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yoyo

同じと感じるとき、違うと感じるとき

2021.02.21 14:09

久しぶりに千里線に乗る。淡路駅を通り過ぎるたび高架化が進んでいて、ビルの高さほどのどんとしたコンクリートがドミノのように増えていくほど、あの頃は過去になっていっていることを思い知らされる。

電車は墓列車の名残を残し高低差をうねうねと進んでいく、そのブレーキ音も懐かしい。お世話になっていた医院も見えた。駅にはスチールの壁ができていて、昔住んでいたマンションがあまり見えなくて少し寂しかった。関大前のすた丼は台湾っぽい洒落た定食屋に、メロンパン屋は外観はそのままでタピオカミルクティーのお店に変わっていた。千里山を過ぎて、電車は速度を上げてまっすぐ進んでいった。

ここを離れてからまだ2年も経っていないので、まだ過去になり切っていないと思っていたけれども、すっかり過去になってしまっていて寂しく、心強い感じもした。帰ってきたというような心地がして。高校を卒業をしてから、いろんな場所を数年おきに転々としてきた。そのたびに帰る場所が増えていく。こういう暮らし方は自分に合っているのだろうと思った。

ニフレルでは生き物と、生き物たちを見る子どものことを見ていた。ついこの間まで眼前に何かが現れても無反応だったのに、今は遠くを飛ぶ鳥を目で追って、指をさして声をあげている。生き物とふれあう瞬間に見せる反応が面白くて嬉しくなる。展示の最後の方に、五分ほどの映像が流れるコーナーがあった。その中に「同じと感じるとき、違うと感じるとき、それは何かとつながるとき」というフレーズが出てきた。それはまさしく先ほどまでの子どもと生き物たちのことを指すフレーズなのだが、私は最初、人と人のことを指すフレーズだと思ってしまった。根源的なことだと思った。

帰りは先頭車両に乗った。わりとすぐに最寄り駅について、あの頃と今が地続きになった。