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漢語の謎 (ちくま新書)本pdfダウンロード

2020.11.26 00:30

漢語の謎 (ちくま新書)

によって 荒川 清秀



4.1 5つ星のうち(4人の読者)


漢語の謎 (ちくま新書)本pdfダウンロード - 内容紹介 池、盆、湯、腕、手紙、勉強……中国では意味が違う? 海を渡る言葉の歴史ミステリー ! 漢字による熟語である「漢語」。その中には、中国でできたものと、日本でできたものがあり、 実は来歴が謎に包まれたものが多くある。 銀行の「行」、電池の「池」、盆地の「盆」……それらの字はそもそもどんな意味だったのか? 「文明」「文化」が日本から中国に渡った漢語というのは本当か? 中国では「手紙」がトイレットペーパーを意味する? ひとつのことばの背景には、それをつくった人がおり、海を越えて運んだ人がおり、使う人がいる。 本書は、さまざまな漢語の来し方を、情熱をもって探求し、普段使っている言葉の本来の意味、 そしてそこに秘められたドラマに迫る一冊である。 ◎本書で話される「漢語の謎」(一部) 〇「電池」になぜ「池」がつくのか? 〇「銀行」の「行」は「行く」の意味? 〇「手紙」はトイレットペーパーを意味する? 〇「文明」「文化」は日本から逆輸入された漢語? 〇「健康」はもともと「康健」だった! 〇「腕」は手首、「脚」は足首より下? 〇「汽車」が自動車を意味する? 〇中国には「病院」がない! ◎本書の構成 序章 漢語の日中往来 第一章 「電池」になぜ「池」がつくのか――?身近な用語の謎 第二章 「文明」「文化」は日本からの逆輸入――?日本から渡った漢語 第三章 「半島」「回帰線」はどうできたか――?日本での漢語のつくられ方 第四章 なぜ「熱帯」は「暑帯」ではないのか――?中国での漢語のつくられ方 第五章 「空気」は入集双方でつくられた――?成り立ちに謎がある漢語 終章 日本語と中国語のあいだで 内容(「BOOK」データベースより) 漢字による熟語である「漢語」。その中には、中国でできたものと、日本でできたものがあり、実は来歴が謎に包まれたものが多くある。銀行の「行」、電池の「池」、盆地の「盆」…それらの字はそもそもどんな意味だったのか?「文明」「文化」が日本から中国に渡った漢語というのは本当か?中国では「手紙」がトイレットペーパーを意味する?ひとつのことばの背景には、それをつくった人がおり、海を越えて運んだ人がおり、使う人がいる。本書は、さまざまな漢語の来し方を、情熱をもって探求し、普段使っている言葉の本来の意味、そしてそこに秘められたドラマに迫る一冊である。 著者について 1949年兵庫県生まれ。愛知大学地域政策学部教授、博士(文学)。専門は日中対照研究、近代の日中語彙交流、現代中国語の文法と語彙。中国語教育学会会長、日本中国語学会副会長・理事を歴任。1990年、1997年、2008年NHKラジオ中国語講座講師。2009年、2010年Eテレ「テレビで中国語」講師。著書に『近代日中学術用語の形成と伝播』『日中漢語の生成と交流・受容』(白帝社)、『一歩すすんだ中国語文法』(大修館書店)、『動詞を中心にした中国語文法論集』(白帝社)、『中国語を歩く』1~3(東方書店)、『体験的中国語の学び方』(同学社)などがある。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 荒川/清秀 1949年兵庫県生まれ。愛知大学地域政策学部教授、博士(文学)。専門は日中対照研究、近代の日中語彙交流、現代中国語の文法と語彙。中国語教育学会会長、日本中国語学会副会長・理事を歴任。1990年、1997年、2008年NHKラジオ中国語講座講師。2009年、2010年Eテレ「テレビで中国語」講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る

漢語の謎 (ちくま新書)の詳細

本のタイトル : 漢語の謎 (ちくま新書)

作者 : 荒川 清秀

ISBN-10 : 4480072853

発売日 : 2020/2/6

カテゴリ : 本

ファイル名 : 漢語の謎-ちくま新書.pdf

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以下は、漢語の謎 (ちくま新書)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。

「中国語の”池”とは?」より一部引用要するに中国人にとって”池”とは「(周りより少し低くなっている)くぼみ」を指すのである。日本でも硯の墨を貯めるところを「池(硯池墨池とも)」というのはこれに通じる。引用部の前半では「池=くぼみ」という説明をしているのに、後半では「池=貯めるところ」と説明していため、これら二つは全く通じていないことがわかる。この時点でよくわからないが、硯の話は補足だと納得して読み進めてみると、その直後に「電池とは溶液を貯めるところを持っているため、池という字が使われている(要約)」とある。おそらく著者は「池=くぼみ=貯めるところ」と説明したつもりなのだろうが、引用部からわかる通り「池=くぼみ」という主たる説明に「池=貯めるところ」という説明がただぶつ切りに添えられているだけなのである。つまり著者が説明していないのに説明した気になっているため、この部分にとどまらず一冊を通して論理の跳躍があり、何度も読み直して、説明されていない部分の意味を推し量らなければならない。中国人にとって”池”とは「(周りより少し低くなっている)くぼみ」を指し、硯のくぼんだ部分を”池”とよぶのと通じている。くぼみには液体が貯まることから意味が転じて、”池”という字に「液体がたまるところ」という意味が生じ、溶液を貯める機構のある電池には”池”という字が使われるのだ。このように順序だてて説明しないと理解しがたいであろう、論文などある程度共通観念を持つ人間に対して書くものであれば跳躍の多少は許されるだろうが、新書という一般に向けて出版されるものでこのような文章を書いてしまうのはナンセンスである。