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其まゝ

2018.02.27 11:40

Facebook・近藤裕子さん投稿記事 

花 無心にして 蝶を招き    蝶 無心にして 花を尋ぬる     花 開く時 蝶来たり    蝶 来る時 花開く       吾も亦 人を知らず        人も亦 吾を知らず

知らずして 帝則に従う

花が咲く時になると 花に招かれなくとも蝶が飛んで来ます。

蝶は 花から蜜をもらい 花から花へと花粉をつけて行きます。

自分も 人も 互いを知らないけれど 天と地の道理に従って生きています。

良寛のこの詩は 自然の摂理を 見事に表現しています。

人間も自然の中で生かされています。

[小さな思いに囚われて悩まずに 広い心で生きて行きなさい]

良寛の優しい声が聞こえて来るようです


http://www.hikari-k.ed.jp/zenchoji/houwa/houwa2507.htm 【「花無心」】 より

 良寛さんの詩を味わってみましょう。

『花無心』

「花 無心にして 蝶を招き、 蝶 無心にして 花を訪ぬ。花 開くとき 蝶来たり、 蝶 来たるとき 花開く。

吾(われ)もまた 人を知らず。 人もまた 吾を知らず。知らずして 帝則(ていそく)に従う。」

(花は、蝶を招こうとして咲いているのではなく。蝶に、花を訪ねようという心があるのでもない。花が咲くと、蝶が飛んできて、蝶が飛んでくる時に花が咲いている。自分も、他の人々のことは知らないが、他の人々も自分のことを知らない。互いに知らないながら、天地の道理に従って生きている)

 花は意志をもって蝶を招くのではなく、蝶も意志をもって花を訪ねてはいない。花は、咲く時節がきたら咲き、蝶は飛ぶ時節がきたなら飛ぶのです。ただそれだけのことで、それが自然の摂理なのです。蝶は花から蜜をもらい、蝶は花から花に花粉をつけてやります。自然とその関係で互いの子孫の繁栄につながっていくのです。それこそ自然の仕組みの見事さなのです。

 中国の尭の時代の言葉に、「不知 不知 帝則に従う」とあります。「知らない、知らない、ただ自然の摂理に任せるだけ」という意味でしょうか。人間の小さな計らいなどどうにもならない大自然の仕組みの中で、私もあなたも、人間は生かされている。一人ひとりのつまらない思惑などどうでもよい。「花開くとき蝶来たり、蝶来るとき花開く」春に花が咲き、秋に実を結ぶ自然の中で、つまらない考えなど、どうでもよいことなのでしょう。


https://meigen.pt-hamamoto.biz/index.php?354 【良寛の名言 Ryokan】より

良寛(Ryokan)Wikipediaより

花、無心にして蝶を招き    蝶、無心にして花を尋ねる   花、開くとき蝶来たり

蝶、来るとき花開く      知らずして帝則に従う

良寛 Ryokan 江戸時代の禅僧 書家 歌人 1758~1831

「帝則」とは、自然の法則、自然の摂理のことですね。あなたにも、多分経験があると思いますが、仕事や日常の生活の中で、技術的なことや、物事が、思いも寄らず、上手くいくことがあります。

これは、アスリートでも、自分のプレーが、ふとした瞬間に、壁を突き抜けるような、大げさに言えば、悟ったような、瞬間に遭遇することがあります。

こういう時に、往々にして、技術的なことの検証をして、同じように、再現できないかと、考えてしまいます。

しかし、多くは技術的な問題ではなく、心の状態であることが多く、閃きや感性から出てきたものを、思考で再現しようするのは、非常に難しいことです。

こういう場合は、技術的なことで、再現しようとせずに、そういう想像を超えたパフォーマンスは、思考を手放して、感性に引き渡した時に、必然的に起こるようになりますから。

思考を手放す、トレーニングをして、頻繁に再現されるようにした方がいいですね。

もちろん、ベースになる、基本的な技術がなければ、感性の中で融合された、高いレベルのパフォーマンスが、現れようがありませんから。

思考で考えうる範囲の、基本的な技術は、常に高めるための、トレーニング、ハードワークは必須です。

思考を手放して、感性に引き渡す感覚は、日常の中での、予想外に上手くいった時の、心の状態、思考の状態を、注意深く感じてみるといいですね。

毎日同じようにやっていることでも、そのパフォーマンスや、相手の反応が、素晴らしくいい時があるはずです。

もちろん、反応などは、人が違えば、感じ方も違いますから、一概に参考にならない時もありますが。

伝えた内容や、伝え方を、検証するのではなく、その時の、心や思考の状態ですね。

これを、よくよく感じてみることです。

その思考を手放す、感覚を掴めれば、再現性が高くなっていきます。

これが、まさに無心の状態ですね。

これは、あなたのパフォーマンスだけでなく、人や、出来事などとの、出会いにも言えることですね。

目の前で起こる出来事は、すべて、あなたが言動によって、引き寄せた必然ですが。

あなたが、何かをすると、こういう反応が返ってくる。と予測できることもありますね。

しかし、それも、同じことを、同じようにしていても、大きく違う、反応になることがあります。

思考で、最高のパフォーマンスだと、感じられたことの反応が、それほど、いいものではなく。

それほど、良いパフォーマンスでは、なかったのに、予想以上に、反応がいいこともあるでしょう。

こう考えていくと、通常、「1」を与えて、「1」が返ってくるものが、0.1になったり、10になるのは、感性の部分の成せる業です。

まさに、心の投影が、目の前で起こる現象ですね。

普段から、何を思い、何を感じているかで、同じことをしても、現れてくる現象が違ってきます。

愛を乗せて届ければ、愛が返ってきますし、邪心を乗せれば、相応の現象が起こるということですね。

一途に、夢中に、無心になって、誰かの幸せや、役に立つことを、その心のままに、届けていけば。この詩のように、必要な出会いには、自然が巡り会わせてくれる。ということですね。それは、偶然ではなく必然です。

自然体と言うと、難しいことのようですが、純粋に、世のため人のために、役立つことを夢に据えて。それを実践するための、与えられた天賦の才、天才を、思考をフルに活用して、トレーニングで磨き込んでいって。思考を手放して、心から、感性から届けることです。

自然が応援してくれる、あなたの夢へのチャレンジになると、これほど、心強いものはなく、驚くほど、スムーズに進んでいきますよ。(浜本哲治)


https://ameblo.jp/kotonoha-ys/entry-10619690296.html 【心がきれいになる言葉】より

花無心招蝶(花無心にして蝶を招き)    蝶無心尋花(蝶無心にして花を尋ぬ)

花開時蝶来(花開くとき蝶来たり)     蝶来時花開(蝶来るとき花開く)

吾亦不知人(吾もまた人を知らず)     人亦不知吾(人もまた吾を知らず)

不知従帝側(知らず帝の則に従ふ)    ~ 良寛さんの詩 ~

花は自然に蝶を招き 蝶は無心で花を探している。花が開くと蝶が来て 蝶が来ると花が開く。自分のことを知ってほしいという欲求が あるかもしれないけれどそれもまた 自然の流れに任せていく。

知らぬままに すべて自然の法則に従っているのである。

・・・イベントで朗読する詩を探していました。一編はこの詩に。

この詩を読んだ瞬間なんだか 心の中がすーっとして、やわらかないい香りが漂ってくるような感覚を覚えました。

人を幸せにする言葉って風や香りを感じ、日差しの暖かさを思わせ心だけ 別世界へ連れて行ってくれるような気がします。

そんな言葉を届けられるような人になれたら良いな。。。。と思います。

なりたい自分を求めてがむしゃらに頑張っている人があまりにも多い世の中。

心豊かな振りをして心に影を負いながら傷つきながらも、それを悟られまいと笑顔を作って生きている人がたくさんいるように見えます。

物事にはそれに相応しい「時(タイミング)」がありその時が来なければ花も開かず 蝶も来ない。速いとか遅いとか。・・・それは、人が決めることではない。

花開くときを素直な心で準備してきた者が咲くべきときに美しく咲けるのだとその自然の法則を、嬉しくありがたく思います。


https://jyoukatsu.com/2017/10/27/%E8%8A%B1%E7%84%A1%E5%BF%83%E6%8B%9B%E8%9D%B6%E3%80%80%E8%9D%B6%E7%84%A1%E5%BF%83%E5%B0%8B%E8%8A%B1/ 【花無心招蝶 蝶無心尋花】 より

みなさま こんにちは。ご愛読ありがとうございます。リビングビューティーライフ研究家の盛 加奈子(もり かなこ)です。

美しく無心に生きる禅語は生きるための杖ことばとなりおおくのヒントがあります。

■良寛のことば

花無心招蝶  花は無心にして蝶を招き

蝶無心尋花  蝶は無心にして花を尋ぬ

花開時蝶来  花開く時蝶来たり

蝶来時花開  蝶来たる時花開く

吾亦不知人  吾もまた人を知らず

人亦不知吾  人もまた吾を知らず

不知従帝則  知らずして帝則に従う(帝則=自然の摂理・規則)

花は蝶を呼び寄せようと思って咲いているわけでなく、蝶も花に舞いおりたいと考えて花のところに行くわけでもない。

季節がめぐり、花も蝶も特別な意図なく無心で咲き、また無心で訪れるという自然の道。他意なく徳あるところへ人は慕って来る。「蝶は花から蜜をもらって、花は蝶に花粉を運んでもらっている」という形で共生しています。

ここには互いの利害関係ではなく、ただ単に自然に出合い、めぐり合っているだけ。

私たち人間社会もさまざまな出会い、めぐり合いでなり立っていますね。

親、兄弟、友人、夫、妻、子供、そして、楽しいこと、苦しいこと、悲しいこと、、、

「無心のめぐり合いと生命の神秘」このめぐり合いや繋がりは、何か見えないものが

秘められているのだと思います。「自然の摂理と人のめぐりあわせの妙」ですね。

この偶然のめぐりあいを大切にして、生かす生き方をしていきたいですね。

また、無心ですることや仕事はいちばん自然で美しく、長続きして疲れず、世の中のためにもなり実を結ぶといいます。

経験や努力、学んできたことも忘れて無心になることこそが、大切ということです。

「自然と一体になって生きてゆく」自然と一体になり、自然の中に溶け込むとき、無心状態が生まれ、至福の時を過ごすことができるのでしょう。

自然とは、単なる自然環境のことだけではなく、私たちを取り巻く、生きている生活環境も

自然のひとつと言えるでしょう。そして、自分のカラダやココロが本来もっている

自然体な状態でもありますね。

自然な状態、無心の状態にあるとき、すべては完璧なタイミングで起こってきます。

無心がベストの状態を生みだすのです。

無心は自然のリズム、宇宙のリズムと共に生きること執着や欲望のない、私心のない、心が透明でクリアな状態。

無心状態では、直感、ひらめき、インスピレーションなど、目に見えない回路が開かれます。そして、シンクロに満ちた現実が創造されてゆくのです。

無心であることは目に見えない世界とつながり、時間を超えた世界に生きること。

奇跡に満ちた未知なる世界への扉を開くカギなのかもしれません。

無心は子供の持つ純真な心、純粋性とも言えます。

人は、生まれたときには無心で、成長するほどに無心が失われて行くのかもしれません。

生まれたときの無心を目指して、浄化習慣でココロとカラダをクリアリングして、無心の状態に近づくベースを作りましょう。