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蓮池や 折らで其のまま 玉まつり

2018.02.27 05:01

https://blog.goo.ne.jp/hakuhoda/e/6c72febf045d8b0e21057b21b27e86bb 【蓮池や 折らで其のまま 玉まつり  芭蕉】 より

八月です。お盆です。「お盆は七月ではないの?」という人もおられるでしょう。確かに、お盆は陰暦七月十五日が正しいようです。

陰暦ですから今の暦でいえば、八月二十一日頃が旧暦の七月十五日。八月十五日のお盆というのは旧暦でもなく、月遅れのお盆です。

さて、八月盆のことばは、松尾芭蕉の俳句です。『日本秀歌秀句の辞典』(小学館刊行)には次のように解説されています。

貞享五(一六八八)年七月、鳴海の知足亭滞在中での作。「玉まつり」は七月中元の孟蘭盆会。「蓮池」の「蓮」を「折らで」、「池」全体をそのまま仏前に供えようという趣向。季語は「玉まつり」で秋。

名古屋の鳴海に滞在中の芭蕉の句です。「蓮が綺麗だから折らないでそのままお盆の供花にしよう」という句意ですが、綺麗だから折らないのではなくて、蓮の花というのは折ったら最後。どんなにうまく活けても、すぐになよなよとしぼんでしまうのです。もちろん、芭蕉さんはそんなことはご存じだったでしょう、。だから折らなかったのでは?

でも、見事な蓮の写真があります。『華盛の生花』新藤華盛著(主婦の友社刊)86ページからの引用です。桂古流のお家元はこんな解説を載せています。

「蓮は水揚げの悪い花材として知られ、あらかじめ水揚げポンプで水を注入してから用いますが、この際、あれば深く掘った井戸の塩分のない井戸水ほ使うのが最高の水揚げ法です」

そうやって活けて撮影された見事な写真でしょうか。腕自慢の方は蓮の活け花に挑戦してみたら。多分、どうやってもダメです。二~三時間で無残な姿になってしまうはずです。と、するとこの写真はどう撮ったのか。

本は今から三十年ほど前の昭和五十八年出版だから、もちろんフィルム撮影。今ほど簡単に画像補正ができたわけではない。たぶん、カメラも花器も何かもすべて用意万端の場所へ、鉢で育てた根付きの蓮を持ってきて、名人の鋏できって、目もとまらぬ早さで活けて、撮影したのではないかなぁー。

そんな詮索をしては失礼だけど、蓮は折らないで、其のまま、お供えするしかないのです。


http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/bon.htm 【蓮池や折らでそのまま玉祭】より

(俳諧千鳥掛)(はすいけや おらでそのまま たままつり)

 貞亨5年7月15日。知足亭。知足は、屋敷内にこの蓮池を前年の貞亨4年9月6日に作ったらしい。この時には蓮の花が咲いていたのであろう。

蓮池や折らでそのまま玉祭

玉祭は盂蘭盆会の宗教行事。仏前に供えるものとしてハスの花や葉は格好の素材である。しかし、せっかくきれいに咲いている池の中のハスの花はそのままお供えすることにして折らないでおきましょう。


http://urawa0328.babymilk.jp/haijin/chidorigake.html 【『俳諧千鳥掛』(知足編)】より

知足は尾張鳴海の人。鳴海六歌仙の一人。

宝永元年(1704年)4月13日、知足没。

正徳2年(1712年)6月、『俳諧千鳥掛』(知足編)刊。素堂序。蝶羽跋。

蝶羽は知足の子。

千鳥掛集序

鳴海のなにがし知足亭に、亡友ばせをの翁やどりけるころ、翁おもへらく、此の所は名古屋あつたにちかく、桑名大垣へもまた遠からず、千鳥がけに行通びて、殘生を送らんと、星崎の吟も此の折りのことになん、あるじの知足此のことばを耳にとゞゝめて、其の程の風月をしるし集め、千鳥がけと名付けて、他の世上にも見そなはしてんとのあらましにて、程なく泉下の人となりぬ。其の子、蝶羽、父のいひけんことわすれずながら、世にわたる事しげきにまきれて、はやとゝせに近く、星霜をふりゆけば、世の風體もおのがさまざまにかはり侍れど、父の志しをむなしくなしはてんもほいなきことにおもひとりて、ことし夏も半ばに過行くころ、洛陽に至り、漸くあづさにちりばむる事になりぬ。やつかれ折りふし在京のころにて、このおもむきをきゝ、折りならぬ千鳥のねをそへて、集のはしに筆をそゝぐのみ。我れ聞く川風寒み千どり鳴く也の詠は、六月吟じ出でゝもそゞろ寒きよし、この千鳥がけも、時今炎天に及べり、其たぐひにや沙汰し侍らん。又聞く東山殿鴨川の千鳥をきゝに出でたまふに、千本の道貞といへるもの、袖にらんじやたいをたきて出でけるを聞しめして、其の香爐を御とりかはしありて、今の世に大千鳥小千鳥とて賞せられけると也。此の後かほど至れる千鳥を聞かず、よし今香はたかずとも、星崎の千鳥にひとりもゆき、あるは友なひてもゆきてきかまほし、又そのあたりの歌枕、松風の里に旅人の夢をやぶり、ねざめの里に老いのむかしをおもひ、夜寒の里の砧をきゝ、なるみ潟しほみつる時は、上野の道をつたひ、雨雲には笠寺をたのみ、月のなきよも星崎の光りをあふぎて、猶風雅の友をよびつぎの濱千どり、これかれ佳興すくなしとせず。むべなるかな、ばせをが此の所に心をとゞめしこと。

(略)