「宇田川源流 日本万歳!」 日本で「真似した料理」が「本場の料理を超えた」その心は「選べる自由」のおもてなし
「宇田川源流 日本万歳!」 日本で「真似した料理」が「本場の料理を超えた」その心は「選べる自由」のおもてなし
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本のすばらしさや日本の心が伝わるエピソードなどを様々な形でお届けし、日本人がこれから働く中で、心の支えや勇気づけあっれるエピソードの一つとして、何か大きく考えていただければよいのではないかと思うのである。
日本人というのは、私から見ていると、どうも日本人というのは自信を喪失してしまっているように見える。戦後長期間続いてきた「土下座外交」に、日本の「平和教育」という名の自虐史観、そして「金持ち喧嘩せず」で何もしないこと、自らを主張しないことが美徳であるかのような状況を生んでしまっているのではないか。そのような気がするエピソードが多いことは事実ではないか。
そこに一定の思想(あえて書かなくても多くの人はすでにお気づきと思うが)の介入や他国(これもどの国かはだいたいわかっていただけるような気がするが、いくつかの候補があるので意見が割れるところではある)の不正な価値観の操作が生まれてしまい、そこにマスコミが乗っかって、何か訳の分からない状況を作り出してしまっているのではないか。
政治的なことや国家的なことは当然に許せないのであるが、それ以上に問題なのは、日本人、それも若い者や子供が、純粋な感性で日本はだめだと思ってしまい、将来を悲観視してしまっていることが最も問題なのではないか。
自らの自信を持つということが、これほど大事であると思ったことはないのであるが、残念ながら日本の教育は「自虐」から抜け出せない。最近では教員もその「自虐」で感覚がおかしくなり、わいせつ事件やパワハラ事件を起こしてしまうというような状況になっているのではないか。そのようなことでは日本がおかしくなってしまう。
そこで、海外でのエピソードなどを中心に、日本のすばらしさを伝えてゆくということが一つの目的なのである。
「逆上陸」したココイチ インド人客の割合が日本人客を超えた
日本のカレーチェーン「カレーハウスCoCo壱番屋」のインド1号店が、昨年8月にオープンしてから半年になる。
インドの新型コロナウイルス感染者数は1千万人を超え、外食を控える風潮が続くなか、日本のカレーは受け入れられているのか。「聖地インド」での浸透ぶりは――。
「いらっしゃいませ」。首都ニューデリー郊外の街グルガオンにある店で、記者はインド人従業員に日本語で迎え入れられた。コロナ対策として名前や連絡先を聞かれた後、席に案内された。ホウレン草とチーズのカレーを頼むと、「トッピングはどうですか」と勧められた。辛さも選べる仕組みは、日本と同じだ。
「コロナで外食を控える人はまだまだいます。ただ昨年12月になって、インド人客の割合が日本人を初めて超えました。55対45くらいです」。イチバンヤインディアの最高執行責任者(COO)中村広佐さん(46)はそう語る。昨年8月のオープン時には日本人客が9割以上を占めたが、インド人にも少しずつ受け入れられてきたという。
価格は550ルピー(約800円)程度と、現地では決して安くない。主なターゲットは、大都市に住む比較的所得の高いインド人。海外経験があり、新しいモノに抵抗のない若者だ。店が入るのは、外資や大手企業の入る商業施設。平日は周辺のオフィスから訪れる客が中心で、日本の大手企業も集まる。「一度日本人の同僚に連れられて来たインド人が、週末に家族を連れて来てくれたことがうれしかったですね」と中村さん。来店客へのアンケートでは、年齢層は30代の客が最も多く、40代と20代が続く。
アジアを中心に海外12カ国・地域で約180店舗を展開する壱番屋は近年、カレーの聖地インドへの「逆上陸」を経営目標に掲げてきた。日本のカレーは、小麦粉を混ぜて煮込むのが特徴だ。インドをルーツとするが、英国を経由して独自に変化しながら伝わったとされる。
インドでは宗教上の理由から豚肉や牛肉を食べない人が多いため、ビーフやポークのカレーは扱わない。メニューは主に野菜やチキン、マトンのカレーだ。菜食主義者(ベジタリアン)向けに、肉を使わないチーズフライを用意し、ルーにも動物性の油脂を使わない。
■「組み合わせを選ぶのが楽しい」
平日の昼時に食べに来ていたインド人客に話を聞くと、日本びいきの人が多い印象を持った。休憩時に一人で来た銀行員のイティシャ・グプタさん(24)は「日本食はスパイスが少なくて胃腸にやさしく、ヘルシーなのがいい」。日本が好きで、いつか桜を見に日本を訪れたいと思っているという。カレーに添えられた福神漬けの名前を記者に尋ね、「おいしくて気に入った」と話した。
「前世は日本人かと思うほど、日本食が好きだ。牛肉以外なら何でも食べる」。そう語る会社社長のディパク・バライさん(60)は仕事で何度も日本を訪れ、ココイチのカレーも食べたことがあったという。この日食べたのは、期間限定品のチキンカレーうどんだった。「スパイスや塩をたくさん入れず、素材の味を大切にする日本の考え方が好きだね」。弁護士のヨゲシュさん(27)も訪日経験はないが店の常連で、最初は新しいものへの興味で来店した。この日はチキンカレーに魚とホウレン草をトッピングするなど、「組み合わせを選ぶのが楽しい」と言う。
2021年2月24日 11時0分 朝日新聞デジタル
https://news.livedoor.com/article/detail/19746901/
日本の文化の中で、海外の人々に好まれているものの中の一つが「日本食」である。
ちなみに、料理の専門家の意見を聞くと「日本食」というのは、奈良時代や平安時代に食べられていた「本膳料理」を中心としてそこから発展した「日本の食材で作った懐石料理」(ステーキ懐石のような洋風の食材や料理の入った懐石料理を除く)ということであるといわれ、「和食」というのは、簡易的に日本で食べられている、日本で発展した料理ということになる。
例えば「寿司」は、本来「主食の上におかずが乗る」などということは懐石料理などではありえない「ファーストフード」であると解釈されるために「和食」ではあるが「日本食ではない」ということになる。
このように考えると、本来現地の本場ではない料理が、なぜか日本で形を変えて発展し、そして日本で独自の進化を遂げた料理のことも「和食」の中に入るということになる。例えば「ラーメン」などがそうで、そもそも「タンメン」という存在は中国にはあるが、そのスープのだしを取り、様々な味や具材を加え、隠し味を多く作り、独自の発展を遂げたラーメンは、すでに「中華料理」ではなく「和食」ということになる。同じように言えば「焼き餃子」(日本では通常餃子といえば、この焼き餃子になる)なども同様に「和食」の範囲内になるということである。
同様に「インド料理」として存在するのが「カレー」である。日本のカレーの起源は、一説には東郷平八郎がイギリスに操船技術のために留学した際、当時イギリスの植民地であったインドから伝わったカレーが、当時の船の中で出たことから、毎週金曜日に船の中の限られた食材でカレーを作るということになったのがきっかけであるといわれている(もちろん諸説あり)。そのために「横須賀海軍カレー」や「自衛隊の駐屯地ごとのカレー」はそれなりにおいしいとされている。
しかし、「それならば本場でカレー」といえば、そのようなメニューは存在しない。そもそもヒンズー教で神と崇め奉られている牛を煮込んだ「ビーフカレー」などというものは、冒涜の料理であって、インドにあるはずがないのである。
まあ、この辺のことは、ここでいろいろ語るよりも、ネパール料理店やインド料理店などに行ってみればわかるのではないか。小さい器に何種類かカレーが入り、それにサフランライス(これもインドにあるかどうかは不明)やナンといわれるパンのような物をつけて食べるのが一般的であり、ご飯の上にルーが掛かっているようなカレーは存在しないのである。
そこで、「日本流カレー」といってインドに上陸したのが日本のカレーチェーン店である。
「日本食はスパイスが少なくて胃腸にやさしく、ヘルシーなのがいい」<上記より抜粋>
チキンカレーに魚とホウレン草をトッピングするなど、「組み合わせを選ぶのが楽しい」と言う。<上記より抜粋>
さて、カレーそのものがおいしいとか、ヘルシーであるということは当然の事、「組み合わせを選ぶ」ということが日本の文化の一つということになる。
そもそも日本食の文化の中には「おかず」という言葉がある。これは、「数々ある品数の中で、自分の好みやその日の気分に合わせて好きなものを好きな分だけ口に入れ、その組み合わせで食を楽しむ」ということが由来になる。つまり「数々ある品」が「おかず」の語源である。そしてそれを口の中に入れて食べることを「口中調味(こうちゅうちょうみ)」というのである。これは「食材の豊富さ」と「食材の安全さ」そして「食べることを楽しむ」というような考え方がある日本であるから存在するのである。
これが上記に挙げた「カレー」や「ラーメン」といった「外来和食」の中で「本場にはない料理を食べることの楽しさ」を醸し出している、いや、「日本の文化そのものを味わっていただいている」というような感じになるのではないか。
日本の「外来和食」が、本場に行って勝負できること、または他の国に行って本場の料理に比べて人気が出るというのは、そのような「自由」と「安全」と「楽しさ」があることではないか。それこそ日本のすばらしさなのである。