なぜ、人が似て来ると変化に弱くなるのか
2021.02.20 08:35
似た者同士という言葉がある。
類は友を呼ぶという言い方もある。
友だち、同僚、チーム、組織、夫婦などなど。
人は、自分と似た人と積極的に様々な関係性とつながりをつくる。
人間は社会的動物であり、一般的な動物と違って、人とつながることによって、長い長い歴史の中で存続してきた。だから、似た者同士が集まるのは至極自然な事である。
私も、プライベートでは特に、友だちや馬の合う人との付き合いが一番落ち着く。
一方では会社経営のような仕事していると、あまり心が穏やかになる日はない。
私の場合は、BtoBをベースにした仕事柄、経営者とのおつきあいは多いほうだと思う。
もちろん、馬が合う経営者とはお付き合いが楽だが、仕事では必ずしも皆がそうではない。
これは、町内会でもPTAでも多分に似たようなものだと思う。こういう世界では、村社会の心地よさとわずらわしさの同居が典型的だと思う。
会社経営と言う世界で、似た者同士というテーマを考えだすと、結構ジレンマに陥る。
変化が加速する時代、似た者同士だけでは変化に適応できない危機感が募る。
これは政治の世界や大企業でも同じだと思うが、似た者同士には、良い面と悪い面の両方が存在する。
会社も大企業から中小企業、そして生まれたばかりの新興企業など様々な形態がある。
それはある意味では、本来は多様な世界だ。
企業は価値観や行動理念でひとつにまとまろうとする。
特に創業者が現役の会社は、組織DNAを醸成し創業者の考えをベースに強い組織を目指す。
リクルート社は典型だろう。
すでに創業者は役割を終えているが、このDNAがしみ込んだ企業としてよく話題になる。私も実際にリクルート出身者とよく接点がある。
それだけ、今のビジネス界で活躍していることなのだと思う。
この面だけで見ても、私が目標に掲げて、目指したい素晴らしい会社である。
そして、今でも革新的な成長を続けている。
ただ、こんなリクルート社でも私から見たら、似たような人が集まっていると感じる。
レベルの高い集団だから、この似た者同士が良い方向に作用しているのだと思う。
一方、私の会社ぐらいの小さな組織になると、似た者同士の弊害が目につくようになる。
ある意味、私はその弊害にいかに抗うかが最大の役割の一つである。
似た者同士を如何に、創造的に破壊するか。
私の会社は、平均的な中小企業よりは動きが俊敏だし、新規事業は多いし、新陳代謝があるし、刺激は多いはずだ。
ベトナム人やルワンダ人との仕事もある。
にも関わらず、長いこと同じメンバーで仕事すると似た者同士の弊害が次々と生まれてくるのである。
毎日のように、こういうことを思い考えていると、結局、人間とは一体何なのか?
という疑問が強くなる。
よくなれ合い組織を仲良しクラブと揶揄する。
これは、気心知れたメンバーというのは、外部から見ると、チームワークは一見良好に見えるが、実際に、本番の時に勝負弱くなる。
チームや組織から相互牽制や競争心が無くなると、平時はまだしも、いざという時に力が発揮できない。
少し意味合いは違うが、情けは人の為ならず。
という言い回しも勘違いしている人も意外と多い。
これは、人に情けをかけたらその人のためにならない。という意味ではない。
人に情けをかけると巡り巡って自分に戻ってくると言う、ちょっと打算的な思考も含まれている。人間は結局、本能的には自分の事を先に考える。
私は、こういうのが自然体で、人間らしいと良いと思っている。
やはり、組織やチームが切磋琢磨して成長するには、自分がどうかが一番重要である。
人のためだけど、自分のため。自分のためだけど、人のために。
One for All All for Oneとも通じることだと思う。
似た者同士の弊害を感じたら、本来は、メンバーの組み換えが最適な解なのではと、最近は思っている。
しかし、中小はなかなか、これができない。もっとも、大企業でも先ほどのリクルートの事例のように、どこの部署に代わっても似たようなものだと思う。結局、大小限らず会社や組織は似た者同士になる宿命なのだと思う。
私は、創業時から対外試合をできる社員になるように教えてきた。