対馬の式内社をめぐる1 ~和多都美神社と豊玉姫関連の神社群~
http://blog.tsushima-net.org/?eid=832 【対馬の式内社をめぐる1 ~和多都美神社と豊玉姫関連の神社群~】 より
こんにちは、観光担当Nです。
「対馬の式内社をめぐる」第1弾は、対馬市豊玉町(とよたままち)の「和多都美(わたつみ)神社」と、豊玉姫関連の神社群です。
和多都美神社は、対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)北岸の最深部にあり、もともとは船でしか行けない地形ですが、現在は拝殿前まで車道が整備されています。
和多都美神社
場所は、長崎県対馬市豊玉町仁位和宮。
厳原港~豊玉町仁位(車で約1時間、対馬空港からは約45分)(Googleマップ)
拝殿
拝殿(はいでん)横には、竜神のような老松が生えています。よく見ると、本殿(ほんでん)の下から這い出てきているのがわかりますか?
ちなみに、拝殿は氏子さんたちが参拝・神事などに利用する建物、本殿は神様が鎮座する(とされている)建物です。
磐座
境内には奇岩が多く、それぞれが祭られています。
裏参道
通常、拝殿・本殿だけ参拝して帰る方が多いのですが、雰囲気のよい裏参道を5分ほど歩くと・・・。
磐座
「豊玉姫の墳墓」といわれる磐座(いわくら)があります。
拝殿・本殿などの建築物は、仏教建築に対抗する形で誕生したと考えられており、野外のこうした神域が、神道本来の祭祀(さいし)の場でした。
命婦の舞
和多都美神社・海神神社には、もっとも古い神楽の一種とされる命婦(みょうぶ)の舞が伝承されています。
海神の力が文字通りの「最高潮」に達するとされる秋の大潮の満潮時に古式大祭が執り行われ、舞が奉納されます。
【祭神】
和多都美神社の祭神は、日子穂彦穂出見命(ヒコホホデミノミコト)と豊玉姫(トヨタマヒメ)。
ヒコホホデミは、通称の「山幸彦」の方が有名で、「ミコト」は尊称です。
【伝承】
古事記の「海幸山幸」伝承は以下のとおり。
・海幸彦(山の猟師。兄)と山幸彦(海の漁師。弟)の兄弟がいて、山幸の提案で猟・漁の道具を取り替える。
・山幸彦は釣り針をなくし(兄に責められ)、釣り針を探す旅に出る。
・海辺で老人(塩の神)と出会い、海底の竜宮へ行くと、そこで大海神(オオワタツミ)の娘・豊玉姫と恋に落ち、ともに暮らすようになる。
・竜宮での3年が過ぎ、故郷を思い出した山幸がため息をつくと、大海神はその理由を問いただす。
・大海神が釣り針探しのためすべての魚を竜宮に集めると、釣り針は、鯛(タイ)の喉に引っかかっていた。
・釣り針を得た山幸は地上に戻り、豊玉姫の力で豊かになっていくが、海幸はどんどん貧しくなり、ついに弟を攻めてくる。
・山幸は海神の力で兄を降伏させ、兄は服従を誓い、その証として舞(隼人舞)を舞う。
というもの。
かなり雑なダイジェストなので、詳しくはこちら
>>山幸彦と海幸彦(Wikipedia)
【神話と歴史】
山幸彦は初代天皇・神武天皇の祖父(豊玉姫は祖母)にあたり、海幸彦は九州に大きな勢力を持っていた隼人(はやと)の一族なので、この神話の裏には、天皇家の祖先が、海神を信仰していた九州北部の海洋民の協力を得て、九州を制圧していった、という歴史が重ねられているようです。
また、式内社の認定に際しては、九州北部の朝廷サイドの勢力(対馬・壱岐などはこちら)が重要視され、たびたび反乱を起こしていた九州南部の勢力は無視されているようです。
鹿児島・宮崎唯一の名神大社は、鹿児島県霧島市隼人町にある「鹿児島神宮」ですが、祭神はなんと山幸彦と豊玉姫。
隼人の祖神ではなく、征服者側の神々が祭られていることになります。
【伝承その2】
ちなみに「海幸山幸」の神話の続きは・・・。
・豊玉姫は山幸彦の子を身ごもっており、出産の時が近づくが、「出産の際、自分は本来の姿に戻るので、決して覗かないように」と伝え、作りかけの産屋(うぶや)に入る。
・山幸彦が覗くと(お約束)、巨大なワニザメが出産の苦しみでのた打ち回っていた。
・子神(ウガヤフキアエズ)は無事産まれたものの、約束を破られた恥ずかしさと恨みのため、豊玉姫は海の国・竜宮へ帰り、その道を塞いでしまう。
・子どもを案じた豊玉姫は、妹の玉依姫(たまよりひめ)を乳母として遣わし、のちにウガヤフキアエズと玉依姫の間(叔母と甥ですが)に、カムヤマトイワレビコが産まれる。
古事記上巻はここで終わり、中巻ではカムヤマトイワレビコが九州から近畿へ「東征」を行い、神武天皇=初代天皇となっていく姿が描かれます。
「神話」に何らかの歴史的事実が隠されているならば、九州北部の海洋民族と手を組んで九州を制圧した天皇家の祖先が、そのまま東進して近畿まで勢力を延ばし、やがて日本の支配者になっていく、という歴史が見えてくるのですが、古代史論争に首をつっこむと大変なので(殴)、想像の範囲で。
【海幸山幸と竜宮伝説の地】
海幸山幸というと宮崎県の青島神社が有名ですが、古文書が焼失してその由来は判然とはしないとのこと。
対馬に住むものとしては、式内社に名を連ねる和多都美神社が海幸山幸の舞台だと信じているのですが、対馬の伝承地をいくつか紹介して、あとはブログを読む方の判断にお任せしたいと思います。
※追記 このブログを書いた翌日、ニュースで宮崎の裸まつりが紹介されていました。
突然帰還した山幸彦を住民が迎える際、服を着る時間もなく、裸で迎えたことに由来する、という説明だったのですが、対馬では山幸彦は島外からやってきて、また去っていったのに対し、宮崎では「戻ってきた」という説明になっているのが興味深いです。
紫の瀬戸
釣り針を探す旅に出た山幸彦は、まず美津島町鴨居瀬(みつしままちかもいせ)に到着。
鴨居瀬~小船越(こふなこし)は、古代の大陸航路の重要な港でした。
天神神社(濃部)
美津島町濃部(のぶ)の集落奥にある天神神社。 山幸彦がしばらく忍び住んだ=忍ぶ=「のぶ」の地名伝承があります。
祭神は山幸彦(だけ)。この時点で、まだ独身なわけです。
和多都美神社
豊玉町仁位の和多都美神社。山幸彦はここで豊玉姫と出逢いました。
祭神は、山幸彦と豊玉姫。カップルになりました。
住吉神社(鴨居瀬)
鴨居瀬の住吉神社。山幸彦の到着地で、豊玉姫の出産地でもあります。鶏知の住吉神社の元宮。
紫瀬戸とも呼ばれる古くからの景勝地。
祭神はウガヤフキアエズ。子どもが産まれました。
住吉神社(鶏知)
美津島町鶏知(けち)の住吉神社です。隣りに小さな和多都美神社もあります。
祭神は、豊玉姫・玉依姫・ウガヤフキアエズ。山幸彦(お父さん)はどこかへ行ってしまいました。
六御前神社(千尋藻)
豊玉町千尋藻(とよたままちちろも)の六御前(むつのみまえ)神社。巨大なイチョウが目を惹きます。
祭神は、山幸彦と、ウガヤフキアエズを養育した6人の乳母。お父さんとベビーシッターが祭られているわけです。
志々岐神社(久田)
厳原町久田(いづはらまちくた)の志々岐(ししき)神社。志々岐は神功(じんぐう)皇后関係の神社ですが、祭神は豊玉姫。
豊玉姫の出産の際、産屋に入ってくるカニをほうきで掃き出した、という故事にちなみ、ほうきを奉納すると安産に恵まれるとか。
【おまけ】
磯良
和多都美神社の境内にある「磯良」(いそら)の霊石。
磯良は、神功(じんぐう)皇后伝説に登場する海神で、古代の有力な海洋民族・安曇(あずみ)氏の祖神ですが、豊玉姫の子=磯良という伝承があるようです。
ちなみに安曇氏の拠点は福岡の志賀島(しかのしま。金印で有名)ですが、遠く信州まで勢力を伸ばし、安曇野(あずみの)という地名を残し、対馬にも大きな影響を与えた白村江の戦いで戦死したと伝えられる将軍・安曇比羅夫(あずみのひらふ)は長野県の穂高神社の祭神となっています。
神功皇后と磯良は対馬に色濃く足跡を残しており、そのお話は、対馬一の宮「海神神社」で!