Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

やわい屋

ないようであるかもしれない。

2021.02.23 06:26

突然ですが、僕は「伝統」という言葉が苦手です。

ついさっきまで生き生きとしていた雑多な風景に、「伝統」の二文字がついた途端、古く厳かで大切に扱わなければいけない雰囲気が足されてしまいます。別に「伝統」だから、いいと思ったわけじゃないのに・・・と、寂しい気持ちになります。

苦手な理由は、伝統という言葉が、「伝えて、統べる」と書くからだと思ってます。僕は統べられることも、統べることも苦手です。一丸となることはもちろん大切ですが、僕は「一丸となってバラバラに生きる」というモットーしているので、自分に伝わったものを統べたいとは到底思えません。僕はいい加減で適当な人間で、そんな自分が好きなので、そのような大役は身に余るのです。(誰からも頼まれていませんがw)

「伝統」が苦手な僕ですが「伝承」という言葉がとても好きです。

なんとなく「伝統」と比べると二軍の感がある伝承ですがl、僕はこの言葉の優しさに強く惹かれます。「伝わったことを、承る」という言葉には、他者に対する受け身の姿勢、謙虚さや畏怖と同時に親しみ易さを感じさせてくれる不思議な余韻があります。

僕は、自分自身が苦手とする「傾聴する」ということを実践している人に対して憧れを持っています。お世話になっている明治大学の鞍田せんせは、話しているといつも「うんうん。めっちゃええやん」と言ってニコニコ頷いています。その時の、話を聴いてるの聴いてないのかなんだかよく分からない感じに僕はいつも救われています。一緒に何かを観ていても、「おxお!ほんまや!めっちゃいいやん!」と言うだけで、どこがどういいのかとか、何が良いのか悪いのかについて語らうことはほとんどありません。だけど、確かに同じものを観て、同じように良いなぁと感じ入っている確かな感覚はあるのです。もちろん、全く同じことを感じるなんてことはあり得ませんし、別に求めていません。だけれど、確かに同じ流れのものを「承った」という感覚を共有できている信頼感があります。そういうものが見えないけれど確かにあるんです。


さて、最近仲良くさせていただいている人口パーマで精神科医で音楽家の星野概念氏の新刊が発売されました。タイトルは「ないようであるかもしれない。」あぁ、なんて優しい言葉なんだろうと感じ入りました。確か連載時は「ないようである」だったと記憶していますが、「かもしれない」が加わることで、概念さんの人口パーマなお人柄がさらに伝わる言葉になっています。弱さを知っている人にしか紡げないしなやかなで優しい言葉だなと心底救われた気持ちになりました。手元に置いておくだけで気持ちが楽になる気がします。たぶん気のせいだけど、そういうことって案外気のせいじゃないんですよね。

世の中には「あるようで実は”ない”こと」が、たくさんあります。そして、多くの人が、そんなあるようで実は実態のないことを求めたり、崇めたり守ろうとしたりして意固地になって苦しんでいます。わかりやすいことには大抵毒(副作用)があります。早く効く薬とか、過度に甘いものとか辛いものとか・・・そういうものは、わかりやすい面しかこちらに見せてこないので、その裏のヤバさには気がつきにくいものです。逆に、「ないようである・・かもしれない」ことは、言葉にすることも、他者に伝えることも困難です。だってパッと見で意味や理由のないように見えているんですから。


なにかをはっきりさせないということは、実は優しさだったんだと言うことを僕は最近よく考えています。何かを共有するということには変えがたい意味があるのだと思います。それがたとえ煩わしかったり、まわりくどかったり、面倒なことだったとしてもです。そのことを象徴する個人的なエピソードをひとつ書きたいと思います。


 同郷の同級生で、社会に出てから仲良くなった友人Yは、大学時代に勉学が上手くいかず、ふさぎ込むようになっていました。再開した頃、僕はラーメン屋で店長として働いていて、Yはいつも「学校になんて行けなくても、自分の仕事に誇りをもって働いているお前は偉い」と、しきりに口にしていました。僕は僕で、難関大学に合格して、家の仕事を継ぐために資格習得に勤しんでるYのことを心から尊敬していました。

塞ぎ込んで持ち前の明るさをどこかに置き忘れてしまっていたYとは、彼が地元に帰ってくるたびに遊ぶような仲になりました。そもそもは共通のポンコツな友人に二人して痛い目に合わされたことで被害者意識?で急速に仲良くなったのですが、その話はおいておきます。

「帰ってくるよー。」と連絡があれば落ち合って、カラオケやゲーセンでクイズゲームを何時間もやっていました。でも、ある時からYは二人でいても全然喋れなくなりました。僕はYの実家まで車で迎えに行く時には、到着する30分前に「もうすぐ着くよ。準備できたら降りてきて」とメールを入れてるようになりました。出がけになって「ごめん・・今日はやめとく・・」となることが多くなっていたからです。「今日無理・・」となった時に家の前にいたら気まずいと思い、すぐ行ける距離のコンビニで待機していて、連絡がきたら「ごめんごめん寄り道してちょうど今着くところー」と返信をして、「無理・・・」となったら、「まだ着いてないから気にしないでー」とだけ言って家に帰っていました。

運よく家から出てきて車に乗っても、「お疲れさーん」から2、3時間ぼーっと前を見て黙っていることも度々ありました。そんな時、どこに向かうでもなくあてもなく車を走らせて、Yがハッとして「あ、ごめんごめん今日これからどうする?」と言いだすのをただただ待っていました。今思い返してもあの沈黙の時間はなんとも言えない時間でした。時折MIXCDを入れ替えながら彼がここに戻ってくるの待つ時間が、僕はなんだか愉快でたまらなかったのを思い出します。いまでも、あの時意味もなく走った山道や誰も歩いていない商店街を通ると懐かしく思い出します。おかげで彼の家からぐるっと周回するルートを複数覚えることになり、街に出た際に到着時間を調整するのがうまくなりました(笑)

あの時のYは確かに助手席にいるのに、まるで、そこにいないようでした。あぁ、きっと妖怪とか幽霊ってこんな感じなんだろうなぁ・・と感じたことを今でも鮮明に覚えています。「そこにいるのに、まるでいないようで、でも確かにいる」僕はそんな存在を乗せて車を走らせていました。

 ここだけの話・・・でもないのですが、実は僕はYに対してコンプレックスがありました。中学時代に好きだった子がYのことを好きだと知っていたからです。くっそー!という、ライバル心もありましたが、こちらはいじめられっ子で不登校児、かたやYは当時流行ったスラムダンクで例えると「流川 楓」的なクールな二枚目でおまけに学業も優秀な完璧クソ野郎でした。好きだったあの子とYが付き合ったかどうかは知りませんが、彼は僕からしたら中学カーストの勝者。成功者のシンボルでした。そして、そんな彼が落ち込んで辛そうな時に偶然僕らは再開しました。運命のいたずらですね。

塞ぎ込んでいた時期をなんとか乗り越えて、難関の国家資格にギリギリで合格したと電話がかかってきた時、僕は仕事でラーメンを作っていて、スタッフに「店長!早く現場に戻ってください!」とマジ切れされながら、「この電話だけは絶対に出ないとダメだからすまん!」と謝って裏口から外に出て、泣きながら祝福しました。今も書きながら涙ぐんでいます。その年は2011年で、合格したら僕らの結婚式に来れる。不合格ならごめんけど出れない・・・という究極に辛い状況で、しかも自己採点で落ちていると勘違いしていたYに、僕はどう声をかけたらいいかわからないくらい落ち込んでいました。

そこからの奇跡の合格です。電話がかかってきたのは深夜で、「この電話に出なかったらあいつ死ぬかも・・・」と思って、恐る恐る電話に出ました。あの時の電話は本当に緊張と緩和がものすごくて、もう、よかったなぁよかったなぁと一緒に泣いて、泣きながら戻った僕を見てスタッフがあんなに泣くなんて大変な不幸があったに違いない・・・と勘違いして、すごく優しくしてくれたことを本当に申し訳なかったなと思い出します。

いまでは立派に家業を継いでいるYは、あの時のお返しだ!と、いつもお酒をおごってくれます。「困ったことがあったらなんでも言えよ!」と、そういう彼の姿に僕は力をもらっています。別に特段趣味が合うわけでもないYのことを僕は心からの友達だと思っていますが、それはひとえにあの時の無言のドライブを共有していたからでしょう。

あの一見すると不毛なだけの重ねた時間は、「ないようであるかもしれない」確かに存在した時間でした。シングルプレイのクイズゲームを二人でやって、狭い椅子に二人でギュウギュウに座って、交互に答えを入力して押し間違えたと爆笑したり、特定のジャンルのクイズにやたら強いYに対して「こいつ意外とオタクだったんだなぁ」と感心したことを今でも思い出します。多分どちらかが死んだとき思い出すのはあの深夜の無言ドライブとクイズゲームで間違えて打ってしまった答え「ハチミジ」のことなんだろうなと思います。


さて、僕とYとの話は伝統にはなり得ませんが、僕はこの話を自分の妻やYの奥さんに伝承しています。いつかYに子供が産まれたら、絶対この話をすると思います。「お前のお父さんだってダメな時があったんだから、お前も大丈夫だよ。」と、そう話すことでしょう。あの時期の話は、とびきりチャーミングな失敗談として、僕とYの特別な時間の話として、僕とYを繋いでいます。それは、僕という存在を語る上で欠かすことのできない「ないようであるかもしれない」大切なエピソードです。

・・・概念さんの新書の紹介を書こうと思って筆を持ったのに、気がついたらYとの思い出話になってました!「ないようであるかもしれない」は、ミシマ社から絶賛発売中です!是非ともお買い求めの上、心のお守りがわりに本棚にしのばせてください。読むと、きっと概念さんが好きになりますよ。そして、ダメダメな自分のことだってほんの少し好きになれますよ。