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芝居について考えていること①

2021.02.24 13:43

タイトル「①」とかつけちゃったけど、②以降が今後存在するかは不明です。


お芝居を作るにあたって何を大事に考えているかというと、『私がその芝居に初めて出会った時に感じた感動や衝撃を他の人にも体感して欲しい』、ということです。

ある団員は、それを「共感」と呼びました。

そういうことだと思います。


そしてその裏で私が企んでいることは、『この芝居を観た人の人生に爪痕を残したい』ということです。

それはその人の人生の中で1番思い出に残る芝居にしたいとか、そんな大それたことではなく(そうだったら大変幸福なことではありますが)、ふとした瞬間に「あれ、これ前観た芝居でも言ってたな」とか、ワールドカップの度に「冷めたスパゲティ」を思い出すとか、そういう小さなこと。

その人の人生の小さな小さな躓きになれればと、そう思っています。


そして、今日お風呂で考えていたことは、私は満たされている時に創作できないということ。

「脳噛ネウロ」という漫画にアヤエイジアという天才歌姫が出てきます。

彼女は、世界に一人ぼっちだと感じていないと歌えないという、なんとも悲しい歌姫で、歌うために最愛の人物を2人も殺害してしまいます。

少しわかるなぁと、今更ながら思いました。

何かしら充実している時、或いは満たされていると感じている時、私は芝居から気持ちが離れています。

芝居や映画を観たり本を読んだりは勿論できますが、「芝居を作ろう」という気持ちはあまり起きてこないのです。

逆に、日々苦しいことや悲しいこと、淋しさやるせなさなどが積もり積もってもう壊れてしまう、みたいな時は、無性に芝居がしたい何かしたい何か発信したい作りたいという気持ちに駆り立てられます。

だからかな?なんとなく、選ぶ脚本がお気持ち芝居になりがちです。

コメディを演出できる気がしないのは、創作意欲の源泉が負の感情だからでしょうか。


始まりはマイナスエネルギーを発端とした創作意欲ですが、始まってしまえばとっても楽しいのです。

「クソが!」とか思いながら稽古したりとかはしてません(自分の不甲斐なさに「クソが!」と思うときはあります)。


本番が近付くにつれ、稽古の最後の追い込みとスタッフ作業の追い込みが私を待ち構えていて、本番前の私はさながら読書感想文と1ページも書いていない絵日記が残された8月31日の夜10時、というのが毎度の光景。というか毎度すぎてもはや風物詩。

そんな訳で、本番前には精神と肉体をかなり消耗しているようで、その時はそのことに全く気付かない、というか私は自分の限界が何処にあるのかを全く把握できていないので気付けないのですが、そんな私でもふっと「今、命が削れている!」と感じる瞬間があります。

そして、私はその瞬間が大好きなのです。

阿呆なのです。


話は逸れましたが、私がもし芝居を離れるようなことが今後あるのであれば、それは私が心から満たされたときなのでしょう。

そんな日がいつか私にも来るのでしょうか。


でも私はきっと芝居を辞めることはできないんだろうなと、何処か覚めた目で私を見つめる自分が心の中にいます。


心満たされて芝居を辞めてしまうのが先か、

大好きな芝居をして命が削れきって死ぬのが先か。

まあ、どっちでもいいです。


取り敢えず、もうすぐ芝居をしますので、よろしくお願いします。

ご近所の梅が咲いていました。

気付けば桜も咲いているんでしょう。

遅いのに早い時の流れに、自分も歳をとったのだなと感じます。アラサーですもの。


牧野