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近藤昇オフィシャルサイト

自然との調和を自然体で実現していこうと想う

2020.12.24 02:30
今年ほど、私自身、“自然との調和”を意識した年はかつてなかったと思う。

 

もちろん、最大の理由はコロナ禍に遭遇したことだ。生命の危機を感じると人間は自然回帰をする動物だと痛感した。いや、すべての生き物はそうだと思う。

 

自然回帰は、日本だけの事ではなく、世界共通の現象だと思うし、実際にベトナムルワンダ現地法人の社員と接しているとそれを感じる。

 

私自身は、2年前から、グループ会社として自然産業研究所の活動が本格的に始まったことも大きい。自然を産業にする活動を担う会社だ。

多くのつながりができ、知見も深まってきた。

 

 

 

今は、自然との調和を回復するべき時代だと確信している。それは、自然、地球、人間の調和でもある。

人間は誕生以来、あるがままで自然と調和してきた。それは日本であれば、縄文時代かもしれないし江戸時代かもしれない。いつが最高だったかは分からないが、今でないことだけは間違いない。

 

もともと、私は徳島の専業農家で、自然環境の中で生まれ育った。常に私の人生は農業を起点に自然環境を意識してきたと言っても過言ではない。

ただ、農業と自然にどっぷりの子供時代の反動で、社会人になってしばらくは、農業に関わりたいとはかけらも思わなくなった。都会で生活することを選んだ。

 

31歳で創業し、世界の大都市の東京をビジネスの主戦場に選択し30年近くになる。

実は、創業して10年目の年に親父が他界した。

私の人生の一回目の大きな転機はここだった。

次男の私は、農業を継ぐ選択肢もあったが、私はすでに100名近くの社員を雇用していたので、それを前提に新スタイルの農業経営を親父に提案したが断られた。

親父からしたら、腰掛で農業ができるか?

という怒りだったと思う。

 

今になってみれば、時代にあっていると思うが、その時は早すぎたのと、もっていき方を間違えたと今も思う。直接ではなく、母親経由で話をしてしまった・・。

だから、断られたのも間接だ。いまだに直接話するべきだったと後悔が少しはある。

 

日本との活動と同時に、ベトナム中心とした新興国でのビジネス活動にも力を入れた。そして、新興国で農業が再び身近になってきた。

自分の農家出身を語れば語るほど、農業関係の仲間が増えた。

多くのベトナム人たちに、農業ビシネスを勧められた。そして、改めて気づいた。

 

事業活動する中で、どの新興国に訪れても、一番大切なのは農業であると。もちろん、漁業なども含めた一次産業であることは言うまでもない。

結果、新興国の自然を更に強く意識するようになった。

 

 

 

農業や自然にどっぷりの意識が高まっていく中で、何よりも大きな転機は、大賀昌さんとの出会いだった。

自然、地球、人間の調和を教えていただいた師匠だ。“アジアで農業ビジネスチャンスをつかめ”を上梓するにあたって、実際にアジアで農業をする日本人を探した。

 

 


 

 

大賀さんの存在を知って、私がタイの農場の取材に出かけた。それ以来、10年を越えるお付き合いだ。

大賀さんには実に多くの事を学んでいる途上だ。

 

大賀さんは、20年前、世界の農業に変革を起こすべく、単身タイに乗り込んだ。

大賀さんは、農業の経験があったわけではない。

環境や海洋工学には精通していたが、農業に関しては全くの素人だった。

 


 

 

想いは一つ。

地球環境と調和する自然農業の構築。

会社名もハーモニーライフだ。

その後、ご縁があって大賀さんの本の出版のお手伝いをした。タイトルはメコンの大地が教えてくれたこと”だ。

 


 

 

 

私も農家出身だから体が覚えている。

農業は自然と共にある。

そもそも、土壌が重要だし、水も必要、太陽も必要。要するに自然の恵みが農業としての生産物だ。

これぞ、“自然産業”の代表選手だ。

 

大賀さんは、もっとも大切なものは微生物という。

大賀んさんは微生物を呼び捨てにしない。いつも、“微生物さん”と話される。

初めてであった頃の10年以上前、私は大賀さんを摩訶不思議な人だと思っていた。

それが今では自然体で微生物を語っている。そして、私も普通に微生物を意識して生きている。まだ、微生物さんと呼べる達人には達していないが・・

 

人間の体と自然環境や地球環境を連動させて考える。そうすると見えなかったこと、気付かなかったことが沢山ある。

 

きっと、縄文時代は自然の調和の出来ていた時代。もっともっと、自然の事を深めていこうと思っている。

 

以上