パラレルワールドとか。
パラレルワールドとは
ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空とも言われている。 そして、「異世界(異界)」、「魔界」、「四次元世界」などとは違い、パラレルワールドは我々の宇宙と同一の次元を持つ。
らしい。
確かに実際にあってもおかしくないのかも。
関係ないけど、
自分の世界に別の自分がいるというのは、
きっと思った以上に難しいと思う。
ある人にはA世界の自分が、ある人にはB世界の自分が見えていると。
例えばこのブログも。
同じ自分でも、
A世界の自分が書いていると思う人と、
B世界の自分が書いていると思う人で、
このブログひとつとっても感じ方が別物になるし。
パラレルワールドともまた違うけど、
文章を不特定多数が見る場で書くというリスクは常にぬぐえない。
それでも、例えばB世界にだけを向いて書かないといけない。
どちらも配慮していくと、どちらにも意味のないものに。
閉じていない空間で主語を明確にせず話すことは、
必ず人に嫌な思いをさせる覚悟がいる。
別にパラレルワールドじゃなくても、
自分がいくつもあるというのはあることな気がしてくる。
誰かから見た自分と、誰かから見た自分が違う。
そんなのは当たり前の話。
パラレルワールドの自分が同時にいたとして。
Aの自分と会った人が、Bの自分に会って話した言葉を、
Bが受け入れるほかないというのは、Bにとっては難しい。
例えば、
人からつらい言葉をかけられた時。
かけた人がどうでもいい人ならスルーするだけ。
そんなのはなんてことないけど。
それが大事な人だったら。
スルースキルなんて磨かずに素直に落ち込むだろうし、
それはきっと自分が悪くて、落ち込むべきことでもある。
でもそれが。
大切な人が怒っている理由が、
Aの世界の自分のことだったら。
B世界の自分ができることはなんだろうか。
厳しいことを言ってきた人はもちろん全く悪くない。
B世界の自分の行動が、A世界の自分と紐づいたとき、許せないんだから。
じゃぁA世界を作った人。A世界の自分をB世界に連れてきた人がいたら。
きっと何か理由があるから、その人だってけして悪くない。
となると、やっぱり悪いのは自分。
Aの自分も自分なのだから。
そう受け入れるのがきっと一番楽なのだけど、
A世界の自分がどういう人になっているのかわからないから、
何の行動がNGか判断することもできない。
そして実際のところ、B世界の自分はあまり悪くなかったりもして。
ウソを受け入れてスッキリした気になるのも、
誰に対しても愛でもなんでもなかったりして。
自分が2人同時にいる世界に生きるというのは、
きっととても大変なんだと思う。
パラレル系のおはなしだったら、
最初は本当にパラレルワールドの設定で進めて、
この世界にいるもう一人の自分がいる世界観でずーっと進めるんだけど、
実はそれは本当に存在するもう一人の自分ではなくて、
誰かが意図的に作り出した自分の姿で。
誰かがこの世界にもう一人の自分を作り出して、
その人の周りの人たちもその世界の自分を本物だと思っていって。
いずれそっちが本物で自分が自分として生きることができなくなって、
大切な人たちからどんどん嫌われて、
この世界に居場所がなくなるみたいな。
でも、そんなもう一人の自分を作り出した誰かも、
その人の視点に立つと、理解できてしまうような理由があって。
加害者はみんな被害者から始まるっていう感じのお話ですかね。
まぁなんか、王道というか、アレだな。
とりあえず
簡単な善悪とか、こうあるべきみたいな話よりは、
多面的に見た善悪、全員が悪くて全員が悪くない。
許せないとか、仕返ししたいとか、
自分を守りたいとか、他人を守りたいとか、
そんな気持ちの良し悪し。
いろんな感情が混ざって、何とも言えないようなラストになりそう。
今日もまた意味のない文章を書いた。
いつもありがとう。