見える化が今年の流行語大賞にならないだろうか
2021.02.10 03:00
“見える化”があちこちで目につくようになった。
もともと、企業のコンプライアンス強化が叫ばれだした頃、内部統制の強化の流れでも“見える化”は重要視されてきた。
今、コロナ禍のなかでの“見える化”も喧しい。
例えば、人の接触の“見える化”、感染者数の“見える化”、病院の空きベットの“見える化”など。連日、マスメディアやネットを飛び交っている。これは世界中で同じだろう。
コンプライアンスに縛られる大手企業でなくても、もう20年以上前からCSの向上とともに顧客対応の“見える化”も日本では進んできた。
今や一般的になってきたが、私たちがコールセンターに電話すると、この会話は録音させていただいています・・。というアナンスも今や当たり前になってきた。言った言わないを防止するには、確かに効果的である。実際に記録が残る“見える化”の重みと余計なことを言わないような制御にもなる。
また、人間社会では様々な不祥事やトラブルも後を絶たない。記憶に新しいところでは、賞味期限の偽装や産地偽装も今の日本でも当たり前に行われていた事が分かった。
こう考えてくると、“見えない化”を意図的にしている人、知らず知らずに“見えない化”に加担してしまうこと、あるいは、“見える化”、“見えない化”かどちらも分かっていな無知な人など、様々な人が存在していることに気づく。
政治の世界でも今や“見える化”は日常になった。
“見える化”したい世間と世論。どうも“見えない化”したそうな政治の世界。
何よりも忘れてはならないのが、人類にとってもっとも重要な環境問題の“見える化”である。先進国や一企業などの部分的な改善は進んでいるのは間違いないが、地球全体で見れば、“見えない化”が世界のいたるところで増殖している。
こんな風に考えてみると、人間はどうも“見えない化”を好むようである。
まだまだ、日本では“見える化”のイメージは当たり前ではない。健全、正直、クリーン、信用できる、こんな特別なイメージがなぜかある。清廉潔白と言えば大袈裟だろうか。
それだけ世の中、今までは“見えない化”で回ってきたのである。むしろ、こちらが標準だったし人間の本能には合ってたのではと思いたくもなる。
だから、ビジネスの世界だけでなく社会全体、地球全体で進行する“見える化”にはとても大きな抵抗があるのである。
こういう複雑な根の深いジレンマの中、それでも今の人間は“見える化”を推進していく様子だ。もちろん、私もその推進派の一人である。
色々な巡り合わせで、今は、記録の時代だ。ITで記録したデータや情報が永久に保存できる可能性のある時代だ。こういう社会全体の“見える化”プラットフォームが出来てきて、かつ、全体最適化が出来るようになると、世の中の“見える化”は一気に進む。