Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

さいたま自死遺族の集い*星のしずく

郷愁

2021.02.24 15:27

実の親子同士でも、亡くなった人との立場が違うことで、気持ちが嚙み合わない…とまでは言わなくとも、大なり小なりのズレが生じることってあります。

(どう説明したらよいのか)


我が娘が自死で先立ったときの、私の気持ちと、遠い故郷にいる実父との『ズレ』が正にそれでした。


母のほうは、そのとき既に認知症を患い、亡き娘(孫)の名前さえわからない状態でしたが、かえって(母にとっては)幸いであったと今は思います。

その点、父はしっかりしていて、娘を亡くして悲嘆に暮れる私の話しを、どんなに辛い内容でも電話越しに長時間毎日聴いてくれていました。

本当に有り難い存在でしたが、励ましてくれる言葉の中で、どうにも苦しく感じてしまうことがあったのです。


それは、

とにかくお前が元気で生きていてくれることを一番に願うし、それだけでも本当に良かったと思う。健康に注意してな。お前に先に逝かれたんじゃもう、どうするんだ我々爺婆は


………………。


こんなに心配してくれる父がいるのに、あのときの私は俗にいう『ないものねだり』と、先に述べた『ズレ』?で、やさぐれかけていました。


 ――お前に先に逝かれたんじゃどうするんだ? って……だったら我が子を先に逝かせてしまった私はどうなるの? 救いようがないってことでしょ?


 ――それだけでも良かった…って……、その『(我が子が元気で生きている)それだけでも』という願いが無惨に砕け散った私に言って良い言葉なの?


と、こんなふうに、心配してかけてくれた言葉が心にグサリグサリとズレた部分に刺さるので、次第に嫌悪感まで抱くようになり、ひん曲がった想いが心の中を占めていったのです。



お前が元気になって、生きていてくれることが何よりの願いだ


愛情のこもった本音での励ましであることは、我が娘に先立たれた私には痛いほどよくわかりました。

けれどそれが叶わなかったからこそ、刺さるわけです。


哀しい。


親子間の愛情溢れる想いであるのに突き刺さるなんて。


父が悪いわけでも、(たぶん)私が悪いわけでもないのでしょうけれど、苦しい気持ちになるのは本当だったので、ある時期から父とは亡き娘の話しはあまりしないようにしていました。


ところが、母が老衰で亡くなって暫くしてからのことです。

父にとっては人生におけるパートナー、共に生きてきた伴侶を喪ったことで、やっと?…(妙な言い方ですが)私の悲しみのステージにちょこちょこっと降りて来れるようになったのです。


これだって哀しい話ではありますが、気持ちと気持ちが一瞬でも一部だけでも触れ合えたことは嬉しかったですし、父の悲しみや寂しさに寄り添い、亡くなって居る人たちの話しを一緒にもっともっと語り合いたいと思ってます。


📷亡くなってからもずっと居間の壁に貼ったまんまの、私の父とゆうちゃんツーショット。


亡くなる一年前のこの写真は、八戸市に帰省したときに『種差海岸』の大きな岩の上でポーズする二人を、私が撮ってあげたもの。

葬儀に使った大きい遺影は、この写真を引き伸ばしたものでした。


父の身長においついた亡き娘を、頼もしくそして微笑ましく眺め、写真におさめた『あの日の故郷』に帰りたいです。


写真の中に、ときどき入って行けたらいいのになぁ。

(入ろうとしておでこをぶつけてます)

星のしずく*管理人



◆自死遺族の集い

星のしずく・インフォメーション


自死遺族 家族友達サポート にほんブログ村(自死遺族)