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あいつが魔法使いなんて聞いてない!

2021.02.23 02:16

 

 嫌な予感はしていた。朝からダーズリー家に暗雲が垂れ込めていたし、ハリーの物と同じくらい大きいトランクが車の中にもう一つ詰め込まれた。さらにキングスクロスまでの道中ずっとダドリーがグズグズ泣いていた。でもハリーは色々な兆候を極力無視しようとした。いつの間にかダドリーの尻から尻尾が消えているなんて気づいてなかったし、ペチュニアおばさんの握る手紙がハリーに届いた入学案内とよく似ているなんて知らなかった。

 キングズクロスについた時、ハリーと共にダドリーとトランクも降ろされた。おばさんがカートを二つ持ってきてトランクを一つずつその上に乗せた。ハリーはハグリッドと一緒に買い集めた自分の学用品を詰めた方のハンドルを握った。もう一つはおばさんが握り、ダドリーはとぼとぼと駅の中に突き進んでいくおばさんの後に付き従っていた。

 きっとダドリーも今日、ここからスメルディングスに行くんだ。とハリーは思い込もうとした。それならおじさんがむっつりとした表情で車に残ったのはおかしいのではないかという心の声は聞こえなかった。おばさんとダドリーがホームに向かうなら僕も僕で勝手にいこうとハリーは九番線の方へ舵を取った。

 しかし、先を歩く人混みにおばさんとダドリーの姿が見え隠れする。ハリーは本気で落ち込みそうだった。嫌な予感がもう少しで現実になってしまう。なるべく足を遅くして歩いたが、それもあまり先延ばしにはならなかった。あと少しで九番線のホームに着いてしまう。

 おばさんがこちらを振り向いてハリーを待っている。おばさんがハリーを待っているなんて初めてではないか?なんて現実逃避じみたことを考えていたらあっという間にダドリーたちに追いついてしまった。

「もう一度ここにくることになるとは思わなかったわ。」

 吐息のようにおばさんが囁いた。目の前には九番線と十番線を分ける柱がある。

「私はダドリーと先に行くからね、あんたは後からいらっしゃい。」

 どこに?と聞く暇もなかった。おばさんはダドリーの手を掴み、もう片方の手でカートを引っ張りながら柱の中に倒れ込んでいった。

「え?」

 跡形もなく消えた二人にハリーは呆気に取られた。急いでポケットから入学案内を取り出して出発ホームを確認する。九と三/四番線、ホグワーツ特急。つまり、この柱の中にそのホームがあると言うことなのだろうか。ハリーは恐る恐る柱に近づいた。硬そうなブロックで出来てる。でもおばさんたちは通り抜けていった。

 ハリーはギュッと目を瞑り、えいやっと柱に突っ込んだ。すぅっと霧の中でも通り抜けた心地になった。パッと目を開ける。人々のざわめきがハリーを包んだ。紅色の蒸気機関車が目に飛び込んできた。人でごった返すホームに真っ白な煙が流れていく。見送りに来た親はマグルの格好をしている人が多いが、ローブを着ている人もちらほらといた。楽しそうにはしゃぐ生徒の姿にハリーはつい視線を奪われた。

「ハリー!」

 おばさんが鋭い声で呼んだ。ハリーは条件反射のように背筋を伸ばすとホームの壁際に立ってる二人のところに駆け寄った。感動を味わっている暇も与えられなかった。

「ダドリーは何もかも初めてなんだから、お前がしっかりするんだよ。」

 まだ泣きべそをかいているダドリーを親指で示しておばさんが言った。ハリーは不公平だと思った。自分だって何もかも初めてなのにダドリーの世話ができるわけない。魔法学校に行くんだと膨らんだ気持ちが急速に萎んでいった。やっとダドリーと別れて楽しい学校生活を送れるんだと思ったのに、こんなのってない。こんな、まさかダドリーまで魔法使いだったなんて、そんなサプライズはいらなかった。

「ダドリー、大変だろうけど頑張るのよ。ごめんね、あなたがこんな目にあったのはきっと私のせいだわ。」

「僕、行きたく、ない。」

「ごめんね。」

 絶望しているハリーの横でダドリーとおばさんが涙ながらに別れを惜しんでいる。行きたくないなら来ないでくれよ、とハリーは思わず口にしそうになって慌てて噤んだ。

 二人を見ているのがバカらしくなって、ホームに停車している機関車をもう一度じっくり眺めた。紅の車体に、黒い屋根、窓枠や手すりは金色で、まるで物語の中から出てきたような風体だった。ホグワーツ特急があまりに素晴らしかったので、反比例してハリーはさらに落ち込んだ。ダドリーさえいなければという気持ちがどんどん強くなっていく。

「さっあんまりグズグズしているとコンパートメントがなくなってしまうわ。」

 息子との抱擁を交わして一区切りついたのかおばさんが腰を上げた。ハリーは飛ばしていた意識を引き戻した。三人で汽車に近づいて行こうとしたら、おばさんの携帯電話が鳴った。

「バーノンだわ。……戻らなくちゃ。」

「まま、行っちゃうの?」

「ごめんなさい、ダドリー。……ハリー、ダドちゃんに不自由させないように。」

 もう一度愛息子をギュッと抱きしめ、ハリーにキツいひと睨みを送ってからおばさんは慌ただしくホームから出ていった。その後ろ姿を見送りながら、ハリーは何でおばさんは魔法使いのホームの場所がわかったんだろうと不思議に思った。

「おい、僕のトランクを運べよ。」

 母親がいなくなって泣いてばかりいられないと思ったのかダドリーが横柄に言った。

「君、ここがもう魔法の世界だって忘れてるね?頼み事するには呪文がいるだろ。」

 もうダドリーなんか放っておいて一人で行動してやろう。ハリーはさっさと自分のトランクを押して空いているコンパートメントを探し始めた。離れていくハリーにダドリーは大慌てで自分のトランクを押してついてきた。

 最後尾あたりにようやく空いている席を見つけて、ハリーはトランクを持ち上げようとした。だが本や大鍋が詰まったトランクは持ち上げるのすら一苦労で、何度も足に落として痛い思いをした。

「手伝おうか?」

 ひょっと列車の中から赤毛の男の子が顔を出した。

「う、うん。お願い。」

「おい、ジョージ。トランクあげるの手伝えよ!」

 赤毛の男の子は自分そっくりの双子を呼んだ。三人がかりでどうにかトランクを荷物だなに納める。

「ハリー、僕のも。」

 列車の外でダドリーが呼んだ。ハリーはうんざりした。顔に出ていたのか赤毛の男の子(ジョージじゃない方)が面白そうに笑った。

「あいつ、知り合い?」

「いとこ。」

「ふーん、全然似てないね。君の方がよっぽどチャーミングだ。」

「てゃ!?チャーミング?!」

 男の子に褒められた経験など皆無なハリーの声がひっくり返った。頬が真っ赤になった気がしてすぐさま両手で覆い隠す。あはは、と男の子が声をあげて笑った。

「僕はフレッド、あっちはジョージ。」

「ジョージ・ウィーズリーさ。よろしく。」

 指し示された双子の片割れがウィンクした。

「ぼ、くはハリー。ハリー・ポッター。」

「え、君があの……「ハリー!!」

 フレッドの声を遮るように外からブーイングが飛んだ。ダドリーが痺れを切らしたらしい。

「なに?!君なら自分で持ち上げられるだろう。」

 耳障りないとこの呼び声にハリーは顰めっ面をした。

「腕が届かない。」

 言葉の通り、大きく膨らんだ腹が邪魔をしてダドリーはトランクを抱えきれていなかった。あんまりに間抜けな姿だったのでそれを見た瞬間、ハリーの怒気もどこかへ飛んでいってしまった。

「ああ、もう仕方ないな。下側持って。僕、上から引っ張るから。」

「手伝うよ。」

 フレッドが手を貸してくれた。下からダドリーが押上げ、上からハリーたちが引っ張って、ダドリーのトランクはようやく列車に乗った。

「何でこんなに重いの?」

 ハリーのトランクの倍は重い気がした。

「ゲームが入ってる。」

「え、コンピューターごと持ってきたの?」

「何でもトランクに入るから。」

 ダドリーは随分高級な魔法使いのトランクを買ったらしい。でもまさかトランクもコンピューターを入れられるとは思ってなかっただろうなとハリーは呆れてしまった。

「鞄が太りやすい人は、あーなんだっけ。君にぴったりの言葉があった気がする。」

「そうだな、たしか、なんでも詰め込むからよく太るんだっけな。」

 ダドリーを見ながら双子が難しい顔をして悩んでいる。ハリーは思わずクスリと笑ってしまった。その時、列車の外から二人を呼ぶ声がした。

「はーい、ママ。今行くよ!」

「じゃ、またねハリー。とDiddle diddle.」

 双子は身軽にハリーたちの脇を抜け、列車を降りて行った。

「とりあえず、席に座ろうよ。」

 賑やかな二人が居なくなって、沈黙にぽつんと置いて行かれたような気持ちになったハリーはそれをごまかすように言った。ダドリーの背を押してトランクを押し込んだコンパートメントに入る。

 窓から他の生徒たちが最後の別れを告げてる様子を眺めた。家族とハグしたり、頭を撫でてもらったりしている彼らのはにかんだ笑顔をよそよそしく見ていた。ダドリーはハリーの向かいの席に座って、端にちんまり縮こまっている。コンピューターゲームを持ち込んだくせになぜここで小心さを発揮しているのかハリーは不思議だった。

 ホグワーツ特急が一際大きく汽笛を吹いた。十一時の鐘が鳴る。外に出ていた最後の生徒たちがわらわらと列車に乗り込んだ。ガッタン。大きなひと揺れとともに汽車はゆっくりと動き出した。

 後ろに流れていくホームをハリーは頬杖をついて見送った。知らない人の両親が手を振っている。ホグワーツに行けると知った当初はあんなにワクワクしたのに、もうどこか荒野に消えたい気分だった。原因は言わずもがな目の前に座るいとこのせいだ。

「……はぁ」

 重苦しいため息が口から落ちる。それと同時にコンパートメントのドアが控えめに開かれた。

「あの、ここ座っていい?他がどこもいっぱいなんだ。」

 すらりと背の高い赤毛の女の子がドアの隙間から顔を覗かせて言った。

「もちろん!」

 さっきまでの陰気を吹き飛ばして、ハリーはにっこりした。

 赤毛の女の子はロナルダ・ウィーズリーと名乗った。あの双子の妹らしい。

「ロンって呼んで。」

「うん、僕もハリーでいいよ。」

 突然現れた別の生徒にダドリーは恐怖の悲鳴をあげ、ますます壁に張り付いていた。それを見てロンが訝しげな顔をする。

「この子何やってるの?」

「怯えてる。」

「何に?」

「魔法界。」

「え?魔法使いでしょ?」

「残念なことにね。」

 全く理解できないといった風にロンはダドリーをしげしげと眺めた。ハリーは紹介するのもめんどくさくて早くロンの興味が他に移らないかなと思っていた。

「君、なんて名前?僕はロンだよ。」

 幼い子供に話しかけるようにロンが優しくダドリーに声をかけている。そいつ、今は大人しいけど慣れたら最低に嫌な奴だよとハリーは言いたかったが、初対面の内からそんな変なことを言ってロンに嫌われたくなかったから黙って二人を見ていた。

「だ、ダドリー」

 答えなかったら豚にされるとでも思ったのだろう。ダドリーが喘ぐように呟いた。

「ダダドリー?面白い名前だね。ダーとでも呼べばいいかい?」

 お約束通りに見事ロンは名前を間違えていたが、ダドリーは訂正する勇気も出ないみたいでコクコクうなづいていた。そんなダドリーの反応にロンは気まずそうにふふっと笑うとハリーに身を寄せて囁いた。

「君のいとこ、ちょっと変だね。」

「ううん、めちゃくちゃ変だよ。」

 ハリーは小声で断言した。その後ロンに魔法界について色々教えてもらっているうちにお昼の時間になった。車内販売のカートが回ってきたのでハリーとダドリーは飛びついた。ハリーはグリンゴッツから引き出したお小遣いを、ダドリーはペチュニアおばさんが握らせてくれた金貨を持っていたのだ。

 そんな二人を横目に、ロンは自分の鞄からサンドイッチを取り出していた。見たことのないお菓子に夢中になった二人が山盛り一杯買っているのを羨ましそうに見ていた。

「ねえ一緒に食べようよ。」

 早速ニョロニョロ逃げて行こうとする蛇型のグミに噛みつきながらハリーが誘った。

「でも、僕これあるし……」

「交換しようよ、甘いのばっかだとしょっぱいの食べたくなるし、食休めにすればいい。」

 魔女の大鍋ケーキを無理やり膝に置いたら、ロンがやっと笑った。

「いいの?」

「調子乗りすぎたから食べて!」

 同い年の女の子とお菓子を分け合うなんて初めてで、ハリーは少し興奮していた。いつもだったら絶対しない押しの強さでロンの膝にお菓子を降らせ、キャーキャー騒ぎながら一緒に食べた。ダドリーは持ち金の半分を使い切った菓子の山で自分の隣の座席を埋め、満足そうに一番上から攻略していた。

「あっ!」

 百味ビーンズで度胸試しをしながらロンにホグワーツの寮について教えてもらっている時、ダドリーが急に声を上げた。見れば何やら青い箱を放り投げ、座席バンバン叩いている。

「何してるの?」

 ハリーは嫌な顔をしながら聞いた。

「きっと蛙が逃げたんだ。」

 ロンがあっさりと答える。

「鈍臭いとすぐ逃げちゃうんだよね。それでチョコの染みをつけてママに怒られる。」

「あ、ほんとだ。」

 ダドリーの手の隙間から、チョコレートの蛙がピョンと飛び上がった。ハリーはそれを空中でキャッチしてパクッと一口で食べた。滑らかで濃厚で美味しい。

「僕のチョコだぞ!」

 ダドリーがすぐさま文句をつけた。

「鈍いからいけないんでしょ。」

 ハリーはすましてそっぽを向いた。もうここは魔法界だ。ダドリーの取り巻きも、バーノンおじさんもいない。ハリーがダドリーに優しくしてやる理由がなかった。

 ダドリーがハリーに向かって拳を振り上げた瞬間、コンパートメントのドアがガラリと開いた。

「ここにハリー・ポッターがいると聞いたのだけど?」

 ロンの存在には慣れてきたダドリーだが、新たな魔法使いの登場には縮み上がったらしい。菓子の箱を散らしてまた壁に引っ付いた。

 ドアに手をかけて立っていたのはマダム・マルキンのところで会った金髪の男の子だった。ハリーは自然と口がへの字になるのを感じた。

 男の子はぐるりと内部を見渡して、ハリーを見つけると大きく目を見開いた。

「え、え?まさか、君が?」

 そこまで驚くことないじゃないか、とハリーは思った。同時にチビと呼ばれた記憶がぶり返す。腹が立ってきた。ドラコからわざとらしく顔を背けた。だから彼が頬を赤く染めたのに気がつかなかった。

「本当に?」

 疑り深く確認されて、ハリーはムッとしながら答えた。

「そうだよ、僕がハリー・ポッターだ。」

「……女の子じゃないか。」

「本にも女子って書いてあったと思うけど。」

「名前が男だ。」

「違う、僕の名前はRじゃないLだ。」

「……なるほど。」

「で、君は誰?」

「僕は、ドラコ・マルフォイ。」

 初対面から長い時間が経ってようやくドラコは自己紹介をした。別に彼の名前に興味なかったからハリーは何にも思わなかった。

 くふっと隣で小さな笑い声がした。ロンがすぐさま誤魔化すように咳払いした。

「僕の名前がおかしいか?」

 ハリーに向けた視線が嘘みたいに冷たい表情でドラコがロンを睨んだ。

「君はどうせウィーズリーのとこの子だろう。赤毛の貧乏くさいのが山ほどいるって父上が言っていた。」

 ロンがさっと顔を伏せた。ハリーは彼女の傷ついた表情を見て目尻を釣り上げた。

「初対面の人にその言い方はどうなの?」

 勢いづいて椅子から立ち上がる。十センチは上にあるドラコの顔を睨め付けた。

「最初に笑ったのはそっちだろ。」

「そりゃ、そうだけど……」

「ほら、先にそいつが謝れば、僕だって頭を下げようじゃないか。」

 まさかの切り返しにハリーは言葉に詰まった。確かに笑ってしまったのはロンが悪かった。だけどハリーは初めて出来た友達に肩入れしてしまっていた。うぐぐと唸りながらロンを見やる。くすんと鼻を啜る音がした。

「悪かったよ、僕が代わりに謝るからもう出てってくれ。」

「謝罪ってのは当事者がするものだ。学校で教えてもらわなかったのか?」

 ふんっと鼻を鳴らすドラコにハリーの血管が浮き上がった。今にも取っ組み合いを始めそうな雰囲気の二人に涙をこぼしていたロンは焦った。自分のせいで喧嘩が起きるとあわてて謝罪に口を開こうとした。しかしそれはガン!という大きな音にかき消された。

「僕の菓子だ!」

 ダドリーが壁を殴った音だ。ハリーたち三人はばっとダドリーの方を向いた。いつの間にか壁に張り付いていたダドリーが立ち上がり、ドラコが引き連れてきた少年二人を睨みつけている。

「クラッブ、ゴイル」

 ドラコが彼らの名前を呼んだ。菓子の山とダドリーを睨みつけていた二人の視線が一瞬ドラコを捉えた。

「何して……」

 問いかけはすぐ途切れた。クラッブとゴイルの意識が逸れた隙を逃さず、ダドリーが思いっきりタックルしたからだ。分厚い肉に包まれたダドリーの当身は小型ミサイルほどの威力を錯覚させた。不意を突かれた少年三人は廊下に吹っ飛ばされた。床にごろごろ転がって無様だった。

「ナイス、ダドリー!」 

 いとこのファインプレーを逃さず、ハリーは急いでドアを閉めた。着ていたパーカーをドアノブに巻き、荷物だなに括りつけた。

「あ、え?」

 完璧にいとこ同士の勢いに飲まれ切ったロンは謝罪のために開けた口をそのままぽかんと開いていた。

 ふーふーと息を荒げたダドリーは居丈高に椅子に座り直し、また菓子を食べ始めた。

「あんなに強そうだったのに、ダドリーに転がされちゃうなんて魔法界の子はあんまり喧嘩強くないのかもね。」

「いや、君たちが慣れ過ぎてるんだと思うよ。」

 同じく椅子に座りなおしたハリーがなんでもない顔で再び蛙チョコレートを食べだしたのを見てロンは呟かずにはいられなかった。ロンの所感は的を射ていた。小学校でガキ大将に君臨していたダドリーとそのサンドバックにされかけていた(絶対捕まらなかった)ハリーはそこら辺の子よりずっと喧嘩に慣れていたからだ。

 一番威力の出るパンチの仕方など普通の子は知らないし、相手の気が逸れた一瞬を逃さない機敏さも培われない。

 喧嘩と言えばせいぜい口喧嘩か火花を散らし合う程度だったロンは明らかに練磨された二人の喧嘩技術に畏怖のような感情を抱いた。

 嵐のようなホグワーツ特急での旅を終えて、ハリーたちは城の小部屋で組み分けを待っていた。

「どの寮になるのかな?」

「僕の家族はみんなグリフィンドールなんだ。他だったらどうしよう……」

 マクゴナガルが居なくなった途端、しゃべりだした生徒たちに乗じてハリーとロンもこそこそと喋っていた。ハリーのローブを握り締め、でかい図体をなるべく小さく縮こめようとしているダドリーのことはすでに二人の意識の外だった。ハグリッドに怯え、湖に怯え、城の姿を見た時に悲鳴を上げた彼に付き合う気はもう二人から消え失せていた。

 どんなことをして選ばれるのだろうか、と話していた時に、マグゴナガルが戻ってきた。

「行きますよ。」

 厳格な指示に従い、ハリーたちは歩き出した。大広間の扉を潜る。何百人もの生徒たちが新入生を興味深げに眺めていた。ハリーは落ち着かなくてあちこちに視線を投げてそわそわしていた。

「天井に魔法がかかっているのよ、本物じゃないの。」

 列車の中でハリーたちの喧嘩を咎めに来たハーマイオニー・グレンジャーの説明が聞こえた。星の粒が落ちてきそうな夜空が見上げた天井に広がっていた。これだけ綺麗なら本物じゃなくても十分だろうとハリーは思った。

 四つ並んだ長机の横を通り抜けて、一段上がった場所の前で新入生は止まった。マクゴナガルが魔法で古ぼけたスツールを出し、その上に恭しくボロボロの山高帽を乗せた。

「名前を呼んだものから組み分け帽子をかぶりなさい。」

 そう言って長い羊皮紙を広げた。

「帽子をかぶるのか。」

「よかった、僕にもできそう……」

 魔法の力を見る為に決闘でもさせられるんじゃないかと心配していたらしいロンが安どのため息を吐いた。

 ハリーは背伸びをして初めの生徒が椅子に座るのを見た。おさげの女の子が、マクゴナガルに帽子をかぶせてもらっている。

「ハッフルパフ!」

 帽子が声高に叫んだ。ワッとハッフルパフのテーブルが湧いた。女の子は頬を林檎のように染めながら小走りにそのテーブルに加わった。

 それから順番にABCと進んでいき、とうとうダドリーの番になった。

 ハリーに背を押され、ダドリーがヨタヨタと階段を登っていく。スリザリンのテーブルから忍び笑いが聞こえた。ハリーはダドリーが行くとしたら絶対にスリザリンだと確信していたので、笑っていられるのも今のうちだと思った。

 古ぼけたスツールはダドリーの体重に少し軋んだが、壊れはしなかった。マクゴナガルが不安そうな顔をしながらダドリーに帽子を被せた。一分経った。さらにもう一分。もしかして所属できる寮がないんじゃないかとハリーは期待した。しかし、その数秒後に帽子の裂け目が大きく開いた。

「グリフィンドール!」

「は?」

 無意識に声が出た。聞き間違えでなければ帽子は今、グリフィンドールと叫んだ。ダンブルドアやロンの家族が所属していたという、あの“グリフィンドール”にダドリーが?ハリーは到底信じられなかった。

 だが、マクゴナガルに帽子をとってもらったダドリーが一番右端のテーブルに座ったのを見届けて、事実なのだと認識した。

 その後、ドラコがスリザリンに選ばれ、ハリーの番が回ってきた。大広間中が静まり返り、自分の名がさざめきのように聞こえてきたが、ハリーは気にしていられなかった。グリフィンドールが良いと思っていたのにもう先にダドリーが選ばれてしまった。いとこと同じ寮は絶対嫌だった。でもそれと同じくらいヴォルデモートと同じも嫌だ。それ以外の二つの寮のどちらかになりますように、と祈りながらハリーは帽子を被った。

「ふむふむ、勇気に満ちている。頭も悪くない。自分を試したいという素晴らしい欲求もある……」

 頭の中で声が響いた。ハリーは椅子の縁を握りしめ、必死にお願いした。

「どうかスリザリンとグリフィンドール以外でお願いします。ダドリーは嫌だ、ヴォルデモートも嫌だ、ダドリーは嫌だ嫌だ……」

「しかし、君の才能はそのどちらかに向いている……」

「才能なんてどうでもいい、僕は幸せな学校生活をおくりたい。」

「ふむ、君がそこまで強く望むのであれば……ハッフルパフ!!」

 大広間に響き渡った言葉に全校生徒は言葉を失った。まさかあのハリー・ポッターが劣等生の烙印を押されたハッフルパフになろうとは。

 生徒たちが現状を理解するまで数秒かかった。だが次の瞬間、爆発みたいな歓声が真ん中のテーブルから起こった。歓喜に満ちたハッフルパフ生が大声をあげている。彼らは英雄ハリー・ポッターが自分たちの寮に来るなんて思ってもいなかった。半分諦めた気持ちで組分けを見ていた。だからこその反動だった。

 帽子を脱いだハリーは安堵のため息をつきながら階段を降りていく。途中ですれ違ったロンにうなづいて見せた。呆然とした面持ちのロンに見送られてハッフルパフのテーブルについた。

 すぐに同じ一年生に話しかけられた。

「あなたがハリー・ポッターなのね。私、ハンナ・アボット。よろしくね。」

 一番最初に組み分けされた、おさげの女の子がはにかみながらハリーに手を差し出した。

「よろしく、ハンナ。」

 笑い返しながら握手する。その隣にいた女の子も手を差し出してきた。

「私はスーザン。スーザン・ボーンズよ」

「はじめまして、スーザン。」

 一気に二人も知り合いが増えてハリーはにこにこした。ダドリーとも、ヴォルデモートとも別の寮になれた。同級生も優しそうだ。口々に挨拶をしてくる上級生もみんな親切そうで、ハリーが混乱しないように一人ずつ順番を守ってくれた。

 他の一年生と一緒に寮のベットに潜り込んだ時、ハリーは世界一幸せな気分だった。ハッフルパフの寮生たちはハリーが有名人だからといって無遠慮にじろじろ見たりしない。ただのハリーとして接しようとしてくれていた。最初の夕食だけで死ぬほど視線を浴び続けたハリーにとって彼らの配慮はとてもありがたかった。

ぬくぬくと温かいベットで、美味しそうな朝食の匂いで目醒める。こんな素晴らしい朝を連日送れるというだけでハッフルパフに所属する価値がある。クロワッサンのバターが溶ける香ばしい匂いの中、ハリーは目を開けた。黄色の天蓋を引いて魔法の窓から注ぎ込む朝日を浴びる。ぐっと伸びをすればすっきりと体が起きた。

「おはよう、ハリー。」

「おはよう、ハンナ、スーザン。」

 朝の支度をしている同室の二人と挨拶を交わす。ハリーもさっさとベットから降りて水桶で顔を洗い、歯を磨いた。くるくるの巻毛をブラシで梳かす。鏡の中の自分の髪がどんどん艶々になっていってハリーは気分が上がった。

 るんるんしながらハンナたちと一緒に大広間に降りていってご飯を食べる。早速始まった授業も順調な滑り出しでハリーは学校生活を満喫していた。不安の種であったダドリーも今のところなんの問題もなかった。寮が違ってしまえば生活領域も違うし、授業だって合同のもの以外は別だ。ほとんど関わらない。たまに見かけるダドリーは慣れない生活でげっそりしていたけど、今まで甘やかされてきた分ちょっとくらい苦労した方がいいとハリーは思っていた。

 そう、ハリーはダドリーと全く接点がなく、幸せだった。真夜中にヘルガ・ハッフルパフの肖像画に祈りを捧げているしもべ妖精と出会うまでは……

 

 あの日、ハリーは真夜中近くになるまで夢中で借りてきた本を読んでいた。あんまりのめり込んでいたものだから談話室から誰もいなくなっているのにまるで気がついていなかった。ランプの灯が翳ってきてようやくハリーは本から顔を上げた。それと同時に何かが動き回る音を聞きつけた。

 ハッフルパフの談話室には壁に小さな創始者の肖像画がかけられている。もうだいぶ古いものらしく日に焼けていて動きはすれどもしゃべらないささやかなものだった。それがかけられている壁の前に誰かがうずくまっている。ハリーは座っていたソファから首を伸ばして薄暗い壁の方を注視した。小さな箒とちりとり、火かき棒がその人の脇に転がっていた。なにやら一心につぶやいているようでボソボソとした声が聞こえる。ハリーは耳を澄ませた。

「ヘルガ・ハッフルパフ様、しもべ妖精の聖女様、どうかランピーたちをお助けください。」

 ハッフルパフの創始者に誰かがお祈りをしていた。好奇心に促されてハリーはソファから立ち上がった。そっと足音を忍ばせて、壁の方へ向かう。

「どうか、どうか、料理長がお倒れになってしまう前に、あの人のお腹がいっぱいになりますように……」

 誰かの満腹を願いながらその人はさめざめと泣いていた。薄灯の中に大きな耳と頭、枝のように細い手足が浮かび上がる。それは人間ではなかった。だけど丸まった背中があんまりにも可哀想でハリーは思わず声をかけた。

「どうしたの?悲しいことがあったの?」

 ハリーが落ち込んでいたら上級生がそうしてくれるのを真似て優しく声をかけた。

「!!」

 ランピー(おそらくこの妖精の名前だ。)は天井を突き破らんばかりに飛び上がった。

「どなた様かランピーに話しかけた!」

 ちょうど椅子が影になって見えなかったのかランピーはキョロキョロと辺りを見回している。

「僕だよ、ハリーが君に話しかけたんだよ。」

 ハリーはランピーの元に進み出て、膝をついた。

「何か困ってるの?僕でよければ助けになるよ。」

 真正面から見たランピーはテニスボールほど大きな目と、ビー玉ほどのまんまるな鼻をした愛嬌のある妖精だった。エルモに似ているなとハリーは思った。外見から予想できる通りの甲高いコミック声でランピーは謝罪しながら平伏した。

「お嬢様、申し訳ありませんとランピーは謝ります。ランピーはまだ新米なのでございます、ダメなしもべ妖精なのです。」

「え?え?なにも謝ってもらうことなんてないよ。」

 靴に額を擦り付けんばかりのランピーの勢いにハリーは戸惑った。

「しもべ妖精はお掃除の時にお祈りしてはいけないのでございます!」 

「でも、お掃除できないくらい悲しかったんでしょう?悲しい時は泣かなきゃ辛くなっちゃうよ。」

 同級生たちの家族の話に入れなくて隅っこにいたハリーの肩を撫でながら監督生のブルーベル・カーターがそう教えてくれた。すごくホッとしたからハリーもランピーに安心して欲しくて受け売りを言った。

「お、お嬢様、ハリー様はお優しい方でいらっしゃいます。」

「普通だよ。それよりさ、どうして泣いていたの?」

 再度促せば、ランピーがようやくぽつりぽつりと話し出した。

「生徒様の中には厨房がどこにあるかご存知の方がいらっしゃいます。ランピーたちはお客様が大好きですのでいらっしゃる際にはたくさんおもてなしをします。だけど、最近とてもたくさんお食べになる方がいらっしゃるようになったのです。ランピーたちは初め、喜んでおもてなししました。だけど、あの方はいつもお腹がペコペコでいらっしゃるようで、授業が終わるたびに厨房に来られます。そしてたくさんお食べになります。ランピーたちは朝昼夜のご馳走を作っています。……あの方が食べてしまう分が足りなくなって料理長が余計にお作りにならなければいけないのです。料理長はもうクタクタでいらっしゃいます。早くお休みしなくてはお倒れになります。」

「ちなみに、その方の名前は……?」

 いつもお腹を空かせている人物に心当たりがあってハリーは恐る恐る問いかけた。

「グリフィンドールのダーズリー様です。」

「うわー、ごめんね、ランピー。」

 ハリーは頭を抱えてうずくまった。大嫌いだとはいえ、いとこがそんな迷惑をかけているなんてハリーは信じたくなかった。けど休み時間のたびに厨房に行くダドリーがたやすく想像できてしまった。

「僕がなんとかするよ。」

 ハリーは顔を上げて、しっかりとランピーを見つめた。

「そんな、ハリー様の手を煩わせられません。」

「ううん、僕の方こそ、ごめん。その腹ペコやろう僕のいとこなんだ。」

「ですが…」

「ダドリーはいつも何時ぐらいに厨房に行くの?」

 申し訳なさそうなランピーを押し切ってダドリー襲来の時間を聞き出す。ランピーがいうには午前中の来訪はまちまちだが、午後の三時には必ず来るそうだ。おやつの時間だからか、とハリーは呆れた。午後の授業の後に厨房に張り込めばなんとかなりそうだ。

「明日から僕が止めるから、ランピーたちは安心して料理作ってね。」

「ハリー様……」

 瞳をうるうるさせ、手を胸の前で組んだランピーは感極まったように声を詰まらせた。ハリーはにっこり笑って親指を立てた。

 翌日、午後の授業が終わって大急ぎで荷物を片付けているハリーをハンナは訝し気に観察していた。

「ハリー、そんなに急いでどこへ行くの?」

「ちょっと腹ペコ怪獣を退治しに。」

 返答する間も惜しいハリーはハンナの目が見開かれたのに気づきもせず、猛スピードで教室を出て行った。

「ハンナ、ハリーどうしたの?」

 同じ寮のスーザンが尋ねた。

「なんか、怪獣倒しに行くんだって。」

「……彼女もなかなか不思議よね。」

 英雄って言うのは凡人と見ているものが違うんだな、とハンナとスーザンは顔を見合わせた。

 大時計が十五時の鐘を打つ。それを聞きながらハリーは廊下を急いでいた。まだ学校に不慣れだから、どの道を行けば近道なのかもわからない。厨房は地下にあるのでとりあえず目についた階段を駆け降りた。

「あれ?行き止まり?」

 階段の先は小さな小部屋みたいになっていた。ぐるりと見渡しても四方は壁でタペストリーがかかっているだけだった。そういえば監督生がハリーたちを寮に案内した時、タペストリーの後ろの扉を通った気がする。

 ハリーはタペストリーに近づき、めくってみた。

「ビンゴ!」

 腰ほどの高さの扉がその後ろに隠されていた。押し開けるとまた階段が続いていた。ハリーは勇んで降りた。どのくらい降っただろうか。三階分くらいは降りた気がする。だんだんと空気が湿っぽくなってきた。心細い気持ちになった時、階段が終わった。正面の扉から外に出る。

「おっと!」

「あっ!ごめんなさい!」

 開けた扉が誰かにぶつかってハリーは急いで謝った。

「俺は大丈夫だけど、君は?」

「僕も大丈夫です。」

 扉の後ろから出てきたのはホグワーツ特急で会ったフレッドだった。隣にジョージもいる。

「驚いたなぁ、この抜け道自力で見つけたの?」

「てきとうに階段を降りたの。」

 気恥ずかしくて肩をすくめる。

「あの、ここから厨房って近いかな?」

 辿り着いた場所は小さな物置のようだった。くたびれたモップが転がり、バケツが置いてある。小さな明かりとりがハリーたちが動くたび舞い上がる埃を照らしていた。

「近いっちゃ、近いけど、隠し通路使わないと遠いかな。」

 ジョージの返答にハリーは歯噛みした。

「ここってどこに近いですか?」

「天文塔の一番下だよ。」

 ハリーがいたのは変身術の教室である。あの抜け道は城を斜めに貫いていたようだ。ハリーは困った。

「厨房におやつでももらいにいくの?」

 フレッドが不思議そうに聞いてくる。

「ううん、ダドリーが厨房に乱入するのを止めようと思ってて。ランピーが困ってるから。」

 ハリーの答えに双子は横目で視線を合わせた。

「おっとそのダドリーてのはうちの寮にいるおデブちゃんかい?」

 くるっとハリーの右側にフレッドが回る。

「あ、うん、そして僕のいとこ。」

 ハリーは突然近づかれてドギマギした。

「ははあ、あいつ俺たちのこと付け回してたと思ったら、厨房に行きたかったんだな。」

 今度はジョージがハリーの左手を取った。

「そうに違いない。」

 双子はハリーの頭越しにうなづきあった。

「あのお豚ちゃんにかかったら厨房の食糧庫を空っぽにされちまう。」

「そりゃまずい。」

「というわけで、ハリー、俺たちも一緒に行くよ。」

 頭上で交わされるやりとりにハリーは目を瞬いた。

「え、でも……」

「でもはナシ。俺たちの責任でもあるからな。」

「そうそう、あんな横幅があるのにまんまと追けられてたなんて情けなくて涙で池ができる。」

「びしゃびしゃだ。」

 止める間もなく双子はハリーの両手を持って歩き出した。さながら捕獲された宇宙人のようだ。連れられるまま、ハリーは銅像の影の坂を下り、鏡の裏を通り抜けた。すると見慣れた廊下に出くわした。

「もう着いたの?」

 ハリーは思わず声を上げた。驚いた顔の彼女に双子はにんまりした。

「そうですよ、姫。」

「我ら悪戯仕掛け人にかかればこのくらいチョチョイのちょいさ。」

 廊下の突き当たりに果実が盛り合わされた絵がかけてある。ハリーは双子と一緒にそこまで行くと、梨をくすぐってドアノブを出現させた。

「ランピー、まだ大丈夫?」

 とりあえずダドリーが来ていないか確認する。首を突っ込んだ厨房はいい匂いに溢れていた。ふわっとあったかい空気がハリーの顔を包む。妖精たちがいくつもあるストーブの前で大鍋を掻き回し、調味料を振り入れ夕食を作っていた。その間から小柄なしもべ妖精が走り出てきた。

「ハリー様!ダーズリー様はまだいらしておりません!」

「良かった!僕たちが外で見張ってるから安心してね。」

 不安そうなランピーの手をギュッと握る。

「ここには良くしてもらってるしな。」

「太っちょ退治は任しといて。」

 フレッドとジョージもビシッと親指を立てた。

「みなさま、ありがとうございます……」

 ランピーは床に泣き崩れた。ハリーは彼女の背をトントン軽く叩いて、また厨房の外に出た。

「ダドリーは絶対おやつを食べ逃したくないヤツだからそろそろ来ると思うんだ。」

 拳を握りしめ、ハリーは気合十分だった。絵の下に鞄を置き、臨戦態勢になっている。

「おっとハリー、拳で戦う気なのかい?」

 フレッドが茶化すように聞いた。

「だって僕まだ呪文をほとんど知らないもの。」

 もし魔法で相手を懲らしめられるならそれに越したことはないけど、まだ浮遊呪文くらいしか習ってないハリーは首を竦めた。

「ならいい呪文を教えてやろう、あいつを笑い転がす呪いさ。」

 杖を取り出して、ジョージがハリーにウィンクした。

「どんなの?」

「リクタスセンプラ!リピートアフターミー?」

 杖を持たないで、ジョージに続いて繰り返す。

「リクタスセンプラ!」

「よし上出来!」

 双子がハリーの頭をわしゃわしゃと撫でた。

「ありがとう!」

 なんだか兄が出来たみたいでハリーはこそばゆかった。

 杖を持って振り方を教えてもらっていると、とうとう廊下の先にダドリーの姿が現れた。でっぷりした身体を魔法使いのローブに包み、のしのしと歩いてくる。真っ黒なナメクジみたいだった。ハリーは杖を握りしめ、絵の前に立ち塞がった。双子はすぐ側の壁に寄りかかり、ハリーを見守っている。彼女のやる気を尊重して、初めは手を貸さないつもりだった。

「ダドリー、ランピーたちを困らせるのはやめるんだ。」

「なんでこんなとこにお前がいるんだ、ハリー。」

 お腹を空かせて厨房に飛んできたダドリーは思わぬ邪魔に顔を顰めた。細っこいチビのいとこが自分の行手を阻んでいる。もうだいぶ魔法に慣れたダドリーはハリーが持っている杖なんか怖くなかった。(自分も所持して使っているのだから当たり前だ。)

「邪魔するな!」

 ハリーを絵の前から退けようと、手を伸ばした。

「リクタスセンプラ!」

 ダドリーの手が届く前にハリーが鋭く呪文を唱えた。全身を羽毛の箒で撫でられているようなくすぐったさがダドリーを襲った。身体を丸めて笑い出す。立っていられなくて膝をついた。

「ふへ、へへはは、」

「き、効いた!」

 初めて他人に呪いをかけたハリーは杖を持ったままジャンプした。魔女っぽくて感動した。憎らしいいとこが床に寝っ転がって笑い転げている。清々しい気持ちだった。

「どうだ、ダドリー。もうここに近寄らないって約束して。そうしたら呪文を解くよ。」

「ふふ、お前の、ふふへ、言うことなんか聞くか!」

 息絶え絶えになりながらも絶対ハリーの言いなりになりたくないダドリーは片意地を張った。

「ならずっとこのままだよ。」

 ハリーは腕を組み、仁王立ちでダドリーを見下ろした。彼女があんまりにも偉そうで、ダドリーはイラッとした。笑いも止まらなくて苦しいし、お腹も減った。苛立ちを込めてすぐそばにあったハリーの脛を殴った。

「あいたっ!!!」

 呪いが成功して完璧に油断していたハリーは崩れ落ちた。笑い転げながらもダドリーは倒れたハリーを蹴ろうとした。

「!!」

 馬鹿でかい足がハリーの顔面に迫った。衝撃を覚悟してギュッと目をつぶった。だけど一向に痛みはこなかった。

「ちょっとやり過ぎだぜ、おデブちゃん。」

「モビリコーパス!」

 ダドリーの蹴りはフレッドの脚が受け止めていた。自分のズボンに蹴り跡が付くのを気にもせず、ハリーを守ってくれたようだ。

 直後にジョージが唱えた呪文で、ダドリーの身体がふわっと浮いた。そのままどんどん高度が上がっていく。

「さあ、ハリー、お勉強の時間だ。呪文をいっぺんに終わらせる魔法を教えてあげよう。」

 フレッドが膝をつき、ハリーに手を差し出した。

「あの、ありがとう、助けてくれて。」

 ハリーはもじもじしながらその手を取った。男の子に助けてもらうなんて初めてで、なんだかドキドキした。

「君が蹴られるのは忍びないからね。」

「かっこいいぞー、フレッド!」

 にっこり笑顔を浮かべるフレッドにジョージのヤジが飛ぶ。

「うるさいぞ、ジョージ。」

「さすが妹がいる男!」

「お前もだろ!」

 なんて笑いながら二人はポケットに手を突っ込み、3メートル程の高さに浮いているダドリーを見上げた。彼は笑いすぎてしゃっくりしながらも、あまりの高さに顔面蒼白になっている。

「さて、ハリー。あの空飛ぶ風船を落とすなら、フィニートと唱えればいい。」

「軽ーく落ちてくるぜ。」

「で、でも怪我しちゃうんじゃない?」

 大怪我をさせるつもりなんかさらさらなかったハリーは両手を組んで不安そうにダドリーを見上げた。

「それはほら、彼がもうここには来ないと言うのなら俺たちがクッションを出してやる。」

 ジョージが杖先を左右に動かす度、ダドリーも左右に飛んだ。

「ハリー、フィニートだ。」

 フレッドがハリーの肩を後ろから持った。

「ダドリー、もうここには来ないって約束してくれる?」

「約束する!するから!下ろしてよ!」

 笑いを通り過ぎて泣き声になったダドリーは顔をベチョベチョにしながらうなづいた。ハリーは杖をダドリーに向けた。

「フィニート!」

 途端、糸が切れたようにダドリーの身体が落っこちた。

「うわあああ!!」

 ダドリーは床に真っ逆さまに落ちた。激突する寸前で何かに包まれたようにぽふんとバウンドする。

「というわけで、帰ろうかダーズリーくん。」

 どさっと床に尻餅をついたダドリーに双子が近づいていく。

「グリフィンドールの心得を先輩が教えてあげよう。」

「やめろ!離せ!」

 ジタバタとダドリーは暴れたが、両脇を双子に抱えられて、なす術なく連行されていく。その後ろ姿にハリーは叫んだ。

「ありがとうございました!」

 双子は振り向かず、空いてる手をひらひらと振って答えた。

「かっこいい……」

 三人が廊下の先から消えた後、ハリーはこっそり呟いた。

 ダドリー腹ペコ事件で上級生にスマートに助けられて以来、ハリーの授業態度は一変した。慣れない呪文や魔法の教科書に気後れして縮こまっていたハリーはもういない。双子のように自在に魔法を操りたいと熱心に授業に取り組んでいた。その日の妖精の呪文の授業でも、ハリーは腕まくりをし、やる気十分でコインと睨み合っていた。

「やけに気合が入ってるじゃないか。」

 ハリーの後ろでつまらなそうにコインを呪文で転がしていたドラコが声をかけた。彼は今日の課題であるコイン操作の魔法を早々にマスターしていた。こんな陳腐な呪文、一度できるようになってしまえば後の時間は手慰み程度に課題をやっていればいい。そう思ってコインを操るスピードに強弱をつけたりジャンプさせたりしているハリーを見ていい子ちゃんの点数稼ぎかと小馬鹿にして笑っていた。

「うるさいな、僕は早く魔法がうまくなりたいの。」

 振り向きもせず、ハリーは答える。ハイスピードでコインを転がし、大ジャンプをさせようと躍起になっていた。

「コイン程度を自在に操作できるようになったって、せいぜいマグル相手の曲芸師になるくらいだろう?」

 まったく自分を見ないハリーにドラコは苛立った。侮られていると感じて、どうにか彼女を振り向かせてやろうと言葉を重ねる。

「変身術だって、始めはマッチからだったよ。」

「ああ、君がきれいに燃やしたアレか。」

「あれはちょっと気合が入りすぎたんだ!」

 過去の恥ずかしい失敗を掘り起こされて、ハリーは勢いよく振り返った。同時に風を切った杖に従って、コインが三〇センチほどの大ジャンプをした。

「見た!?」

 一瞬で不機嫌が飛んで行ったハリーは、自分の成し遂げた大業を確認したくて腕を伸ばし、ドラコの袖を引いた。

「……コントロール不能で飛んでったな。」

「飛ばしたんだ。」

 無感動なドラコにハリーはむっと唇をへの字にひん曲げる。他に目撃者がいないから仕方なかったが、こいつに確認するんじゃなかったなと後悔した。嬉しい気分が台無しである。杖を振ってコインを自分の手元まで転がして戻す。

「おっと、これは失礼。まさかコントロールを練習していた君があんな荒っぽい操作をするとは思わなくてね。」

 気になっている女の子に急に腕を触られて密かに動転していたドラコの口は全自動で皮肉を繰り出した。もう少し冷静だったなら「練習の成果が出てよかったな?」と鼻で笑ってやるくらいで済んだ。ドラコの言葉を素直に受け取ったハリーは顔をしかめてプイっと前を向いてしまった。

 ドラコは焦りだか苛立ちだか判断つかない気持ちになって、よせばいいのに弾みでハリーのくせ毛を引っ張った。

「いた!」

「無視なんてマナーが悪いな。」

「君こそ手癖が悪いじゃないか!」

 ハリーだってやられたままではいられない。自分のコインにまた杖を向けて思いっきりドラコの顔面に飛ばしてやった。

「あいた!」

「あ、ごめん。ノーコンだからさ。」

 なんてしらを切ってみせた。

「この!」

 ドラコが杖を構えた時、諍いを聞きつけたフリットウィックが飛んできた。

「揉め事かね?」

 ハリーとドラコはそろって首を振った。

「いいえ、先生。その、僕がちょっとコイン飛ばしすぎちゃって。」

「そうなんです、それで僕はコントロールのやり方を教えてやろうと思いまして。」

 泥を擦り付けてくるドラコをハリーは上目で睨んだ。調子のいいことばっかり言うやつだと腹立たしく思う。

「結構結構。何事も練習第一!」

 フリットウィックはちゃんとごまかされてくれて、他の手こずっている生徒の元へ移動していった。

「君、覚えてろよ。」

「生憎、僕は無駄なことに頭を割かない主義なんだ。」

 涼しい顔で見下ろしてくるドラコに、ハリーは思いっきり舌を出した。

 ドラコとの諍いはこれだけではなかった。彼はハリーが鼻につくらしく合同授業のたびに何かにつけてちょっかいを出してくる。ハリーは辟易していた。ドラコだけなら別にそこまで気にしないのだが、彼に便乗してくる他の連中が我慢ならなかった。特にキーキーうるさいパンジー・パーキンソンなんか最悪だった。

「本当、なんでアイツら僕のこと放っておいてくれないんだと思う?」

 魔法史の授業中、隣に座るロンにハリーは愚痴った。

「さあ?有名人だからじゃない?自分より上にいそうな人間が嫌いなんだよ、あいつら。」

 結局、ロンはグリフィンドールに組み分けされて寮が離れてしまった。だが、同じ授業になる機会も多く、二人は気安い仲になっていた。優しいハンナやスーザンに言いにくい話だってロンになら出来た。可愛らしい二人と違って兄が五人もいるロンは刺激に強かった。(ハリーの皮肉めいた口調を笑ってくれる。)

「この間もさ、ちょっと変身術でマルフォイとペアになっただけなのに、パーキンソンったら真後ろでぐちぐちぐちぐち……。バーノンおじさんだってもう少しは文句の間に休憩したさ。」

「ああ、スリザリンってうすのろばっかだもんね。」

「うすのろが多いのと僕が嫌味言われるの、どうして繋がるの?」

「うーん、つまりスリザリンの中じゃマルフォイはマシな方ってこと」

「アレが?」

 同じ寮に女子生徒憧れのセドリックがいるハリーには到底ドラコが魅力的な男の子とは思えなかった。ハッフルパフの男子生徒はみんな紳士的なので、ガキ大将のようなドラコは嫌なやつとしか見られない。

「クラッブとかゴイルとか、そもそも人語を理解してるか微妙だろ?」

「ああ、あの二人はダドリーといい勝負だもんね。」

「……そうだね。」

 奇しくもダドリーと入学前に知り合ってしまったロンはその縁で何かと世話を焼いてくれているらしい。ハリーはあまりにも不出来ないとこでひたすらに申し訳なく思っていた。

「最近、ダドリーは問題起こしてない?」

「魔法薬でネビルと一緒に減点されまくっている以外は特に。」

「あっ……」

 ロンの暗い表情にハリーは触れてはいけない話題に触ってしまったと、言葉に詰まった。ハリー相手でさえスネイプは呼吸をする様に減点していくのにもっと隙だらけなダドリーがどうであるかなんて考えるまでもなかった。

「あ、でもほらグリフィンドールにはハーマイオニーがいるだろ?彼女加点王じゃないか。」

 あせあせと同じ学年の優等生の名を上げる。ハーマイオニーは合同授業の度に得点をもらっている稼ぎ頭だった。

「ハーマイオニー一人対ネビル、ダドリー二人だからさ。焼け石に水なんだ。」

「あーうーんうちのいとこがロクデナシで本当にご迷惑を……」

「ハリーのせいじゃないから。」

 ロンは力なく首を振った。

「ちょっとさっきから話し声が大きいのだけど?」

 少し離れた席からハーマイオニーのこそこそした叱責が飛んできた。

「ビンズ先生のお話を聞き逃したらどうしてくれるの?」

「君以外誰も聞いてないから問題ないさ。一がゼロになっただけ。」

 同室のロンはハーマイオニーのしかめっ面に慣れきっていて、肩をすくめただけで流した。ハーマイオニーがさらに言い募ろうとした時、教卓の目の前に座っているダドリーがフゴッという大きないびきをかいた。

「ほらね。」

「ダドリーを基準にしないでちょうだい。」

 ハーマイオニーは苦々しげに言い捨てると、時間を無駄にしたとばかりにまたノートに齧り付いた。

「グリフィンドールってさ、勇敢とかなんとかいうけどさ、実はマイペースの集りなんじゃないかと思うんだよね。」

「……ちょっとわかるかも。」

 やれやれと手を上げるロンに、ハリーは小声で同意した。

 ロンに愚痴をこぼしたすぐ次の授業がスリザリンと合同だった。陽のさんさんと差し込む温室でスプラウトの受け持つ薬草学を学ぶ。今日は泡草の採取を実習するらしく、一人一つずつ瓶が渡された。中には水がたっぷりと入っている。同じく錆びたナイフも渡された。

「普通の磨かれたナイフやハサミで茎を切ってしまうと、そこから泡の中の気体が抜けますから、必ず錆びたものを使ってください。切り口が潰れ、錆が茎を塞ぎます。」

 ハリーはジャスティンの隣に立って、スプラウトが皆に実践してみせるのをしっかりと観察した。慣れた手つきでさっと茎を切り、泡が潰れないうちにあっという間に瓶の中に入れてしまった。

「あんなに素早く出来ないよね。」

 そっとジャスティンに話しかける。

「そうだね、流石スプラウト先生だ。」

 マグル界出身のジャスティンはハリーにとって話しやすい相手だった。なんでもイートン校を蹴ってホグワーツに来たというのだから驚きである。ペチュニアおばさんが何とかダドリーをイートン校に入れられないかとあの手この手を使って調べていたのをハリーは覚えていた。どう考えてもダドリーには荷が重いと感じざる負えない入学条件だった。

「泡草は身体を軽くする作用があります。皆さんもドルーブルのフーセンガムを知ってますね?あれの原材料の一つです。」

 瓶の中に保存した泡草を生徒に掲げて見せながらスプラウトが説明を続ける。

「へえー。」

 ドルーブルのフーセンガムはホグワーツ特急で購入した記憶がある。あの時はロンに今食べるとほかのお菓子が食べられなくなるからと止められたが、膨らませたら浮けると聞いていた。知識と記憶が結びついて感心してしまった。

「……は、フーセンガムで浮いた方がよっぽどマシだったろうな」

 ひそひそとした笑い声は不意に耳に入ってきた。鉢植えの並んだ台の斜め向かいに立っているドラコがクラッブとゴイルに囁いた声だった。

「それなら箒が折れるなんて無様をさらさなくて済んだのに、気の毒なやつだ。」

 にやっと口の端を持ち上げるドラコに続いて、クラッブとゴイルがぐふふと笑っている。低音すぎて地響きみたいだった。いったい誰のことを話しているんだろうとハリーは少し気になった。ついこの間、飛行訓練が始まったがレイブンクローとハッフルパフに箒を追った生徒はいなかったからだ。

「だけど、ダーズリーが体重で折ったのには笑ったよ。いくらぼろいからと言ったって箒には強化呪文がかかってるじゃないか。」

 ドラコはぽきっと箒が折れて驚愕しながらしりもちをつくダドリーの真似をした。そばに立っていたゴイルがにやにやしながら振動で揺れたように上下した。

「うわぁ!ママ!」

 ダドリーの声真似だろうセリフがドラコの口から飛び出した。情けないいとこの姿が鮮明に思い浮かんでハリーは思わず噴き出した。慌ててパッと口を塞いでまじめな顔を取り繕う。ダドリーは大嫌いだけど、ドラコの悪口で笑ったと気づかれたくなかった。だけどドラコはしっかり聞いていたらしく、次々とダドリーのママ語録を披露した。よくそんなに覚えてるな、と笑いを耐えながらハリーは感心してしまった。

「今度足縛りの呪いでもあいつに試してみようか。ウサギみたいに飛び跳ねて移動すれば少しは痩せるだろう。」

 真面目に泡草を瓶に詰めながらドラコの話に聞き耳を立てていたハリーはにわかに不安になった。いくらダドリーだって理不尽に呪いをかけられるのは可哀そうだ。

 だから授業が終わって芝生を歩いていくドラコ達を追いかけた。

「マルフォイ!」

 急に呼びかけられてびっくりしたのか、ドラコは肩を飛び上がらせた。でもハリーはお構いなしに近寄って行って、彼の肩をたたく。

「あのさ、ダドリーに呪いをかけるのはやめといてくれる?ほら、あの図体で跳ねられたら城が壊れるし……」

 ダドリーをかばうなんて柄でもないことをしているせいで、ハリーは背筋がぞわぞわして視線を左右に動かし、背後に組んだ手をもぞもぞと動かした。

「……確かに、アイツが跳ねたら僕たち安眠できなくなりそうだな。」

 いつもより素直な調子でドラコが頷いた。話があっさり通じてハリーは気が楽になった。

「そうだろ?僕の寮も君の寮も地下だし、地盤沈下したら困るよね。」

 ハリーは大まじめにうなづいた。それを見たドラコの唇が笑いをこらえきれず歪んだ。

「はは、自分のいとこが嫌いなのかい?結構な言いようじゃないか。」

「嫌いだよ!」

 一瞬でもハリーがダドリーを好いてるなんて思われるのが嫌ですぐさま否定する。とうとうドラコは声を上げて笑い出した。

「あははは、聞いたかクラッブ、ゴイル!ハリー・ポッターの”嫌い”だなんてダーズリーは中々貴重なものを持ってる。」

「君にもあげようか?」

 “ハリー・ポッター”というブランド扱いにハリーは鼻の頭にしわを寄せた。

「おっと、僕は遠慮しておくよ。」

「そう?いつでもほしかったら言って。」

「要らないね。君がこんなに愉快だなんて思わなかったな。これまでよりずっと仲良くなれそうだ。」

 ドラコから再度手を差し出されて、ハリーはフンッと鼻を鳴らした。

「君が礼儀正しくしてくれるんなら、良いけど?」

「君こそ、マナーを知らない訳じゃないだろう?」

 小憎らしい笑顔でドラコはハリーを見つめた。ハリーは彼の顔を見、差し出された右手を見た。少し震えている。緊張しているのだろうか。自信満々な態度とは裏腹に笑みもぎこちなくなってきた。なんだかんだ言って、ドラコはずっとハリーと仲良くしたいと言ってきてはいた。どうしようかと逡巡する。確かにドラコはハリーにちょっかいをかけてくるがそれに傷ついた事は無かった。しょうがない、絆されてやろう。そう思って右手を出す。冷たいドラコの手を掴めば、アイスグレーの目が驚愕に見開かれた。

「何驚いてるの?君が握手を求めたんじゃないか。」

「……僕と友達になる気なのか?」

 吐息交じりにドラコが聞いた。ハリーは鼻から息を吐いた。

「何事も試してみないと本当のところはわからないだろう?」

 ぎゅっと握ったドラコの手はまるで力が入っていなかった。茫然とこちらを見つめたままだ。彼は小さな声でお礼を言った。

 今学期初のクィディッチが行われる。ハリーは友人たちと一緒に興奮しながら競技場へ向かっていた。東塔へ続く回廊を飛び跳ねるように歩く。

「クィディッチって初めて見る!」

 わくわくした調子で共に歩く友人に話しかける。

「そうなのね、面白いわよ!」

 魔法使いの家の子であるハンナとスーザンが弾む語尾でクィディッチの見どころを教えてくれた。

「選手はまるで魚みたいに自由自在に空を飛ぶの!」

「ブラッジャ―を上手く打ち返したりしてね、ビーターがクァッフルを狙い撃ちした時は歓声上げちゃったわ。」

「うわー!楽しそう!」

 今日の試合を見るにあたって、マグル界出身者に上級生がゲームルールを教えてくれていた。箒に乗って三つのボールを操るなんて、聞いてるだけで面白そうでハリーは昨日の夜から観戦をずっと楽しみにしていた。

「今日はスリザリンとグリフィンドールだけど、どっちが強いの?」

「わからないわ。スリザリンはプレーが荒っぽいって聞いたけど……」

 ハリーの問いにハンナが頬に手を添えた。

「アーニーが言ってたけど、グリフィンドールはチェイサーが強いとか。」

 同寮の生徒から聞きかじったらしいスーザンがあやふやに答える。

「うちの寮は何が強いの?」

「当然、シーカーよ!」

「セドリックは最高なんだから!」

 ハンナとスーザンが拳を握り、身を乗り出した。詰め寄られたハリーはのけ反りながらうなづく。

「そうなんだ……」

 彼女たちのすごい気迫にハリーはすこし恐怖した。セドリック・ディゴリーのことは知っているが、ここまで人気だとは思わなかった。気づかれないようにそっと一歩後ずさる。

「おっと。」

 トン、という軽い衝撃と気取った声がした。振り返ればちょうど校庭へ出ようとしている一団と視線がかち合った。ハリーの肩を手のひらで受け止めているのはドラコだった。

「やあ、ポッター。面白い話をしてるな?」

「こんにちは、ドラコ。ただのクィディッチの話だよ。」

 友達になると言ったはいいものの、今までの癖がすぐ消えるわけでもない。ハリーとドラコはお互いよそよそしさが抜けないままなんとか仲良くやろうとしていた。少なくともハリーはぎこちないながらも、相手を名前で呼び続ける努力をしていた。

「今日の勝者はスリザリンだって話かい?」

「ううん、セドリックがすごいシーカーらしいよって話。」

 セドリックと聞いた途端、ドラコは露骨に顔を顰めた。

「へえ、僕の寮じゃハッフルパフのシーカーは右と左がわかってるのかも怪しいって評判なんだけどね。」

 嫌らしく片頬を引き上げたドラコに合わせて、背後のスリザリン生たちが野太い笑い声を上げた。

「ちょっと、訂正しなさいよ。セドリックは三年生の中でも頭が良いんだから。」

「そうよ、憶測でものを言わないで!」

「なんて失礼なんだ、君たちは!」

 自寮の仲間を貶されてはハッフルパフ生も黙っていない。ハリーがドラコを責めるより、他の一年生が口を開く方が早かった。ハリーも急いで加勢する。

「そうだよ、ドラコ!そんなことを言う人と僕は友達で居続けられない。」

 ハリーにとって友人はドラコだけではない。ここにいるハンナやスーザン、アーニーだって大事な友人だった。

「おや、手のひらを返すのかい?約束を違えるのか。」

 ドラコはいつも通りせせら笑おうとして、失敗した。ハリーはため息をつく。新しく出来たハリーの友人は性格が悪い上に捻くれているから本当に面倒くさい。また見栄を張っているのが強張った表情から透けて見えた。

 どうやって彼から謝罪を引き出そうかとハリーが思案し始めた時、グリフィンドール生が回廊の端までやってきた。ロンを見かけてハリーは大喜びで手を振った。

 ロンもパッと笑顔になってこちらへ駆けてこようとした。しかし、それは巨大な肉ダルマに阻まれた。ロンとハリーの間に割り込むように、ダドリーがハリーの前に出てきた。

 しかめっつらをして、不機嫌そうに口を歪めている。浅はかなドラコの次は、馬鹿ないとこの相手か……とハリーはため息を深くした。

「ハリー、僕にお前のフクロウを貸せ。」

 ようやくホグワーツに慣れてきたらしいダドリーは、はち切れそうな腹の前で腕を組み、横柄に言った。

「嫌だけど、なんで?」

 ヘドウィグをダドリーに貸すなんて、想像しただけでゾッとする。ハリーは即座に首を振った。

「ママに手紙を出す。こいつのこと、懲らしめてもらうんだ。」

 ダドリーはドラコを顎で指した。(尤も先端が肉に埋もれていて大層わかりづらかったが、ドラコだと思う。)ハリーの口から笑いが漏れる。ダドリーがペチュニアおばさんに手紙で内情を訴えたとして、マグルのおばさんに何が出来るのだろうか。せいぜいマクゴナガルに苦情を出すくらいだし、マクゴナガルは相手をしないだろうとハリーは思った。

 そもそもペチュニアおばさんがどうやってフクロウ便を使うか知っているかも怪しい。もし知っていたのなら毎週ハリーにフクロウをよこしてダドリーの世話をしろと詰め寄るに違いない。……とここまで考えてハリーは気がついた。

 ダドリーがペチュニアおばさんにフクロウを送ったら、まずお叱りを受けるのはハリーだし、入学届け攻撃と同じくらいの手紙爆撃をどうにかしておばさんはハリーに送ってくるだろうと。

 ハリーは内心の焦りを誤魔化すようににっこりした。そのままダドリーに近寄り、軽く腕を叩く。

「彼、僕の友達なんだ。僕からも言っておくから手紙は送らなくて大丈夫だよ。」

「本当に?」

 やけに馴れ馴れしいハリーにダドリーは疑いの視線を向けた。ハリーはそれを真正面から受け止めて、自信たっぷりにうなづいた。

「そもそもダドリーは手紙を書くの嫌いだろ?手間をかける必要ないんじゃない?」

 手紙だけにとどまらず、ダドリーは文字を書くこと自体が苦手なのだが、それを指摘すると怒るのをハリーはよく知っていた。ダドリーの天秤がぐらついているのが見えた。そして、少しの間ののち、「……ちゃんとやっといてよ。」とだけ言った。

 企みが首尾よくいって、ハリーはホッとした。ダドリーを丸め込むのはなかなか難しくて、あんまり難解なことを言うとダドリーは理解できなくて怒り出す。でもわかりやすすぎるとキチンと理解してしまってこれまた怒る。なんとなくわかる……かも?程度に抑えるのは結構大変なのだ。

 北塔から校庭へ移動する。回廊で詰まっていたせいで大勢になってしまった連合一年生軍団を、上級生が物珍しげに見ていた。寮ごとに動くのが普通なホグワーツで、ごちゃ混ぜ状態になることは中々ない。

 冬のカラッとした日差しが緑の芝生をきらきらとさせていた。少しだけ吹きつける木枯らしがローブの襟元から入ってきてハリーは肩を窄めた。禁じられた森の近くにあるクィディッチピッチを目指して生徒たちがぞろぞろと歩いていた。やがて見えてきた目的地にハリーは歓声を上げた。

「うわー!すごい!」

 叫んだのはハリーだけではなかった。まるでRPGみたいな競技場にダドリーもポカンと口を開けていたし、ハーマイオニーもクィディッチ今昔で読んだ通りだわ!と興奮気味にネビルの肩を揺すっていた。

 クィディッチピッチを囲む形で10メートルはありそうな観客席が設置されている。近くまで寄るとそれが木材でできているのが分かった。布の掛けられた入り口から一年生は中に入った。張り巡らされた柱に頭をぶつけないように気を付けながら階段を上っていく。これだけ高い建築物なら少しは揺れるものなのに観客席はしっかりしていて少しもぐらつかなかった。ダドリーが床を踏み抜いて、道連れになって落下するのはごめんだとなるべく距離を開けていたハリーはほっと胸をなでおろした。あとは座席が広くて柵に落下防止の魔法でもかけてあれば、ダドリーの巨体がフィールドに転がり落ちるところは目撃しなくて済みそうだ。

「楽しみだね。」

ハリーは前を歩くロンに背伸びをして話しかけた。成り行きでどの寮もごちゃ混ぜになった一年生はそのまま一緒の観客席に入った。

「うん、ドキドキする。僕の双子の兄貴がグリフィンドールのビーターなんだ。選手だって聞いてたけどやってるとこ初めて見るんだ。」

「へぇ!すごいね!なら僕も応援するよ。」

 フレッドとジョージにはダドリーの件で世話になっている。ハリーはあっさりとグリフィンドールを応援することに決めた。ロンの隣に座って、おすそ分けされたグリフィンドールの旗を振る。

「敗者を応援したいだなんて酔狂だな。」

 ハリーの真後ろに陣取っていたドラコがすかさず口を挟んできた。

「やだ、マルフォイ。負け犬同士お似合いってこと?」

 クラッブとマルフォイの隙間に無理やり体をねじ込みながらパンジーがきゃらきゃら笑った。

「まだ結果はわからないでしょ。」

 最悪の組み合わせとなった背後の席にげんなりしながらハリーは言い返した。ところがそれをどう受け取ったのか、ドラコは訳知り顔になった。

「おや、そうか。ポッターはあまりクィディッチに詳しくないんだな。僕が教えてやろう。」

 そう言いながら組んでいた足を解いて前かがみになる。すでに盛り上がっているグリフィンドールの声援に負けないよう、ハリーの耳元で寮チームの解説が始まった。聞いても無いのにチームごとにどこが弱くてどこが強いからこことここが当たるとうんたらかんたら……とだらだら続いていく。ハリーはもっとげんなりした。まだ試合を見たこともない初心者が箒の特性と乗りこなすのに必要な選手の体格、適正なんかわかるはずもない。

 横で同じものを聞かされているロンもさぞうんざりしているだろうとハリーは彼女を振り向いた。しかし視線がとらえたのは口を挟みたくてうずうずしている親友の顔だった。

「それだと、ビーターの役割が死んでるじゃないか。アイルランドみたいなパス回しで攻めるチームこそ、ビーターが大事だろ。」

 ドラコが息を吸うために空いた間を逃さずロンはとうとう口を挟んだ。

「ビーターが重要なのは基礎の基礎だから説明不要と省いただけさ。そもそもアイルランドはクァッフルにこだわりすぎている。スニッチの点も配慮に入れず、チェイサーだけで攻めるのはどうなんだ。」

「確かにチェイサーが相手のチームのシーカーの妨害をしないのは珍しい戦法だけど、いち早く150点取ればスニッチなしでも勝てる確率がぐっと上がる。」

「150点だぞ?15回もゴールに入れなきゃいけない。その間にシーカーを野放しにしてるのはアホだ。」

「アイルランドはそこをビーターが補ってるんだ。」

「それがバランス悪くて嫌なんだ、僕は。」

 ここだけ炎に包まれたのか、と錯覚するほどロンとドラコのクィディッチ談義は白熱していった。最早ちょっとルールをかじっただけのハリーなんか置いてけぼりで、ナショナルチームの戦法について議論している。

「グリフィンドールがアイルランドならスリザリンはロシアじゃないか。あの重量重視の選出。だから妨害と突進でしか点が取れない。」

「クィディッチは箒を使った格闘技ともいわれるスポーツだぞ?初速こそ遅くてもフィジカルがあれば加速も期待できるし、直線飛行を止められもしない。」

「脳筋!」

 ロンが声を張り上げた。

「なんだと、自己中!」

 ドラコがよろしくない手つきで迎え撃つ。

 親友が勇ましく席から立ち上がったのをハリーは必死で止めた。ドラコはロンの勢いにビビってのけぞっていた。ダサい。

「待って、暴れないで!ここで暴れたら落ちるのはダドリーだよ!」

「え?ぼく?」

 ハリーの前に座っていたダドリーがきょとんとして振り返る。

「ちょっとでも押したら転がっちゃうから!」

「あっ……そうだよね、ありがとうハリー。」

 何とかロンがダドリーの丸さを思い出してくれて、ハリーはほっとした。押したら落ちると言われたダドリーは改めて高さを思い出したようで、椅子から落ちかけていた尻を座面に引き上げた。

 その時ピーッと笛の音が鳴り響いた。声援が止んで人々が姿勢を正す身じろぎだけが静寂を満たした。

 マダム・フーチがボールの箱を持って、競技場の中心に進み出た。ハリーは身を乗り出して、これから始める全部を見届けようと拳を握った。

 箱が蹴って開けられる。瞬時にスニッチとブラッジャ―が飛び出した。ハリーは金色のスニッチが競技場の空高く舞い上がるのを見た。

 もう一度笛が鳴り響き、クァッフルが投げられた。一瞬で何本もの箒が交差する。秒に満たない駆け引きの中、クァッフルを取ったのはグリフィンドールだった。

「アンジェリーナ!!」

 ロンが選手の名前を叫びながら猛烈な勢いで旗を振った。ハリーも一緒に振っておく。

「クァッフルを落とせ―!」

 ドラコも負けじと叫んでいる。観客席は熱狂に包まれ、誰も彼も口々に選手の名前を叫んでいる。ハリーは緑と紅のユニフォームがすごい速さで競技場を飛び回っているのを必死で追いかけた。ボールが何個もあるせいで、チェイサーに気を取られたら、その手からクァッフルをたたき落としたビーターのファインプレーを見逃すし、ビーターがありえない体勢で的確に球を打ったのに感心していたらキーパーのスーパーセーブを見逃した。

「えっ?今までグリフィンドールがボール持ってたのに、スリザリンの得点?」

 この速いゲーム展開になれていないハリーがたまらず声を上げると後ろから解説が入った。

「奪ってそのままロングパスからのゴールだった。」

「なるほど、ありがとうドラコ!」

 先ほどはうんざりさせられたドラコとロンのクィディッチフリークっぷりも試合中ならありがたかった。ハリーが何が起きたかわからず首をかしげていると必ずどちらかが説明してくれたからだ。

 試合が進むうちにドラコがクィディッチを格闘技と言った意味がハリーにもわかってきた。とにかくプレーが荒っぽい。体当たりなんかしょっちゅうやってるし、ブラッジャ―も容赦なく頭や腹を狙ってくる。実際問題、観客席も完全に安全だとは言えず、コースを逸れた選手が吹き飛ばされてきたり、打ち損ねたブラッジャ―が突っ込んできたりした。

そのたびに一緒に座っている先生や誰かが無事に跳ね返しているのだが、選手が飛んでくるたびハリーはひやひやした。

「あっ!!」

 こちらに迫ってくる黒い点を見つけて誰かが悲鳴を上げた。スリザリンのビーターが力任せに打ち上げたブラッジャ―がハリーたちの観客席めがけて降ってくる。

 ハリーは口をぽかんと開けて、何の不運か自分にクリーンヒットしそうなその球体を見上げた。身体が固まってしまって動かなかった。避けようにも意識が警報を鳴らすばっかりで何にもできない。ハリーが頭を下げるのと同じ時間でブラッジャ―は1メートルは落ちる。頭を下げ、腕で抱え込んだ時にはもうクラッシュする寸前だった。

バコン!!

 チリッと何かが髪をかすめた。ハリーはパッと目を開ける。ビーターの持つ棍棒が目の前をさっと通り過ぎた。

「やあ、危機一髪だね。」

 声につられて斜め上を見上げると、そばかすのある明るい笑顔と目が合った。

 フレッドが箒に膝を引っかけ逆さづりになってハリーの頭上を飛んでいた。ブラッジャ―を寸前で打ち返してくれたらしい。彼のユニフォームと赤毛が天蓋みたいにハリーを覆っている。

「あ、ありがと……う」

 お礼を言いながらハリーは自分の顔がみるみる熱くなっていくのを感じた。感謝がちゃんと聞こえたかわからないくらい、声も小さくなってしまった。フレッドはくるっと回転して箒にまたがりなおすとまた試合の渦中に戻って行った。

「うわー、フレッドやるなぁ……」

 閃光のようにやってきて友人を救った兄にロンは感心しきりだった。クィディッチがうまいとは言っていたけど、どうせまた過剰に言ってるんだろうと思っていたら本当に上手かった。

「ハリー、大丈夫だった?」

 手に顔をうずめているハリーの背をさすりながら聞くと、全く別の返答が戻ってくる。

「……かっこよかった」

「大丈夫じゃないね。」

 真っ赤っかになっている親友の様子にロンはなんとなく察してしまった。確かにさっきの兄はかっこよかった。だからまあ、親友が惚れてしまうのも無理はないなと思った。

「……嘘だろ」

 茫然と呟かれたドラコのささやきもロンは偶然拾ってしまって、奇しくも三角関係成立の立会人となった。親友と兄と嫌な奴(クィディッチの話だけは認めてもいい)の三角関係など、誰を切り捨てるのかもうわかりきっている。

 ロンは背後でうなだれているドラコに向かって満面の笑みで合掌した。

「ざまあ。」

 ハロウィンが過ぎ、クリスマスが近づいてきた。立て続けに大きな事件が起こったせいでハリーはあっという間に時間が過ぎたような気持ちだった。

 12月の初めにもなると生徒たちは来るクリスマス休暇の計画を友人同士で語り合い始めた。そこかしこで盛り上がる話題は教科の中で一番つまらないと評判の魔法史の授業中でももちろん登場し、生徒たちを眠気から遠ざけていた。

「ロンとハーマイオニーは家に帰るんでしょう?」

 トロールの一件で一気に絆が深まった友人にハリーが問いかけた。

「その予定よ。両親に学校の話をするのが楽しみ。」

 前は少しでも私語をしようものなら刺し殺す眼光で睨みつけてきたハーマイオニーが静かに答える。

 彼女がいきなり寛容になって、ハリーもロンも初めは戸惑ったが今はもう慣れた。

「僕も帰ると思うけど、ハリーは?」

「聞かれずとも残るよ。ダーズリー家でクリスマスなんて地獄だもの。」

 不運にもダドリーが魔法使いであったから学校でさえ完璧にダーズリーなしにはならなかったが、クリスマスにはきっとダドリーも家に帰るだろう。ハリーは少し楽しみだった。いくら寮が違っても、縦にも横にもデカいダドリーはいろんなところでハリーの視界に入ってくる。彼の存在がハリーとプリベット通りを未だ結び付けているようで嫌だったのだ。

「そういえば、ダドリーが家に手紙を送りたいからってフクロウ小屋の使い方をパーシーに聞いてたな。」

 思い出したようにロンが呟く。

「え?理解できてた?」

 まさかあのダドリーが手紙を出すなんて文化的な行動をするとは思えなくてハリーは驚いた。

「全然。塔の場所を何回説明しても飲み込めないから最終的にパーシーが手紙預かって代わりに出してた。」

「あー、ご苦労様……パーシー。」

 華々しい監督生デビューがダドリーのお世話という不運に見舞われたロンの兄にハリーは同情した。

「僕は小うるさいパーシーをダドリーがひきつけてくれるから万々歳なんだけどね。」

「スペルから教えてたくらいですもの、いつかパーシーは育児ノイローゼ起こすわよ。」

 ハーマイオニーの言いようにハリーは思わず噴き出した。育児とは言い得て妙である。ダーズリー家でさんざん甘やかされてきたダドリーの情緒はぶっちゃけ幼稚園生と変わらないとハリーも思っていた。

 噂のダドリーは本日も教卓の斜め前で高いびきをかいていた。そのいびきを全く気にせずにピンスが教科書を読み上げ続けている。最初は違和感しかなかった光景にハリーはすっかり慣れてしまった。魔法と正反対の位置にいたダドリーがホグワーツに馴染んでいてちょっと変な気分になった。

 休みが近づくにつれ、生徒たちの雰囲気はどんどん明るいものになっていった。ハリーはちょっと気後れしながらもクリスマスに向けて飾り付けられる城の様子にワクワクもしていた。

 校庭は雪で真っ白に染まり、ヒイラギやクリスマスローズが様々な場所に飾られる。玄関ホールにはヤドリギが吊り下げられていて、その下を通るたび、上級生の女の子たちがくすくす笑っていた。

 そんな浮かれた人々の中では落ち込んでいる人間はことさら目立つ。でかいとなると余計に、だ。

「なんでダドリーあんなに落ち込んでるの?」

 ある日の昼休み、ハリーはとうとうロンに聞いてしまった。

「さあ?罰則を受けたわけでもないし、珍しくここ一週間は減点も無し。」

 同じ寮であってもすべてを把握しているわけではないロンはそっけなく肩をすくめた。

 ハリーはこっそりとダドリーの方を見た。相変わらず大皿いっぱいに食事を山盛りにしてバクバク食べている。別に具合が悪いわけでもなさそうだ。それでもマッシュポテトを一山片付けては大きなため息をつき、豚みたいな鼻をすすっていた。目元も心なしか赤い。もうすぐ家に帰れるはずだからホームシックでもないだろうになんであんなにぐずぐずと泣いているのか、ハリーはさっぱりわからなかった。

 ダドリーがチキンに大口を開けてかぶりつこうとした瞬間、後ろを通ったドラコがわざと肘を当てた。どしゃっとダドリーが皿に突っ込む。

「おや、すまないダーズリー。あんまり湿っぽいものだからゴーストかと思った。」

 ハリーには絡まなくなったものの性格は全く変わっていないドラコが白々しく謝る。

 ドラコも懲りないよな、とハリーは呆れた。前に似たような感じでダドリーにちょっかいをだした時は、顔にゆで卵を投げつけられていたのにもう忘れたのだろうか。喧嘩のとばっちりは御免なハリーはそっと目を逸らした。いじめっ子同士頂上決戦でもしてればいい。

 だがハリーの予想とは裏腹にダドリーはむっつり顔を上げ、ナプキンで汚れを拭うとドラコを一睨みしてとぼとぼ大広間から出て行った。

「本当に、ダドリーどうしたんだろう。」

 らしくないいとこの様子にハリーは胸騒ぎを覚えた。

「聞いてみたらどう?」

「うーん……」

 ロンの助言にハリーは腕を組む。正直ダドリーとは関わり合いになりたくない。だけど気になったまま休みを迎えるのも嫌だった。

 ハリーはパッと席から立ち上がってダドリーを追いかけた。

 

 玄関ホールから大階段に至る寸前でハリーはダドリーを捕まえた。

「おーいダドリー、休みは家に帰るんだろう?」

 重そうな体を揺らして階段を上がりかけていたダドリーがゆっくり振り向く。

「……ない」

「え?」

 すすり泣きと共に呟かれた言葉にハリーは耳を澄ませた。

「帰らない……」

「どうして?」

 大きく目を見開くハリーにダドリーはローブの内ポケットから手紙を取り出してその手に押し付けた。

 こじゃれた白い封筒を受け取り、宛名を見る。ペチュニアおばさんの細長い字でダドリーの名前が書かれている。

「読めって?」

 ハリーは眉をひそめた。ダドリーが小さくうなづく。

 封筒を開けて便箋を広げる。そこには文章が二、三行だけ並んでいた。

”今年のクリスマスは学校で過ごしてください。ママたちに時間を頂戴ね。 愛をこめて ペチュニア”

「うわ、君も居残りなの……」

 ハリーが思わず零すと、堰を切ったようにダドリーがすすり泣き始めた。

「ぼ、僕が魔法使いだから、ママはもう僕のこと要らないんだ……」

 嗚咽の間に挟まれる言葉に、ハリーは半目になった。ヒステリックに泣き叫ぶダドリーを冷めた目で眺める。

 どう考えたってあのペチュニアおばさんがダドリーを要らなく思うなんてありえない。帰るなと書いてあるのは主にバーノンおじさんの問題だろうと思った。

 物心ついてからずっと”私のちっちゃなダドちゃん”を目の前でやられてきたハリーにとってはダドリーの杞憂はナンセンスすぎて呆れてしまった。

「おばさんが君を要らないなんて言うもんか。そんなの君がおなかいっぱいでもう食べられないって言うくらいあり得ないね。」

 ため息をつきながらハリーは言った。ダドリーは小さくしゃくりあげた。

「本当か?」

「一〇ガリオンかけてもいい。」

 泣かれ続けるのが嫌で、ハリーは力強く受け合った。ダドリーはいとこの緑の目が真っ直ぐに自分を見つめて微塵も揺らがないのを見て、泣くのをやめた。

 青い目が何か考えるようにハリーの目を捉え、それから下に逸らされた。

「……サンキュー」

 囁かれたお礼にハリーは驚愕した。生まれてこの方ダドリーがお礼を言うところなんて見たことなかった。ましてやハリーに礼を言うなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。

 ハリーはあんぐりと口を開けた。

「君ってTから始まる魔法の言葉、知ってたんだね。」

 全く意味が分からないという顔で、ダドリーが間抜けに首を傾げた。

 ダドリーは魔法界で過ごすようになってどうやら少しわがままが収まったらしいとハリーは今、気が付いた。

 それなら少しくらい親切にしてやってもいいかと考え直す。どうせクリスマスに残る生徒はごく少数だ。避けることが不可能ならうまくやった方がよっぽどいい。

 ハリーはとうとうダドリーを避けるのを止めた。

 クリスマス休暇が始まった。トランクと生徒でごった返す玄関ホールの騒ぎを聞きながらハリーは大広間でロンとチェスをしていた。(なぜかダドリーも隣でゲームを見ていた。)

 そこにハーマイオニーがトランクを持ってやってきた。帰省のあいさつに来たらしい。

「もう行くのかい?」

 盤面から顔を上げてハリーが聞いた。

「ええ。良いクリスマスを。」

「君こそ、楽しい休暇を。」

 ロンが挨拶を返す。ロンとその兄弟は両親がルーマニアに行くのでホグワーツに残ることになったのだ。ダドリーと二人きりじゃなくてハリーはほっとした。

「あれ、ちゃんと調べておいてね。」

 意味深な目配せをしながら、ハーマイオニーが二人に念を押した。

「えー、もう百回も調べたよ!」

 何のことか察したロンがたまらず悲鳴を上げる。

「まだ見てないところがあるわ、禁書の棚よ。」

「無茶言うなぁ……」

 栗毛を翻して生徒の波に入っていくハーマイオニーの後姿を見ながらハリーは呟いた。

「あいつ、僕たちとつるむようになってからどんどん悪になってくよな。」

「……そうだね。」

 ハリーとロンはやれやれと首を振って、ゲームを再開した。

「あれってなんだ?宿題か?」

「ダドリーも宿題の心配するんだね。」

 完璧に存在を無視していたダドリーが割とまともなことを言ったので、ハリーは彼の成長に感心してしまった。

(それもこれも宿題未提出を許さない鉄のような教師陣のお陰である。)(世界最高と名高い教育機関はダドリーでさえもまともにした。)

 初めて過ごすホグワーツでの休暇をハリーは楽しく過ごした。

 一日目はウィーズリー兄弟とハリー、ダドリー、何故か残っていたドラコで雪合戦をした。

「的がデカイとあてやすいな。」などと言いながらフレッドとジョージが流石のコントロールで敵陣のダドリーを雪だるまにしたのでハリーはたまらず大笑いしてしまった。

「中々ユーモアのセンスがあるな。」

 同じく味方側だったドラコが、ニンジンをダーツの要領でダドリーだるまの腹部に刺したジョージに感心していた。もちろん盛大にニヤニヤしていた。

「マルフォイの坊ちゃんに褒められるとは光栄。」

 フレッドが恭しく礼をした。ハリーがドラコを連れてきた時には胡散臭そうに見ていたウィーズリー兄弟もしばらく雪まみれになりながら遊んでいると打ち解けた。

 一番最初にドラコを受け入れたのはロンだった。一緒にクィディッチ論争をしてから、ロンとドラコは互いを認め合ったらしい。スポーツは偉大だ。

 午前中いっぱい雪合戦をしてびしょびしょになった六人は震えながら寮に引き上げ着替えた。それからまた大広間に集まる。グリフィンドールにハッフルパフとスリザリンが混じっているから、大広間でしか遊べない。他の残った生徒達がめずらしそうにハリー達を遠目に眺めていた。

「午後はチェス大会をしようよ。」

 ハリーは楽しくなって提案した。

「いいね、僕が優勝するけど。」

 ロンが自信満々に賛成する。

「ウィーズリーがチェスの名手だとは思えないがね。」

 ドラコは舐めきって鼻を鳴らした。

「僕らの妹を舐めてもらっちゃ困りますな。」とフレッドがドラコの肩に手を置く。

「ウィーズリー家のチェス女王にこてんぱんにされて泣きを見るなよ。」とジョージが威張った。

「チェスよりエイリアンセイバーやりたい。」

 ダドリーがぶつくさと不貞腐れる。持ち込んだコンピュータは入学早々マクゴナガルに没収されていた。

「エイリアンセイバーってなに?」

 マグルの文化に興味津々なロンが勢いこんで聞いた。

「コンピュータゲーム。」

「えーと。画面……動く絵を操作して、襲ってくる敵を倒すんだ。」

 うまく説明出来ないダドリーの代わりにハリーが答える。

「へー、面白そう。」

 ロンが食いついたのでダドリーは本格的にコンピュータを取り戻したくなったようだ。

「休みなんだからマクゴナガルに返してもらおう。ハリー、付き合え。プリーズ。」

 丸くなった(精神的に)ダドリーは命令口調にお願いをつけるようになった。

「ああ、休みなら返してもらえるかもね。」

 プリーズがついたおかげでハリーも腹を立てづらくなった。

「僕はマグルの遊びなんてやらないぞ。」

 嫌そうな顔をしながらも、大広間から出ようとするハリーとロン、ダドリーにドラコもついて来た。

「それなら坊っちゃんはスリザリンにお帰りいただいて。」

 憎まれ口を聞き逃さずフレッドがドラコを回れ右させようとする。

「構いませんよ。僕達とハリー、おデブちゃんでやりますので。」

 ジョージもいそいそと背を押した。

「……見るのは嫌だと言っていない。」

 仲間外れにされる気配を察知したドラコは驚異の早さで前言撤回した。

 六人はわいわい騒ぎながら、職員室へ足を伸ばした。

 マクゴナガルはちょうど職員室でスプラウトとマダム・ポンフリーと一緒にお茶をしていた。ダドリーとハリーが近づいて行って、休みの期間だけコンピューターを返してくれないかと頼むと、少し難しい顔をしたものの返却してくれた。

「休暇が終わる二日前にまた預かります。良いですね?」

 マクゴナガルなりの譲歩にハリーは神妙にうなづいた。

「良いですね??」

 むすっとしてうなづかないダドリーにマクゴナガルが再度聞いた。ハリーは大慌てでいとこの脇腹を抓り、感謝を述べさせた。

 無事にコンピュータを手に入れ、ハリーたちは意気揚々と大広間に取って返した。

 予想以上にエイリアンセイバーは大盛り上がりした。大広間でハリーたちが遊び始めるとあとからあとから見物人が増え、まるでゲームの大会みたいな有様になった。

「横から来てるぞ!」

「あー、上だよ上!どんくさいな!」

 などと好き勝手なヤジが飛ぶ。コントローラーを握っていたドラコはすぐにイラついた。

「そんなにご高説のたまうのでしたら先輩がおやりになってはいかがですか?」と見知らぬレイブンクローの4年生にコントローラーを押し付けた。

 それを皮切りにハリーたちだけで楽しんでいたはずのコンピュータゲームはちょうど大広間に居合わせた生徒全員でやる羽目になった。所有者であるダドリーがすぐさま抗議の声を上げたが、喧騒にかき消された。

「ロン、やれた?」

 ハリーは一番やりたがっていた彼女がきちんと体験できたか気になった。

「うん、2回位。マグルのゲームって面白いね。」

「ならよかった。チェスでもやる?」

「やろうか、ゲーム当分回ってこなさそうだし。」

 ハリーとロンは大盛り上がりしているコンピュータゲームを横目に、少し離れた席でチェス盤を広げた。

 昼のクラッカーで手に入れた新品のチェス駒デビューは中々の惨敗となった。ハリーは清々しく負けて、机に頭をのせた。

「うちの妹は強いだろう、ハリー。」

 ゲームの輪から抜けてきた双子が声を合わせた。

「うん、全然勝てる気がしないよ。」

 脳みそを使いつくしたハリーは弱弱しく微笑んだ。

「そんなに強いなら次は僕と対戦しろ、ウィーズリー。」

 そう言うが早いがドラコはハリーを押しのけてチェス盤の前に座った。

「どのウィーズリーをお望みで?」

 ロンの両脇ににやにやしながら双子が腰かけた。

「真ん中の、ロナルダ・ウィーズリーだ。」

 下手に捻った返事をするとからかわれ続けると学習したらしいドラコが警戒しながら答えた。

「ご指名だぞ、ロン。」

「コテンパンに伸してやれ。」

 双子は思惑が外れてつまらなそうにしながらロンにエールを送った。

「え、う、うん。」

 突然名前を呼ばれてロンは少し居心地悪そうだった。

 ロンとドラコの勝負は中々白熱した。意外にもドラコは堅実な戦法を取り、ロンが攻めづらそうにしていた。

「君、チェス得意なの?」

 ハリーは感心して聞いた。

「チェスくらいしか遊べるものがなかった。」

「不憫……」

 ハリーもあまり遊べるおもちゃがなかっただけにドラコの気持ちがよく分かった。同じものでひたすら遊んでいた過去を思い出す。

「不憫がられる理由がないね。チェスほど奥深いゲームは無い。」

 ドラコは得意満面で言った。

「ちなみに坊ちゃん、それは誰の受け売りで?」

 すかさずジョージが聞いた。

「おじい様……って違う!僕が思ったことだ!」

「おじい様いただきましたー!」

 フレッドが厨房に注文を通すみたいに叫んだ。

「おじい様……」

 ダドリーが楽しそうにぐふぐふと笑っている。いつもドラコに言い負かされているから、双子にやり込められているのが痛快なんだろう。

 チェスも対戦しているうちにギャラリーが出来て、エイリアンセイバーに飽きた生徒たちが参戦し出した。いろんな寮の生徒がごちゃ混ぜになっていて、休みならではといった感じがした。

 ひとしきり遊び終えたハリーは夕食前にいったん寮に帰ることにした。ゲームに熱中しているダドリーとドラコを放って、ロンと双子と連れ立って大広間を出る。廊下の壁にはクリスマスのオーナメントが増えていた。クラッカーの中から出てきたものを好き勝手飾り付けたみたいだ。

「そういえば、どうしてみんなヤドリギの下を通るたび笑ってたんだろう?」

 玄関ホールに吊り下げられているヤドリギを通り過ぎながら、ハリーは独り言を言った。

「それはな、ヤドリギの下にいる人には悪戯していいからだよ。」

 すぐそばでフレッドの声がした。ぐっと肩を引かれて後ろに倒れかかった。

「わ!」

 ぽすんと体が受け止められる。見上げれば楽しそうに笑っているフレッドと目が合った。

「これを君に上げよう。僕たちからハリーとロンへクリスマスプレゼントだ。」

 何かが降ってきて、ハリーは大慌てで顔にかかったそれを取った。

「リボン?」

「可愛い!いっつもセンス無いのに意外だなぁ!」

 同じくジョージからプレゼントをもらったロンが歓声を上げた。ハリーの手の中には紺色のベルベットリボンがあった。淡い朱色で雪の結晶が刺繍されている。

「……あ、ありがとう。」

 ハリーはリボンを強く握りしめた。クリスマスのプレゼントはたくさんもらったけど、ひと際嬉しかった。

「でも、僕何もあげてない。」

「来年よろしく!」

 あっけらかんとフレッドが片手を上げる。

「スネイプのお叱りを逃れるチケットとかが良いな。」

 ジョージのリクエストにハリーは思わずロンを見た。彼女も眉を寄せ、口をひん曲げて不可解な顔をしていた。

「それ、僕にはどうにもできないよ……」

 自分自身もスネイプに目の敵にされているハリーは肩を落とした。

「僕も無理。」

 ロンも潔く首を振った。

 本当は何が欲しいか聞こうとした時、ダドリーとドラコが追い付いてきた。

「おいてくなよ!」

 ダドリーがブーブー文句を言った。

「だって声かけても聞いてなかったじゃないか。」

 ハリーは顔をしかめた。

「僕は一人で寮に帰れないんだ!」

 決して威張る事じゃないのに大威張りで宣言されて、ハリーは脱力した。馬鹿すぎる。

「僕だってグリフィンドールがどこにあるか知らないよ。」

「だからロンに言ってる。」

「ロンに迷惑かけないで。」

 同じ寮だからとロンにお世話になりっぱなしなダドリーにハリーは頭が痛くなった。

 大階段の前で、地下に向かうハリーとドラコはグリフィンドールに帰るロンたちと別れた。

 賑やかなウィーズリー兄弟が居なくなって、ちょっとした沈黙がハリーとドラコの間に落ちた。

 無言で廊下を歩きながらハリーはあちこちに目をやって会話の糸口を探した。そしてアーチになっている廊下の継ぎ目にヤドリギが下がっているのを見つけた。

「ねえ、ヤドリギの下にいる人には悪戯していいって知ってた?」

 今日一日楽しかったねとか君がチェスが強いのは知らなかったな、とか他にもいろいろ会話始め方はあったのに、その時のハリーはどれも思いつかなかった。

 ドラコがぎょっとした顔でハリーを見つめた。瞬時に彼の耳が赤くなる。

「ヤドリギの下にいる人にしていいのは悪戯じゃない。」

 気まずそうに視線を逸らしながらドラコが言った。

「え?本当に?」

 ハリーは首を傾げた。あんまり自然に教えてもらったから、うそだなんて全然思わなかった。

「じゃあ何をしていいの?」

「……ス」

 蚊の鳴くような声にハリーは眉をひそめた。

「え?何?」

「ヤドリギの下にいる人にしていいのはキスだ!」

 顔を真っ赤にしながらドラコが言いきった。熱が伝播するようにハリーの頬に一気に朱が上る。

「あ、そうなんだ、へえ、うん」

 しどろもどろになって言葉を探す。

「教えてくれてありがとう……」

 だけど出てきたのはシンプルな感謝だけだった。

 さっきよりもっとぎくしゃくした沈黙が二人の間に落ちた。ハリーはうかつなことを言ったと悔いていた。男の子相手に話す話題じゃなかったのだ、ヤドリギは。

 道理でみんなあの下を通る度にくすくす笑っていたわけだ。上級生にもなるとそういう会話をするのだろう。きっとあの下でキスした恋人もたくさんいるに違いない。

 フレッドとジョージも当然知っていて、ハリーとロンにはまだ早いと濁して教えてくれたのだ。その気遣いがありがたくも憎らしくもあった。

 だんだんと近づいてくるヤドリギにハリーは落ち着かなくなった。せめて通り過ぎてから言えばよかったのに、僕の馬鹿と自分を責めた。

 突然、ドラコがハリーの腕をつかんだ。

「うわ!」

 驚愕の声が漏れる。同時にドラコを見上げる。しかめっ面が目に入った。

「ど、」

 うしたの。と続けるはずだった言葉は途中で切れた。

「ふふぃたの?」

 ふがふがと間抜けな音に変身して出てきた。ドラコがハリーの鼻をぎゅっとつまんでいた。

「お前にキスなんかするか、バーカ!」

 真っ赤な顔で言うが早いがドラコはハリーをおいて駆け出した。あっという間にヤドリギの下を通り抜けると、アーチの向こう側でベーっと舌を出している。

「バーカ!!バーカ!」

 いつもの豊富な罵倒はどこに行ったのか。ドラコはただ馬鹿とだけ繰り返して、ハリーに背を向けて走っていってしまった。

「バカって言った方がバカ!!」

 その背中に向かってハリーは大声で叫んだ。その声が届いたのか、ドラコはもう一度振り返った。

「……あれ?」

 ドラコの顔があんまりにも真っ赤で、はずかしそうで、向けられたハリーにもそれが移った。

 じゅわじゅわと何かが足元から滲んできて、炭酸水の中にいるみたいにぱちぱちと目の前がはじけた。

「……もうヤドリギの下、歩けないかも。」

 ハリーは何とか真下を避けて、アーチをくぐり抜けると自分の寮に一目散に走った。

 

終わり