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狩猟体験記

2021.03.09 04:37

人生のうちに、こんな経験ができる日は何日あるだろう。

そう思えるほど、充実した貴重な一日だった。


人間はすぐに大切なことを忘れる生き物だから、この記憶を残すためにもここに綴ります。





「狩猟」という言葉はもちろん知っていたし、そういう世界があることも頭ではわかっているつもりだった。

けれど、それをもっと身近に感じさせてくれたのはMさんのおかげだ。


ひょんな事から出逢い、世界を旅しているということや星野道夫さんに影響を受けているという共通点があることから仲良くなった。

歳は離れているが、カウンター越しに夜遅くまで僕の知らない興味深い話を聞かせてくれる。

先日は店で「旅」をテーマにしたトークライブもやってもらった。



そんなMさんがライフワークとして行っているのが狩猟だ。

Mさんが綴る狩猟記を読んだり、話を聞いているうちに興味が湧き、いつか一緒に連れて行ってくださいとお願いしていた。


12年ほど前からカナダのクリンギット族というインディアンの元に通い、

ライフスタイルや自然と共に暮らす生き方を学んでいるという。


Mさんは自身が猟をするだけでなく、

狩猟を通して「命の頂く」とはどういうことなのかを伝える

『猟育』というものに力を入れている。

これまで多くの狩猟未経験者を連れて猟を行っている。


数か月前から予定を組んで、

僕もいざ狩猟に同行させてもらった。



※Mさんのnote『Wannabe Indian

→文章力にも長けており、狩猟に行ったことのない方でも世界観が伝わると思います。

是非読んでもらえると嬉しいです。



==================


起床は午前4時。

普段布団に入る時間がこのくらいだから、起きた時は妙な感じがした。

雪予報と聞いていたが、カーテンを開けると雪は降っておらず、静かな夜明け前だった。


午前5時。この日共に狩猟に同行するプロカメラマンHが車で迎えに来てくれた。

Hとは店で知り合い、同い歳で世界一周を経験しているということもあり

意気投合し、今では一緒に写真展をやったりプライベートでも親しくしてくれる仲間だ。

Hは今期3度目の狩猟同行で、今回は「雪の中で力強く生きる雄鹿」を撮影するのが目的だ。


Mさん宅に着き、必要な道具を積み込んで目的地へと向かう。


石狩方面へ車で1時間と少し。

海が見え始めたころには、東の空がうっすらと明るくなっていた。

前日に雨が降っており、雪がだいぶ溶けているとのこと。

助手席に座るMさんがフロントガラスから道路脇の斜面を覗き込む。

普段よりは少ないが、すでに鹿がいるという。

周りにはまだ民家が並び、こんな人間の生活圏でも鹿が生活しているのだなと思う。


午前6時過ぎ。目的地に到着。

車を止めて道具を取り出し、準備に取り掛かる。

雑談しながらガサゴソやっているとMさんから

「もうすぐそこに鹿がいるかもしれない。準備は静かに」と注意を受ける。


まだ山に入っていないからと緊張感もなく準備をしていたが、

もうすでにこの時点で狩猟は始まっているのだと身が引き締まった。


準備が整い、なだかな斜面を歩き始める。

僕とHはスノーシューを履き、Mさんはゾンメルスキー(スキーの裏側にアザラシの毛が付いた山歩きに適したスキー)を装着している。

前日の雨の影響か、雪が固く歩く度に「ザクッ、ザクッ」と足音が響く。

スノーシューの僕らとは違い、Mさんの足音は静かでゾンメルスキーが狩猟に適しているということを垣間見る。




しばらく木々も少ない開けた山道を登る。

時折Mさんが立ち止まり、注意深く何かを観察している。


なるべく足音を鳴らさないように後ろをついていく。

スノーシューの扱いに気を取られていたが、

ふと周りを見渡せば、そこには動物の足跡が点在している。


車に乗って鹿を探す猟を「流し猟」、

山の中を歩いて自分の足で鹿を探す猟を「忍び猟」と呼ぶ。

目や耳の良い鹿を探すには、字のごとく忍者のように音を立てず鹿に忍び寄る必要がある。

山を歩きながら、これが忍び猟と言われる所以がわかった。



Mさんは雪に残る足跡を頼りに、どこに鹿がいるのか、

どのように歩けば鹿に気付かれずに近くに寄ることができるかを考えているようだった。

この日は風も強く、冷たい風を嫌がる鹿がどう動くかも読んでいるという。

足跡、風、地形、観察することはたくさんあるのだ。


鹿が僕たちの存在に気付いている場合、上へ上へと逃げていくこと。

足の細い鹿にとって深い雪の上では埋まってしまうため、なるべく歩きやすい道を探して歩くこと。

それを獣道と呼ぶことなどを教えてもらった。


自分なりに辺りを探してみる。

しかし一向に見つからない。

この山の中に本当に僕ら以外の生き物が存在しているのかと疑問に思うくらい、

山の中は静かだ。


しばらく歩いていると、どちらかが鹿を発見したという。

そこにいるというポイントを教えてもらい、注意深く目を凝らすが全くわからない。

えらくデカい望遠レンズ付きのカメラを持っているHが、鹿を撮影してその場で写真を見せてくれた。

確かにいる。木々の間に一匹、こちらをまっすぐ見ている。

肉眼ではほんの数ミリ。

事前に借りていた望遠鏡を通しても見ても、なんとなくいるような。


どうしたらそんな遠くの鹿を探せるのか、何を頼りに鹿の存在を見つけたのか。

この時初めて二人の凄さを実感した。

Mさんは兎も角、Hも3度の狩猟同行を経て成長しているのだろう。




僕はといれば、自分だけその鹿の存在をこの目で捉えられなかった悔しさもあり、

絶対に見つけてやる!とこれまで以上に周りを注意深く観察して歩く。

が、まずどこを見ていいのかすらわからず、ただキョロキョロしているだけだった。



だんだんと標高も上がり、後ろには海が見えてきた。

周りには小高い山々の層が連なっている。


また、鹿を見つけたという。


その方向を見ると、いた。

今度は肉眼でも確認できる。

向かって左側の稜線の端から数匹の鹿が列をなして歩いている。


陽が登ってくる時刻だったのか、鹿の群れの背景に光があたり、

なんとも美しいシルエットだった。




まだ他の群れも続いてくるかもしれないとMさん。


すると本当にその後ろからゾロゾロとほかの群れが続いてくる。

その姿に見とれていると、Mさんが脇に抱えている猟銃を構えた。

銃を構えたら耳を塞ぐよう言われていたので、両手で耳を塞ぎ、

銃口の先の鹿の姿を見ていた。


「パーンッ」

静かな山中に銃声が響く。


陽の光を背に、飛び上がる一匹の鹿のシルエット。

当たったようだ。



鹿が弾を受けたポイントを目指す。

山中のため道には起伏があり、そこに行くまでにも数分かかる。

先ほど打たれた鹿がどうなっているのか。

そこに倒れている場合、とどめを刺して解体がはじまる。

心の準備もできないまま、恐る恐るMさんに続く。


その場に着くと鹿の姿はなかった。

確かに飛び跳ね、当たったように見えた。驚いただけだったのだろうか。


周りを観察してみる。

少しずれた場所に赤い血痕が見つかった。

白い雪の中に残る鮮明な血の赤。

もっとたくさんの血が飛び散っているのかと思ったが、自分のイメージよりは少ない。


血の跡を追う。

海が一望できる素晴らしい景色を見ながら、稜線を下っていく。

ついさっきまでここを歩いていた鹿の群れの足跡が続いている。


血はずっと続いているわけではなく、飛び飛びで、途中止まったであろう場所には血が溜まっている。


通常、打たれた鹿は数百メートルのうちに動けなくなったり、

休み休みで逃げていくと聞いていた。

しかし、しばらく歩いても鹿はいない。

Mさんに聞くと内臓を狙って銃を撃ったとのことだったが、

もしかしたら違う部位に当たっているのかもしれないと思った。


半矢の鹿(弾をくらって逃げる鹿)は、なるべく早くとどめを刺してあげたい。



そのうち、血のついた足跡は歩きやすい稜線をはずれ、海側の急な斜面へと向かっていく。

ここでゾンメルスキーを履いていたMさんがスノーシューに履き替えた。

スキーは僕の背負子に括り付ける。


斜度がきつい。崖と呼べる傾斜だ。

「この道を追っていくのか」と心の中でつぶやく。

そして、こんな斜面を手負いの鹿は歩けるものなのか。




自分で鹿を探す余裕などなく、必死にMさんに続いていく。

稜線を越える時には、その反対側に鹿がいる可能性があるため、音を立てず

そっと反対側の斜面を覗き込む。


そんなことを何度か繰り返すうちにMさんが先ほど撃った鹿を見つけたという。

教えてもらった場所を見ると、木の陰に鹿らしい存在を確認できた。




この時「キャンッ」という鹿の警戒音を初めて聞いた。

Mさんの狩猟記などで読んではいたが、本当に「キャンッ」と鳴くのである。


これでやっととどめを刺してやれるという想いと、本当に鹿の命を絶ってこの手で解体するのかという想いが交差する。



そんなことを考えていると、鹿がまた逃げたという。

血を流しながらまだそんな力が残されているのか。

銃を撃った場所からかなりの距離を逃げているはずだ。



また追跡劇がはじまる。

再び血の付いた足跡を追って斜面を登っていく。

ところどころ緩やかになるが、また険しい崖へと足跡は続く。


さっきの崖よりも傾斜が増し、

さらに雨の影響なのか足場が悪くスノーシューが雪に引っかからず上手く登れない。

平坦な場所では役に立つストックも邪魔だ。

Mさんのゾンメルスキーも周りの木に引っかかり、うまく進めない。


時々Hと顔を見合わせ苦笑いを交わす。

疲れてきた。



けれど、ふと思う。

あの鹿は弾をくらった状態でこの険しい道を必死で逃げている。

生への執着。

それを思えば、五体満足で追っている自分の疲労なんか屁でもない。

そんなことを考えながら必死に登っていく。



人間のかさぶたと同じく、鹿の血も次第に止まってくるようで、

だんだんと血の跡が薄くなってきた。雪も降っている。

血を探すのがより困難になってくる。


「逃げられるのか」と思っていると、ふとMさんが立ち止まる。

どうしたのだろう。鹿が見つかったのか。


近寄って聞いてみる。

「携帯を落とした」とMさん。



まさかの展開。

ここで猟は終わってしまうのか。


ひとまず冷静になって考える。

Mさんの仕事柄、携帯電話を無くすという行為は絶対にあってはならないことらしく、

それを聞くと尚更このまま猟を続ける訳にはいかない。


Mさんの携帯を探そうと提案した。

もちろん半矢の鹿の事は気になるが、仕方がない。

それに3人で必死に探せば見つかる気がした。

来た道を引き返す。


さっきまで必死に鹿を探していた道を戻り、今度は必死に携帯を探す。


途中申し訳なさそうにしているMさんに、僕が過去に体験したエピソードを話した。


昔タイのパタヤというビーチで、水中でも使えるデジカメを海に落とした。

旅のデータがたくさん入った大切なカメラ。

海も濁っているし、どこに落としたかも検討もつかない状況。

2時間くらい必死に探したが見つからず、あきらめて海から上がろうとした時、

足に固いものが当たった。僕のカメラだった。


Mさんの気持ちを少しでも明るくしようと語ったエピソードだったが、

それを言った数分後には、そんな話しなければ良かったと後悔した。



来た道を戻るといえば簡単だが、登る時より下る方が何倍も大変なのだ。

半ば転げ落ちる格好で下りながら

「こんな広い山で、あんな小さい携帯が本当に見つかるのか」と考えは変わっていった。

Mさんの携帯を探すどころではなく、滑落しないよう自分の身を守るのが精いっぱいだ。


またHと顔を見合わせる。

Hも苦笑いを浮かべながら必死に尻もちをついて転がっている。


Mさんは先を行く。


30分くらい下っただろうか。

ふと前の方からMさんの大きな声がした。


「あったぞ~!!!」


奇跡だと思えた。

こんな広い山の中で、あんな小さなものが見つかるのだ。

山は縦横無尽に広がり、高低差もある。平坦な海でものを探すのとはわけが違う。

そんな中で見つけた。

Mさんと喜びを分かち合いたいと思い、

必死で近づこうとするが足場が悪くなかなか進まない。


やっとMさんのところへ着くと、

「っしゃー、鹿追うぞ!」ともうすでにハンターモードに切り替わっていた。


さすが、こうでなくちゃ!


半矢の鹿が見つかるかもしれない。

もし見つからなくても他の鹿に出逢えるかもしれない。

ここまで来たら、とことん狩猟の世界を体験してみたい。

身体は疲れていたがアドレナリンが出ているのか、また鹿を追えることに喜びを感じた。




作戦を考える。

今戻ってきた道を戻るのではなく、この場所からさっき戻り始めた位置まで

最短ルートで登っていこうということになった。

つまり、また崖である。


気持ち新たに登りはじめる。

傾斜はさっきよりきつくなる。ストックよりアイゼンがほしいくらいだ。

そこら中に生えている木を掴んで体を持ち上げて、少しずつ進んでいく。


途中Mさんから「雪崩が起きやすい雪質だから離れて歩こう」と指示され、

肝を冷やしながら、がむしゃらに登る。



腹が減ってきた。

胸のポケットに入れたチョコレートを少しずつかじる。


「この斜面を登ったら平たい場所に出ると思うから、そこまで行ったら休憩しよう」

と言われ、もうすぐ昼飯だ!と力が入る。

その崖を登り切ってみると、さらにその上にまた斜面が続いていた。

苦笑しあう。

けれど、これが自然。

落胆していてもしょうがない。

終わりのない山はない。

進むのみ。



その山を登り終え、ようやくさっき通ったなだらかな地点まで戻ってきた。

ふぅーーーっ。

昼飯だ!!!


時刻は13時過ぎ。

山に入ってから6時間以上歩き続けていたのだ。

ザックを下して、来る途中にコンビニで買ったパンを取り出す。


今日の献立は

「カマンベールチーズ入りデニッシュ」と「ホットケーキ」そして「カレーパン」


海が見える最高のロケーション。

陽も高く、さっきまで雪が降ったり止んだりだったが、

この時は青空が広がっていた。


コンビニのパンってこんなに美味かったっけ。

究極に腹が減った状態で食べる飯も久しぶりだった。

普段何気なく食べている食事。

腹が減ったのかどうかもよくわからない状態で、習慣として食べていたが、

身体をフルに動かしたあとに食べるとこんなに美味しいのだなと改めて思う。

「生きている」という実感が湧く。



腹も心も満たされ、再び狩猟モードに切り替える。

鹿を獲って帰りたい。

来る前は「獲れなくても仕方ない。自然の中を歩ければいいか。」と思っていたが、

この時には狩猟というものはどういうものなのかしっかり最後まで体感したい

と思うようになっていた。




はじめに鹿を撃った場所を越え、しばらく緩やかな稜線を歩くが

想いとは裏腹に一向に鹿は姿を見せない。


半矢の鹿だけでなく、この山の群れ全体がほかの場所に

移動してしまっているかもしれないとMさん。


狩猟のルールとして、銃を撃っていいのは日没までと決まっている。

残された時間も少なくなってきた。

なんとか鹿を仕留め、解体までを僕に見せたいと思ってくれているMさん。

どうすれば鹿を獲れるか必死に考えてくれている。


前日、山に入って10分で鹿を獲れた場所が近くにあるという。

山を下る途中で鹿が見つからなければ、一度車に戻り、

その場所に行くのも一つの手だという。

このままむやみに探し回っても見つからないと判断を下し、車に戻る進路に変えた。


視界の開けた道を歩く。

眼前には谷が広がり、その向こう側にはこちらと同じような山の斜面が見える。


Hが「あっちの山に鹿いますね。」と対岸の斜面で草を食む鹿を見つけた。

目を凝らすと確かに数頭の群れがいる。

この場所からだと山全体が見渡せるため、視線をゆっくり移動させると

ところどころに数頭単位の群れを見つけた。

木が無くなる境目には、縦に列をなして呑気に草を食べている。




鹿はたくさんいるのに、ここからでは遠すぎて撃てない。

あの場所に行くべきか。

目の前の谷は急すぎて直線で行けないため、周り込む必要がある。

Mさんの目算では1時間以上かかるという。


そこに移動しようか思いはじめた時、

鹿の群れが動き出し、向かって右側の山の中へ逃げて行くようだった。


谷向かいの斜面を見ながら、下りの道を歩き出す。

気になる。数頭単位の鹿の群れが点在しているのだ。


双眼鏡で見てみると、木の根元で横になってリラックスしている鹿までいる。

見えているのに手が届かない。

もどかしい。




しばらく下っていくと、棚田のように山が段々になっている場所にたどり着いた。

そこを大きく横切っていくと谷幅が狭まったのか、先ほどより対岸の山が近づいた。


そこで再び鹿の群れを観察する。

こちらから肉眼で見えているのだから、鹿が僕らの存在に気が付いていないはずはない。

しかし、こちらを気にする様子もなく草を食べ続けている。


Hと話していると、Mさんから木の陰にしゃがんで隠れていてとの指示を受ける。


Mさんは、ちょうどよく立っている木の枝分かれした部分に銃を固定させて、スコープ越しに鹿を捉える。


数時間ぶりに緊張感が走る。


おそらく距離は200メートル強で、

通常、鹿を撃つ時は100メートル~150メートルくらいだという。

この距離はMさんの経験でもはじめてらしく、

どのくらいドロップ(弾が落ちること。距離が離れていればいるほど弾は落ちる)するか

見当もつかないとのこと。


「撃ってみるわ」


耳を塞ぎ、対岸の鹿を見つめる。


「パーンッ」

音が山に反響する。



鹿に大きな動きはない。

動きはない?弾が飛んできているのに?

かすりもしなかったのだろうか。


かすってないにしても、

あんな大きな銃声を聞いているのに、逃げるそぶりがない。

不思議だ。

少しするとまた草を食べ始める。


ドロップ率を調整して、Mさんが2発目を発砲。


「パーンッ」


「・・・」


また鹿は動かない。

Mさんと少し距離を置いているため、

僕にはどの鹿を狙っているかまではわからなかったが、それにしても動かなすぎる。



しばらく静寂が続く。


Mさんがこちらを向いて一言

「オスとメスどっちが良い?」

事前に大きなオスが良いと言っていたので、この聞き方から察するに

「メスなら獲れるかもだけど、どうする?」ということらしい。


一瞬迷う。

普段の僕なら気を使って「獲れるならメスでもいい」と言っていたと思う。

しかし、この時は妥協したくないという想いが強くあった。

ここまでの過酷な道程がそう思わせたのもあるだろう。


「オスで!」


Mさんは無言で頷き、再び鹿に向き直る。


鹿が狙いやすい場所まで動くのを待っているのだが、これがなかなか動かない。

この山に入るまで、鹿はもっと活発に動く生き物だと思っていた。

しかし、草を食んでいる時などはほとんど動かないことを知った。

体力の消耗を抑えるためだろうか。




すぐ傍でHもカメラを構えて鹿を撮影している。

僕の視点からは、静けさの中で鹿と対峙している二人が見える。

共に鹿を捉える瞬間を待っている。

その姿はまさにプロフェッショナル。とても格好良い。



双眼鏡で鹿の動きを確認しながら、Mさんが引き金に指をかける時を待つ。




寒い。

動いている時は暑いくらいだったが、止まっていると猛烈に寒い。風が冷たい。


段々と、僕のせいで鹿が獲れないのではないかと思いはじめてきた。

僕が「オスで」と言ったばかりに、獲れたはずの鹿を逃しているのではないか。

Mさんに「メスでもいいです」と言おうか。


そんな事を考えていると、Mさんが銃を構える。

また銃声がこだまする。


どうやら当たってはいないようだが、今度は鹿たちが動いた。

勢いよく逃げるという訳ではないが、群れが散り散りになっていく。


すると、どういう事だろう。

一つの群れが、少し迂回するように坂を下りはじめ、こちら側に歩いてくる。




それを見たHがすかさず「Mさん、鹿こっち来てます!」と伝える。


程なくして、また銃声が鳴る。

「パーーーンッ」



歩いていた鹿が倒れる。

仰向けになり足をバタつかせ、斜面を転げ落ちていく。


当たった。


後に続いて来た仲間たちは、少し高い丘の上から倒れた鹿をしばらく見ていた。




「回収行くぞ!」というMさんの声にはっとして、急いでザックを担いだ。

鹿が倒れたポイントまで下っていく。


急所には当たっているのだろうか。

心拍数が上がる。

気持ちの整理もつかないまま、Mさんに続く。


距離があり、その場に着くまでに少し時間がかかった。




遂に鹿と対面を果たす。

小さな丘の斜面に生えた木の根元に、引っかかるように倒れている。

立派な角を持つ、巨大なオスジカだ。




やっと出逢えた。

すぐ側にしゃがみこんで、顔を見つめる。

人生で初めて対面する野生の生き物。


ほとんど意識はないという。


Mさんからナイフを渡され「止めさし」の方法を教えてもらう。

この止めさしについては、話も聞いていたし記事でも何度も読んでいた。

命を絶つ行為。




骨の場所を手で確かめ、狙った位置に一気にナイフを突き刺す。

ズブリッ。

なんとも言えない感触が手に伝わる。

すぐにMさんが代わってくれた。頸動脈を切り、大量の血が流れる。


この「止めさし」についてはここに来る前に何度も想像していた。

先ほどまで野を駆け、草を食んでいた鹿の命が、この行為で完全に終わる。


躊躇するかと思っていたが、意外にもその手はしっかりと動いた。

もうすでにほとんど息がなかったからか、

それとも僕の気持ちが目の前の光景に追い付いていなかったからなのか。



止めさしをした後、頭の中は色んな感情がぐるぐる回っていた。

けれど、まずはこの鹿に感謝を伝えたいと思った。

鹿の頭に手をやり心の中で「ありがとう」と伝える。


その間、MさんとHは何も言わずじっと待っていてくれた。



鹿の角を持ち、平らな場所まで動かす。

驚くほどに重い。3人がかりでやっと動くほどの巨体。

これを今から解体するのだ。


Mさんのザックから解体道具を取り出し、準備に取り掛かる。

陽も暮れはじめ、ヘッドライトを用意するように言われた。



その辺の適当な木を切り、棒を作る。

Mさんが周りの木にロープを巡らせ、棒を結んで滑車をセットする。

これで12倍の力で鹿を吊ることができるという。


慣れた手さばきで解体を進めるMさん。

鹿の体の構造と、どうすればそれを上手に解体できるかを丁寧に説明してくれる。

しかし目の前の光景に圧倒されすぎて、その場で言われたことを

必死にやっていくだけで精いっぱいだった。



頭が体から切り離され、見たこともない大きな舌を抜く。

ヘッドライトで鹿の目に光を当てると、エメラルドグリーンに輝いた。

聞いてはいたが、本当に自然が作り出す色とは思えないほど綺麗な色だった。





先ほどの滑車に鹿の足を括り付けて吊り上げ、毛皮を剝いでいく。


この鹿の命はできる限り無駄にしたくないと思い、毛皮も持って帰りたいと伝えていた。

なめしに出して、店のベンチに置くクッションにしたいのだ。



3人がかりで毛皮を剥いでいく。

僕の気持ちを汲んでくれ、穴を開けないように丁寧に作業を進めてくれた。

しばらくするとナイフの扱いにも慣れてきた。


完全に毛皮が体から剝がされ、内臓を取り除き、前足を外していく。

僕はMさんがナイフを当てやすいようにフォローに入り、

Hは後ろで睾丸を綺麗に取り除くことに必死になっている。



しばらく前から辺りは完全な暗闇に包まれており、ヘッドライトの明かりだけで作業を進める。


寒く暗い山の中で、野生の鹿の肉をバラしている。

現実とは思えない非日常を感じる。



解体が進み、背中の部位とアバラ骨を切り離す作業をやらせてもらった。

普段は小さなノコギリを使うが、この大きなオスジカには全く歯が立たない。

子鹿やメスであればこれで難なく解体できるという。


仕方なく普通のノコギリで骨を切っていく。

ゴリゴリ、ゴリゴリッ。

途中で引っかかり、うまく動かない。

根気のいる作業だが、何とか切り離すことができた。


Mさんは解体しながら何度も

「お前すげえよ」

と鹿に向かって言葉をかけている。


途中で、筒状の気道を切り取って僕に渡してくれた。

風通しの良い枝に刺すためだ。

Mさんがクリンギット族の師匠と呼ぶ方から教えてもらったという

鹿の再生を願う祈りの方法だ。


自分なりに風通しの良いと思われる枝を選んでそれを刺し、

心の中で再び鹿に感謝を伝えて作業に戻る。




Hが尿意を催したと言ってその場を離れる。


すると

「大変です!毛皮が無くなってます!」


???

何が起きたのだろう。


解体の邪魔になるため、毛皮は少し離れたところに置いておいた。

それが無くなっているという。

辺りを探すH。

彼に毛皮の事をお願いして、僕らは解体を続ける。



少しすると遠くから「うおーーっ!!!」というHの叫びが響き渡る。


キツネが毛皮をつまんで持っていこうとしていたらしい。

毛皮が重すぎたのかそう遠くには行っておらず、なんとか毛皮を死守することができた。

Hがいたあたりをヘッドライトで照らすと、キツネの目が暗闇の中で光っていた。





男3人がかりでやっと動くほどの巨大な鹿は、

各部位に分けられてばらばらになっていく。四肢は木にぶら下がっている。


さっきまで生き物としてみていた命が、

解体の過程を踏むことで、いつの間にか「肉」の扱いになっていっていることに気付く。



何時間経っただろうか。

バラされたそれぞれの部位の肉を専用の袋に詰めていく。


毛皮から肉のほとんどの部位までを綺麗に解体できた。

これも何度も何度も狩猟に行き、経験を積んでいるMさんの成せる業だろう。

一人で解体して長い道のりを歩いて帰ったこともあるというのだから、

本当に毎度驚かされる。



Mさんが「撃つまではレジャー」と言っていたことを思い出す。

確かに、鹿を仕留めるまではただの山歩きだった。

そこからはまさに重労働。

大変だったが、遂にその作業も終わった。



手分けして肉をそれぞれのザックに括り付ける。

僕は前脚を背負子に括り、腰ベルトにロープを通して

ネックとアバラを入れた袋を引きずるように歩き出した。


GPSで確認すると、幸いなことに車までの距離は約500m。

そう遠くはない。傾斜も緩やかだ。



とは言え、疲労困憊した身体に鹿の重さが圧し掛かる。

最後の試練だと思い、一歩一歩坂を下る。


Hは両の手に後脚を持ち、腰に付けたロープの先には角付きの鹿の頭が引きずられている。

その姿はまさに「狩人」

山に入り、獲物を仕留めて解体し、それを己の身体で持ち帰る。


Mさんはゾンメルスキーで坂を滑り降りる。


3人とも黙々と進む。

皆それぞれ、今日の出来事を反芻しながら歩いているのだろう。



この日のはじめに足を踏み入れた山の入り口に近づく。


朝、ここにいた時にはまだ何も知らなかった。

今はしっかりと鹿を獲り、それを背負ってこの場所に戻ってきた。

この背中には鹿だけでなく、「経験」という大きな収穫も載っている。


スノーシューを脱ぎ、数時間ぶりに平坦なアスファルトに足を下す。

「平らって最高!」思わず声に出る。


車に到着してザックを下ろす。

道具をしまっている間、Mさんは最後に

頭蓋標本を作るため、鹿の頭の皮を剝ぐ作業をしてくれる。



時間を確認すると21時30分。

実に15時間も山の中にいたのだ。

歩いた距離を測ると13kmも歩いていた。



準備が整い、車に乗り込む。

Mさんが車の窓を開けて、山に向かって大声で「ありがとーーー!!!」と叫んだ。

それに続いて僕らも大声で「ありがとーーーーー!!!」





長く過酷な狩猟体験が終了した。

帰りの車内で、この日あったことを語り合う。

聞くとMさんの狩猟経験の中でも相当過酷な1日だったとのことだ。


確かに本当に疲れたし、身体は限界。

ぼろぼろだ。


けれど、心は満たされた。






山の中で歩きながら思っていた。

これもまた「旅」なのだと。


知らない世界に飛び込み、体験して、それを自分のものにする。

それが何かしらの形で未来に繋がっていく。


この経験は今後、とても大事なものになっていくと思う。


まさに「百聞は一見に如かず」な体験だった。


札幌から車で少し行ったところに

動物たちが生きている世界が広がっているということを知った。


どのように生きているかをこの目で見て、追いかけ、殺し、解体し、肉にする。

そして、今度はそれを食べる。


日々食べている「肉」にはその過程と背景があり、どんな肉も元々は命があり生きていた。

この日の経験を経て、本当の意味での「いただきます」が言える気がする。


これは動物だけの話ではなく、

魚や、果物、野菜、すべてに言えることだ。

僕らはその命のうえに生きている。



「狩猟」は、ただ動物を狩るというものでなく、色々な大切なことを教えてくれる。

当たり前のことだけど、その当たり前をもう一度考えさせてくれる。




素晴らしい1日だった。

僕がこの日この体験をしたのは、きっと何かの意味があるのだと思う。


星野道夫さんの本を読んで自然の世界を知り、Mさんに出逢ってその世界を体感できた。



この日教えてもらった大切なことを、多くの人に伝えていけたらなと思う。

それがあの鹿の命を頂いた、僕に託された使命のような気がする。





たった1日の事だけど、人生の記憶に残る最高の一日。


この経験を与えてくれたMさん。

そして共に山を歩き、狩猟の写真を撮り続けてくれたH。


本当に感謝しています。

二人と一緒にこの経験が出来て良かった。




photo by 

Hiroaki Okawara(TRIP is ART)

instagram : TRIP is ART

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とても長い文章になってしまいました。

もしここまで読んでくれた好奇心旺盛な方がいれば、そのうちハヤシ商店のカウンターで

ゆっくり話しましょう!


僕が感じたことをもっと詳細に文章で書こうと思いましたが、

なかなかうまく書けなかったので喋りの方でお伝えできればと思います。



P.S

肉を持ち帰った後の話には続きがあるので、その辺の話を聞きたい方もカウンターまで♪