はす (蓮)
https://www.atomigunpofu.jp/ch3-flowers/hasu.htm 【はす (蓮) 】より
学名 Nelumbo nucifera (Nelumbrium nelumbo) 日本名 ハス 科名(日本名) ハス科、古くはスイレン科 日本語別名 ハチス 漢名 蓮(レン,lian)科名(漢名) 睡蓮(スイレン,shuilian)科 漢語別名 荷(カ,he)・荷花(カカ,hehua)、芙渠(芙蕖,フキョ,fuqu)・芙蓉(フヨウ,furong)・水芙蓉(スイフヨウ,shuifurong)、菡萏(カンタン,handan)、藕(グウ,ou)、
英名 Lotus, Hindu lotus, (East) Indian lotus, Sacred lotus, Egyptian lotus,
「辨」
花を観賞するための花蓮、レンコンを採るための藕蓮、実を採るための子蓮などの品種が発達している。ハス科 Nelumbonaceae(蓮科)には、ハス属 Nelumbo(蓮屬)1属がある。
キバナバス N. lutea 北アメリカ東部乃至南アメリカコロンビアに分布ハス N. nucifera(蓮・荷・荷花)ハス属の植物は、スイレン科 Nymphaeaceae(睡蓮科)に含めることがある。
「訓 」
和名のハスはハチス(蜂巣)の略、その果托の形がハチの巣に似ることから。漢名の蓮は もとはその実、荷は葉を指したことばだが、のちハスの意となる。なお、芙蓉はもとハスの花の美しさを形容したことば。後に芙蓉がフヨウをも指すようになり、フヨウを木芙蓉・ハスを水芙蓉と区別することが起った。
中国最古の字書『爾雅』〔郭璞(276-324)注〕に、「荷(カ,he)、芙渠(フキョ,fuqu)。〔別名は芙蓉(フヨウ,furong)、江東は荷と呼ぶ。〕 其の茎は茄(カ,jia)、其の葉は■{艸冠に遐}(カ,xia)、其の本は蔤(ビツ,mi)。〔茎の下の白蒻(ハクジャク,bairuo)、泥中に在る者。〕 其の華は菡萏(カンタン,handan)、其の実は蓮(レン,lian)。〔蓮は房を謂うなり。〕 其の根は藕(グウ,ou)。其の(実の)中は的(テキ,di)。〔蓮の中の子なり。〕 的の中は薏(ヨク,yi)。〔中心は苦し。〕」とある。
深江輔仁『本草和名』(ca.918)に、藕実は「和名波知須乃美」と。
源順『倭名類聚抄』(ca.934)に、蓮子は「和名波知須乃美」、藕は「和名波知須乃禰」、蔤は「和名波知須乃波比」、茄は「和名波知須乃久木」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1806)29蓮藕に、「ハチスノネ和名鈔 ハスノネ ハス 苗名ツユキグサ ミヅキグサ ツマナシグサ ミタヘグサ イケミグサ ツレナシグサ以上古歌 ハチス ハス 藕」、「藕蔤 ハスノシロネ 蓮薏 ハスノミノシヤクシ 蓮蕊鬚 ハスノハナノシベ・・・蓮花 ミヅキバナ ハネズバナ ミヅノハナ共ニ古歌 ハスノハナ・・・荷葉 ハスノハ」と。
英名の lotus は、スイレンを含めた総称。
インドのサンスクリット語では、ハスはパドマ padma(蓮華)と呼ばれ、次の五種があるとする。
カマラ kamala(紅蓮華)
プンダリーカ pundarika(白蓮華、芬陀利華)
ウトパラ utpala(青蓮華、優鉢華・優鉢羅華)
ニーロートパラ nilotpala(青蓮)
クムダ kumuda(白睡蓮・黄蓮華)
ただし、これらはスイレンを含んだ総称。
「説」
東・東南アジアの熱帯・温帯地方原産、同地方で広く栽培されている。
栽培圏は、西はイランから東は日本、南はオーストラリア北東部まで。中国では、ほぼ全国で栽培。
日本では、新生代第三紀・第四紀の沖積層から化石が発見されている。
「誌」
中国では、すでに『詩経』に荷が詠われるなど、ハスは漢民族にとって古来親しんだ植物である。
したがって、しばしば、中国でハスが重要視されたのは「仏教に伴ってインドの蓮花愛好の風習が伝わって以後である」(平凡社『世界大百科事典』)のように説かれるのは、正確ではない。
ハスのすべての部位にわたり、薬用・食用とし、また花・葉は観賞用にする。
実(蓮子・石蓮子。その蕊は蓮子蕊)は、料理に菓子に広く利用し、とくに湖南省洞庭湖に産する蓮子は上品で古来献上品としたので 貢蓮(コウレン,gonglian)と呼ぶ。実を取り去った後の花托は蓮房、薬用にする。
(石蓮子のうち、甜石蓮はハスの実、苦石蓮はジャケツイバラ属 Caesalpinia のC.minax(喙莢雲實)の実。)
レンコンは、晩秋に地下茎の先端の2-5節が肥厚したもの。品種により粘質・粉質の別があり、それぞれに料理の素材とする。またレンコンから取った澱粉は藕粉(グウフン,oufen。蓮粉とも)と呼び、高価な澱粉として調理・製菓に用いる。
そのほか、嫩葉を蔬菜として食用にし、大きな葉を食物を包む材料として調理に用いる。
漢方では、
痩せた地下の根茎を藕蔤(グウミツ,oumi)と呼び、
肥厚した根茎(すなわちレンコン)を藕(グウ,ou)と呼び、
根茎の節部を藕節(グウセツ,oujie)と呼び、
葉を荷葉(カヨウ,heye)、
葉の基部を荷葉蔕(カヨウテイ,heyedi)、
葉や花の柄を荷梗(カコウ,hegeng)と呼び、
花や蕾を蓮花(レンカ,lianhua。荷花・菡萏)、
雄蕊を蓮鬚(レンシュ,lianxu)と呼び、
成熟した花托を蓮房(レンボウ,lianfang。蓮殻)、
種子を蓮子(レンシ,lianzi。石蓮子)、
硬い種皮を蓮衣(レンイ,lianyi)、
緑色の胚芽を蓮子心(レンシシン,lianzixin。薏・苦薏・蓮子蕊)と呼び、
それぞれ薬用にする。『中薬志』Ⅰpp.520-522・Ⅱpp.103-107,460-461・Ⅲpp.293-295,393-394
葛洪『西京雑記』巻1に、「長安の巧工丁緩なる者、常滿燈を爲る。七龍五鳳、雜うるに芙蓉蓮藕の奇を以てす」と。
梁の元帝(蕭繹、508-554)が「葉は巻きて珠溜まり難く、花は舒べて紅傾き易し」(「賦得渉江采芙蓉」)と詠うように、緑の葉と紅の花の色彩対比のほか、水滴を附着させない葉の様子や、風に揺曳する花の風情が愛されてきた。
周敦頤(1017-1073)には「愛蓮の説」があり、「淤泥より出でて染らず。清漣に濯(あら)われて妖ならず。中は通じ外は直く、蔓あらず枝あらず、香遠くして益々清く、亭亭として淨く植(た)ち、遠觀すべくして褻玩すべからざるを愛す」として、蓮を「花の君子なる者」と位置づけた。
また盛夏における花や葉のありさまが鮮烈な印象を与えるものであるだけに、その後の衰退の様子はもののあわれの情を誘ったようであり、落花や敗残のようすもまた詩歌に詠われた。陶淵明(365-427)「雑詩」十二首の三に、「栄華は久しく居り難く、盛衰は量るべからず。昔は三春の蕖(はす)たりしに、今は秋の蓮房と作(な)る」と。
採蓮とは、池塘に舟を出してハスの実を収穫すること、女性の仕事であった。採蓮は江南の晩夏の風物詩であり、楽府の題になっている。蓮 lian と憐・恋 lianは諧音であり、故に採蓮を詠いながら 同時に若い男女の恋を詠う。
漢代の楽府「江南 古辞」(『楽府詩集』26)に、
江南に蓮を採るべし
蓮の葉 何ぞ田田たる
魚 蓮の葉の間に戯る
魚は戯る 蓮の葉の東
魚は戯る 蓮の葉の西
魚は戯る 蓮の葉の南
魚は戯る 蓮の葉の北
(魚は吾・蓮は恋(こいびと)の意だという。田田は 緑の葉が広がっている様子)
李白(701-762)「採蓮曲」に、
若耶渓(ジャクヤケイ)の傍ら 蓮を採る女(むすめ)
笑いて荷花を隔てて人と共に語る・・・
皇甫松「採蓮子」に、
船は湖光を動かす 灔灔(えんえん)たる秋
貪って年少を看て 船に信せて流る
端無くも水を隔てて蓮子を抛り
遥かに人に知られて半日羞づ
(蓮子 lianzi は憐子 lianzi(あなたが好き)と諧音。若い女性が
男性に果物を投げるのは、求愛の行為。『詩経』摽有梅・木瓜を見よ)。
葉を採って束ねたもの(束蓮)は、香りを楽しむために室内に置いた。
しばしば束蓮紋として、絵画や 陶磁器の文様として描かれる。
土屋文明に「蓮の葉の秋の葉とりて束ぬれば」云々の歌がある(『韮菁集』1946,江南雑詠。南京にて)
日本では、『古事記』下巻に、雄略天皇(5c.後半)のとき、赤猪子(あかいこ)が奉った歌の一つに、
くさかえ(日下江)の いりえ(入江)のはちす(蓮) はなばちす(花蓮)
み(身)のさか(盛)りびと(人) とも(羨)しきろかも
『常陸国風土記』香島郡に、「(香島神宮の)北に沼尾の池あり。古老曰く、神世に天より流れ来し水沼なりと。生ふる所の蓮根は、味気 太(はなは)だ異にして、甘きこと他所に絶(すぐ)れたり。病有る者、此の沼の蓮を食へば、早く差(い)えて験(しるし)あり」と。
『日本書紀』23舒明天皇6年7月に、「是の月に、瑞蓮(あやしきはす)、剣池に生ひたり。一茎(ひともと)に二つの花あり」と。
『同』24皇極天皇3年6月に、「戊申に、剣池の蓮(はちす)の中に、一つの茎に二つの萼(はなぶさ)ある者有り。豊浦大臣(とゆらのおほおみ)、妄に推(お)して曰はく、是、蘇我臣の栄えむとする瑞(みつ)なりといふ。即ち金(こがね)の墨を以て書きて、大法興寺の丈六の仏に献る」と。
『万葉集』には、ハスの花を詠う歌は無く、みな葉を詠う。
蓮葉(はちすは)は 是くこそ在るもの 意吉麿が 家にある物は うも(芋)の葉に有るらし
(16/3826,長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)「荷葉を詠む歌」)
久かたの 雨も落(ふ)らぬか 蓮荷(はちすは)に 渟(たま)れる水の 玉にあらむ見む
(16/3837,右兵衛。ある宴会で食を盛るのにすべてハスの葉を用いていたので)
御佩(みはかし)を 剣の池の 蓮葉に 渟れる水の 行方無み・・・ (13/3289,読人知らず)
勝間田の 池は我知る 蓮無し 然言ふ君が 鬚無きが如し
(16/3835,読人知らず。蓮と憐・恋の諧音を利用して、親王の求婚を断る歌。)
はちすばの にごりにしまぬ 心もて なにかはつゆを たまとあざむく
(僧正遍昭「はちすの露をみてよめる」、『古今和歌集』)
清少納言『枕草子』では、第66段「草は」に、「はちす葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏にたてまつり、み(実)はずず(数珠)につらぬき、念仏してわうじゅうごくらく(往生極楽)の縁とすればよ。また、花なき頃、みどりなる池の水にくれなゐにさきたるも、いとをかし。翠紅翁とも詩につくりたるにこそ」と。
西行(1118-1190)『山家集』に、
をのづから 月やどるべき ひま(隙)もなく いけ(池)にはちすの 花さきにけり
ゆふだち(夕立)の は(晴)るれば月ぞ やどりける
たま(玉)ゆ(揺)りす(据)ふる はすのうきは(浮葉)に
蓮池や折らで其まま玉まつり (芭蕉,1644-1694。魂祭は 盂蘭盆会)
白雨や蓮一枚の捨あたま (「素堂之蓮池辺」,嵐蘭,『猿蓑』1691)
飛石も三ツ四ツ蓮のうき葉哉 (蕪村,1716-1783)
蓮の香や水をはなるゝ茎二寸 (同)
仏印のふるきもたへ(甕)や蓮のはな (同)
近代では、
ぬば玉の銀杏がへしの君がたぼ美くし黒し蓮の花さく (北原白秋『桐の花』1913)