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折らで

2018.02.27 12:22

Facebook・相田 公弘さん投稿記事

「労して功なし」というお話です。

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一日を振り返ったときに、「がんばっているのに、報われないな」と感じる日があるかもしれません。

しかし、それがふつうです。すべてのことは「労して功なし」なのです。何をするときにもです。

もちろん、「労して功なし」だから、いいかげんに手を抜くということではありません。

そもそも、何も求めないということです。

見返りや感謝を求めるのではなく、ただその瞬間、その瞬間で、自分のやるべきことだけを無心にやる。それに集中するということです。

その気持ちこそが、仏教や禅の考え方の前提です。

坐禅も修行も、やっていることは「自分をはがしていく」ことです。

言葉にすると簡単ですが、並大抵のことではありません。

はがしてもはがしても、同時にどんどん新しく、余分なものがついてくるからです。

余分なもの、つまり「功」を求める気持ちは、毎日毎日、次から次へとついてきます。

それをはがして、はがして、はがして、はがしてと繰り返すのです。

すると結局、玉ねぎの皮をむくように、最後は何もないところに行き着く。

その「あ、何もなかった」というところを目指すのが、坐禅であり、修行なのです。

こころが調う 朝・昼・夜の習慣

平井正修 著

ディスカヴァー

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「いつか報われる」とか、見返りを求めることは、もしかしたら結果を出すことの妨げになるのかもしれません。

子どものころ、夢中になって遊んでいた時、見返りなんて一ミリも考えてなかったけど、日が暮れるまで汗だくになって走り回っていた。

“一心不乱”

そういう心の状態のときのほうが、身につくのも早いものです。

人との付き合いも、見返りを求めていたのではうまくいかないでしょう。

日本創造教育研究所の代表“田舞徳太郎”氏の言葉をご紹介します。

「人を育てるには、気の遠くなるような年月がいるでしょう。

そして、どんなに優しくしても貴方のことを平気で裏切るかもしれません。

・・・それでも人を育てる者としての、貴方の優しさが必要なのです。

貴方が愛情をもって言い続けても、貴方の部下は貴方をうるさがり、貴方を受け容れないかもしれません。

・・・それでも愛情を持って言い続けるのです。

貴方がようやく育てたと思った途端、貴方の部下は途中で辞表を出したり、実際辞めたりするでしょう。

・・・それでもあきらめずに次の人を育てるのです。

貴方が心を込めて指示しても貴方の部下は無責任な気持ちで聴いているかもしれません。

言っても言っても効果がないように思うでしょう。

・・・それでも根気よく指示をするのです。

貴方は今迄自分は本気で人を育てたが、いつも裏切られてばかりでもうこれ以上傷つくのは嫌だと思っているかもしれません。

・・・それでも人を育てる者として、傷つくことから逃げてはいけないのです。

人を育てるには、お金もかかり時間もかかる。

その割にはあまり効果がないからやめようとあきらめているかもしれません。

・・・それでもあきらめず人を育てる者として、お金をかけ心をかけ時間をかけるのです。

こんな人手不足の時に人を育てる余裕はない。

気持ちはあるけど売上に響くから出来ない。

そう貴方は思っているかもしれません。

・・・それでも人の育成を優先するのです。

十回言って駄目なら百回、それでも駄目なら千回あきらめずに育て続けてこそ人は育つのです。

丹精こめる・・・全ての生きものはそうやって育っていくのです」

経営者であれば心に響くと思います。

何人辞めても、何度不義理にされても、次に入ってくる子には、わが子を育てるように愛情いっぱいに人を育て続ける必要があるのです。

人は最後、あの世には何も持って行けません。

しかし、自分の想いや教えたことは受け継がれてゆきます。

「労して功なし」

肝に銘じておきたいですね。

※魂が震える話より