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「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 記事にはなかったが「陽明学」と渋沢栄一のつながりの伏線が既に出てきている

2021.02.23 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 記事にはなかったが「陽明学」と渋沢栄一のつながりの伏線が既に出てきている


 水曜日は、大河ドラマ「青天を衝け」について少し書いている。まあ、毎週水曜日やるのかという疑問もあるのだが、様々あってたまには歴史の事をしっかりと書いてもよいのではないか。もともと「政治系ブログ」であったのが、いつの間にかそのような内容ではなくなってきてしまっているのが、自分でも面白く感じている。まあ、世の中の変化というのはこのようなものなのかもしれない。

さて「青天を衝け」は、やはりなかなか面白い感じになってきた。そもそも「ドラマ」というのは、「ドラマ」という「架空の空間」を通じて現代を生きる人々に対して何らかのメッセージを与えるものである。

あえて言うが「大河ドラマ」であっても「架空の空間」であって、基本的には歴史に沿ったものではない。現在に残っているエピソードなどを使い、現在の人々にメッセージを強く与えるということが大きな内容になっているんではないか。

下記の記事にはあるが、今回の内容は「御上からの申し入れで労役などに人が駆り出されてしまい、そのことで五穀豊穣・疫病退散の獅子舞ができなくなる」ということに抵抗して、渋沢栄一が、いとこの喜作と一緒に獅子舞を舞うということになる。

このようなエピソードがあるのかどうかは不明である。渋沢栄一が、現在の深谷市の獅子舞が好きであるということは、晩年のエピソードで見えてくるのであるが、残念ながら、子供の頃のエピソードまでは明らかではないのである。

そのような内容をしっかりとドラマ化するというのが、このドラマである。その中で「現在のコロナウイルス禍」と、政府の対応、そして国民の様々な対応がしっかりと書かれているのではないか。ドラマの中ではなかなか面白く書かれている。

このような「現在の自分たちに重ねてドラマを見ることができるか」ということが、このドラマを面白く見ることができるかどうかではないか。


「青天を衝け」祭り中止、お代官の要求、休まず労働に コロナ禍の現代とリンクさせる声相次ぐ

 NHK大河ドラマ「青天を衝け」(日曜後8・00)の第2話「栄一、踊る」が21日に放送された。

 渋沢栄一の故郷、武蔵国血洗島村では藍の刈り入れ後、今年1年の五穀豊穣と悪疫退散を願う村祭りが行われる。しかし、岡部藩代官・利根吉春(酒向芳)から6月の吉日の前後10日に「岡部藩の若殿さまの御乗り出しが決まった」と伝えられ、村から人手と御用金が必要だと迫られた。

 渋沢市郎右衛門(小林薫)は6月吉日は1年で1番人手が足りない時期だと伝え、人手の数を減らしていただきたいとお願い。すると利根吉春は「不服と申すか」と激昂。渋沢市郎右衛門は頭を下げて要求を受け入れるしかなかった。

 その光景を見た幼少期の渋沢栄一(小林優仁)は「なんなん。なんでとっさまが…」と受け入れられなかった。母親の渋沢ゑい(和久井映見)から「これは大人の話しなんだから、何も言っちゃいけないよ」となだめられた。だが、渋沢栄一は井戸に向かって「承服できん。承服できっこないに」と怒りは収まらなかったが、無情にも祭りの中止が決定した。

 そして村の男たちはお代官の命により昼は労役で土木作業、日が暮れて村に帰ると、夜遅くまで藍の刈り取りと働きづめとなった。

 この場面にネットでは「コロナ禍での行事中止とリンクするような…」「祭り中止!現実といっしょや」「コロナ禍に通じる」「今、とリンクした内容だな」「昔から理不尽なことが起きても何もできないんだなぁ」「パワハラだ!!!」「ブラックすぎる」「過労死するぞみんな」「からだ壊すよ」など現代とリンクさせる声が相次ぎ、反響を呼んだ。

2021/02/21 20:45スポニチアネックス

https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20210220-0238.html


 さて、もう一つは「伏線」である。大河ドラマの楽しみは、主人公の一生が凝縮されて一年で見ることができるということになる。凝縮しているということはそれだけ、エピソードが凝縮しているということと、日常の中の変化を飛ばしてしまうということになる。そのことから、「変化」のきっかけは、「伏線」という形で作られることのになるのである。

さて今回の「青天を衝け」に関して言えば、「藍玉」「蚕(絹)」ということでモノづくりや産業ということが見えて来るし、また商売ということを小さいころから見ているということになる。また、「獅子舞などの祭りが好き」ということや、上記にある「御上の身勝手」から祭りが無くなったことに対する「政治への不信感」が「企業人を作る」というようなことに繋がる。

しかし、注目したのは尾高惇忠である。調べていただければわかるが、富岡製糸場の初代場長である。深谷市における「蚕」が、ここにつながることは間違いがない。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際には、初め彰義隊に参加するが脱退し、渋沢成一郎(惇忠や栄一の従兄弟)らと共に振武隊を結成して高麗郡飯能(現・埼玉県飯能市)の能仁寺に陣営を築き、同年5月23日に官軍と交戦するが敗退する(飯能戦争)。この戦いで平九郎は自決し、惇忠と成一郎はさらに箱館まで転戦した。明治維新後に富岡製糸場の場長となり、その後仙台銀行に移る。

さて、この私塾の尾高塾のシーンに、床の間に大きく「心即理」と書いてある。

この「心即理」は、陽明学を起こした王陽明の言葉であり、地行合一などとともにその中心的な思想の考え方になっている。その言葉がこの尾高宿の中で書かれているのはなかなか面白い。後になって、現在の二松学舎大学の創始者である三島中州に習うことになり渋さ栄一が、尾高宿を思い出して陽明学の基礎が幼少のころからあったというような伏線になるのではないかというような形に期待できる。

日本の陽明学は、松平定信による「寛政異学の禁」で、あまり良い学問とはされなかったが、熊沢蕃山から大塩平八郎、佐藤一斎、そして山田方谷、三島中州というように系譜が流れ、渋沢栄一につながる。山田方谷の弟子は河井継之助であり、その河井継之助も山田方谷も藩政改革の成功者であり、陽明学者である。そのように考えれば、「経済=陽明学」というような感覚が当時にあったのかもしれないのであるが、その辺を大河ドラマのスタッフはわかっていてやっているのだろうか。

まあ、わからなくても、「学問」ということが一つの伏線になっているのはなかなか面白いのではないかと思う。その辺がどのように書かれるのか。今後も面白そうである。