そんなの本当の恋じゃない。
☆
なんというか、「自分を受け入れる」ということが前提にないと、
本当の意味で人を好きになることなんてできないと思う。
何故なら、自分を受け入れていないと、単に自分を受け入れてくれる人ばかりを好きになるからだ。
「自分を受け入れてくれるから好き」だとか、「話を聞いてくれるから好き」というのは、
「お菓子をくれるから好き」とか「欲しいものをくれるから好き」、
と言っているのと同じようなもので、そんなのは本当の「好き」じゃない。
カフェでお茶をしていると、ばったりある人に会った。
その方は私の家族の知り合いの40代の男性で、私は以前に二度会ったことがあった。
話が長くなるので要点だけ書くと、その二度会った際にいろいろな話をしたのだけれど、
彼の話を聞いていると会話の端々から、様々な悩みや苦しみが見て取れた。
また同時に、「人に分かってもらいたい」、「人から受け入れられたい」という思いを強く感じた。
(本人の許可をいただいたので書くと、長年うつ病を患っているとのことだった。)
またその際に彼は、「そよちゃんは自分の話を聞いてくれるから好き」とか、
「そよちゃんは自分を受け入れてくれたよね」というようなことを言っており、
私はそれを聞いたときに違和感というか、ある思いが湧いたのだけれど、
きっかけが掴めずそれを伝えることができなかった。
それから半年ほど、彼に会うことは全くなかったのだけれど、
私がカフェでお茶をしていたら、ばったり遭遇したのだった。
そんなわけで彼が私の隣に座り、話をする流れになった。
ただなんとなく世間話をして別れることもできたけれど、
私はばったり会ったからには真摯に向き合おうと思った。
「実は前、そよちゃんのこと好きだったんだよね」
なんの話の流れでかは覚えてないけれど、会話の途中に彼がそう言った。
以前に彼が私に好意を持っていたことは(何となく)知っていたので、私はそれを聞いても驚かなかったけれど、
その代わりに私はそれを聞いた瞬間、腹の底から「違う!!!」と強く思った。
そんなの本当の恋じゃない!!
伝わるかどうかは分からなかったけれど、私は伝えなければ腹の虫が収まらないと思ったので、
正直に思ったことを言ってみることにした。
「あなたは私のことなんて、本当は好きじゃないんだよ。
あなたは自分を深く受け入れてくれる人を好きになっただけ。
だから、あなたが本当に欲しいのは自分への受容だよ」
そう私が言うと、彼は一瞬ぽかんとした表情になり、
そしてその一瞬の間ののち、彼の表情はまるで何かの謎解きが解けたかのように変わった。
「ああ、そうか!!」
私の何が好きなのか。
それは、私といる時の気分が好きなのだ。
(彼の発言などから)私が察するに、彼が私を好きだった理由は、
私といると、受け入れられたような感じがするからとか、分かってもらえたような感じがするからとか、
心が落ち着くからとか、自由な気持ちになるからとか、そういうような理由だったのではないかと思う。
その場合、その彼が真に欲しているのは、
自分への理解であり、自分への受容であり、心の落ち着きであり、自由な気持ちだ。
つまり彼は、自分の中に欲しい要素を人に見て、それを好きになっただけだ。
そしてそれを他者(私)に求めていた訳だけれど、
それを自分に与えることができるのは、ただひとり自分しかいない。
「だから、あなたが私に見ていたのは虚像なんだよね」
最後に私がそう言って、それからしばらくしたのち、彼は納得したのか、
すっきりした表情で、「そよちゃん、ありがとう!」と言って帰って行った。
今回、「受け入れる」という言葉が出てきたので、人を「受け入れる」ということに関して書きたいと思う。
まず根本的に言えば、人を受け入れる、人から受け入れられる、というのは幻想でしかない。
何故なら人は他者を通して、自分を受け入れたり、拒絶したりしているだけだからだ。
例えば私は、「ダメな自分」だとか「できない自分」だとか「人と違う自分」だとかいうのを大体において許しているので、
(正確には許すというより、物事に良い悪いはないと思っているので。)
人の中にそういう面を見ても、別に大してなんとも思わない。
(食べ物の好き嫌いと同じように、好みはあるけれど。)
その、なんとも思わない感じ、別になんでもいいんじゃない、という感じが、
相手からすると受け入れられたように感じるのかもしれないけれど、
私は単に、自分のそういう面を許しているというだけだ。
つまり、人を受け入れられるか、受け入れられないか、というのは、
自分への度量をそのまま映し出したものに過ぎない。
だから対人関係というのは、どこまで行っても、
自分との関係を映し出す、対自分関係なのだと思う。
最後に、一番伝えたいことを書いて、この話を終わりにしよう。
私を含め多くの人たちというのは、このような「偽物の恋」をしている。
その対象は、人だったり、物だったり、夢だったりするけれど、
多くの人は自分の本当の願いに気づかず、それを象徴するような「虚像」を追い続けている。
けれど、蜃気楼のオアシスが旅人の喉を潤さないように、
実体のない「虚像」が私たちを幸せにすることはない。
だから私たちは「虚像」に焦点を合わせ一喜一憂するのではなく、
自分の心と真に向き合い、自分が本当に望むものを、自分に与えてあげるべきだと思う。
そしてそれこそが、自分に対して与えることのできる最高の贈りもの、
そして「愛」なのではないかと思う。