劇団天の河神社

悲しみの果てに

2021.02.26 13:15

久しぶりの劇団ブログの更新です。

今日は、鳥居が書きます。


遅くなってしまいましたが、ヨコハマ学生演劇フェス2020が一応無事に閉幕しました。


改めて、ご来場及び配信画面にてご観劇頂いた皆様、本当にありがとうございました。


今回出演してくれた仁菜ちゃんや龍勁、スタッフの皆様、そして、各団体方々にたくさんの刺激を受けたそんな日々でした!


僕らは何にも結果を残すことが出来ませんでしたが、この経験をしっかりと今後に活かしていきたいと思います!!















というのが、僕が少なからず顔を上げて皆様に伝えられる表向きの言葉です。



これから書くことは、かっこ悪し情けないって思われると思うんですけど、今後これを読み返した自分の為に書こうと思います。


  



正直、悔しくて悔しくて、仕方がありません。




人間って本当に悔しいと涙も出てこなくて、目を閉じても、目を開けててもその僕たちの公演が鮮明に思い出してしまいますら。


頭の中で、負け惜しみのように僕らは、途中参加で、台本を書く日にちが1週間とちょっとしか無かったとか、コロナの関係で対面での稽古が全然出来なかったとか、何か自分を支えようと言い訳を探してました。



一体何がダメだったのか。


今の僕の作品構成が根本的にダメだったのか、演出がダメだったのか。


頭の中をずっとその事ばかり考えてしまってました。

 

審査員の劇評さえ、悔しくて悔しく中々目を通すことが出来ませんでした。


少なからず、その時は、僕の団体が1番面白いと思っていたんです。


でも、その劇評に僕が納得出来ることが書かれていました。


それは、「言葉と肉体」。


僕は1980年頃から始まった小劇場ブーム及び、その先駆者となったつかこうへいさんのスタイルに大きく影響されています。


その時代には、「言葉と肉体」というキーワードがありました。


それを僕は知っていた、理解していたはずなのにいつの間にかそれを妥協していたのだと実感しました。


実感したと共に、自分がいかに天狗になっていたかということも知りました。


生きていくうちに、何か1つでも、出来るようになると、なんでも出来ているような錯覚に陥ることがたまにあると思います。


僕は、色々な経験を積むにつれて、何か出来るような気になっていつの間にか、妥協するという小細工をしてしまったのだと。こんなところで、僕も劇団も終わるわけにはいきません。


今のご時世、演劇で食っていこうなんてそうそう出来ることじゃないのは分かってます。


僕のやろうとしている演劇が、邪道だということも理解しています。


それでも、泥を啜ってでも這い上がりたい、勝ち上がりたい意地があるんです。


ここからの劇団天の河神社は、背水の陣です。

果敢に限界に立ち向かう挑戦者です。


今の目先の目標は、聖地 紀伊国屋ホール。

僕らにとって伝説の場所です。


言い訳を探す時間は、終わりました。

2021年、劇団本公演もあります。

まだ、詳細は決まっていませんが、新規劇団員募集もあります。


期待してくださってる方々に、僕らが胸を張れるように、全身全霊で頑張ります。




改めて、これからの劇団天の河神社をよろしくお願い致します。