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松浦信孝の読書帳

型は逸脱のためにある

2021.02.22 22:34

Twitterやinstagramでエッセイマンガを読むのが結構好きだ。


同じ時代を生きてる人が、それぞれの視点で、どんなことを感じているのかを読むと、いろんな刺激をもらえる。


今朝読んだのは、「髪を短く切りたい!」という自分のうちなら要求を叶えてくれる美容師さんに出会ってかるく人生が変わったという女性の話だった。


投稿者はアメリカに住んでいた時、美容室に行って写真を見せながら髪を短く切ってもらおうとするも、いつも自分の希望ほど短くは切ってもらえない。


美容師の技術というより、「女性らしさ」という見えない壁にいつも阻まれている感覚に苛まれる。


社会的なイメージが邪魔して、自分の内なる希望の髪型に辿り着けない。


そんな中、1人の美容師が耳を傾けてくれ、やっと本来の自分「らしさ」を感じる髪型に変わる。


そこで初めて投稿者は、「髪を短くしたい」のではなく、「自分」らしくありたいと願っていことに気づく。



僕自身は割と保守的な方だとは思うが、こういう話を聞くと心から嬉しくなる。



それは、人がその人の「内なる声」に耳を傾けて輝きを放ち始める瞬間だから。



instagramを見ると、「男ウケ」の方法などを書いたページがトレンドに上がっていたりする。



好きでやっているのなら良いけれど、自分が自分に対して居心地を悪くしてまで、異性の目を惹きつける事に必死になる事はないと思う。



ただ、相手がいない事が自分の自尊心を削り続けてしまう、という感覚もわかる。



でも、自分を磨く動機が「人から褒められること」よりも、「自分が自分自身に対して居心地良く感じるようにしたい」だったらもっと素敵だ。



とりあえずモテる、は


頭は良くならないけどテストの点数は取れるようになる


に近いものを感じてしまうから。



自信はつくけど本質的ではない



その人が本来の自分に立ち返った結果、放ち始めた魅力で出会った人と楽しくやっていければいいと思う。



その道を模索する中で、一見邪魔に見える「らしさ」は、個性を探すバネになったりする。



押し付けられた「らしさ」が肌に合わないなら、

それは「要らない」ってわかったってこと。



これからは「こういうテンプレがありますよ」から楽しく逸脱する練習の時代なのではないか。



枠がわかるから、枠の外がわかる。



一見矛盾を孕んだ不自由な構造を通してこそ、本来の自由を覚る道ってないのかもしれない。