。」

「幸三、それならなんで幸宏は俺たちと一緒に出てこなかったんだ」

 和人と幸三は、その後、抜け穴を開けて何とか裏山から出てきたようである。

「幸宏は、なぜか爆発した工場の方にそのまま向かっていったんだよ」

「そうだったのか」

 和人は驚いた。和人は穴をあけて逃げることで必死だったから幸宏や隆二のことは全くわからなかったのだ。しかし、幸三はその作業を手伝えなかったから、何もすることがなく、ただ幸宏の様子を見ていたのだ。そして、ピンクの煙に包まれてから、間違いなく幸宏はおかしくなっていたのである。信じたくはないが、あのピンクの煙が何らかの引き金になっているのだ。

「で、ピンクの煙って何なんだよ」

「よくわからない。でも、手榴弾であんなになるはずがない」

「農薬の肥料じゃないか」

 普通に考えればそうだ。化学肥料が多いので、何かが混ざったら、そんな色の煙になるのかもしれない。和人や幸三は、そんなに勉強のできる方ではなかったが、それくらいのことはわかった。もちろん、科学の薬品などの知識などは全くわからない。またわかろうというようなことも無かった。

「そうかもしれない。でも和人、もしかしたら東山の」

「東山の新兵器、いや、昔兵器か」

 その時、公園の外から猫の鳴き声がした。二人はそこで会話を止めてしまった。幸三は立ち上がって、逃げようとした。和人は慌てて幸三に肩を貸した。次郎吉にしてみればその鳴き声が時田の者であることはよくわかった。しかし、そのことは、この二人が予感しているように、幸宏がこの公園に来たことを意味している。

 次郎吉は慌てて鳥の鳴きまねをした。和人と幸三はその鳥の鳴き声にも驚き、慌てて立ち会があった。コーヒーの缶がベンチから転がり、そのまま土の中にコーヒーをしみこませていた。

「ゆ、幸宏」

 二人の視線の先には、首の周りを真っ赤に染めた幸宏がゆっくりと歩いてきた。そしてその幸宏の後ろには、見やこともない老人が二人、合わせて三人が異様な雰囲気で公園の中に入ってきたのである。次郎吉は音もたてずにすっと近くの木の上に身を隠した。