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yoyo

いつか何かに出会う準備

2021.02.27 15:01

2才の姪がタブレットでyoutubeを開いていた。覗いてみて驚いたのは、市販のおもちゃを使って大人が遊ぶ、もしくは子どもがおもちゃで遊んでいる様子を大人が撮影・編集してアップロードしている動画が沢山あったことだ。おもちゃで遊ぶ、もしくはおもちゃで遊ぶ子どもを撮影するだけでお金が稼げるとは時代も変わったなと思う。そしてなんとなく違和感を感じ、あまり子どもにそういうチャンネルは見せたくないなとも思う。なぜだろう。こういうチャンネルも教育テレビも子どもが喜べば同じではないか。


少し考えてみて、このチャンネルを見せるなら自分が遊んであげた方がよいと思わされるからだなという考えに至った。このチャンネルでもNHKの教育テレビでも、子どもに映像を見せているという点では同じだけれども、前者は子どもと遊んであげていない自分を責められるような気分にさせられる。だってその市販のおもちゃは今、自分の手元にもあるのだから。


そこでこのチャンネルと教育テレビの違いにも思い至る。子どもが市販のおもちゃを使って遊ぶ映像は代替可能だ。youtubeという場でもそうだけれども、そこ以外、つまり現実とも代替可能なのだ。一方、教育テレビの内容は、到底現実の自分では再現できない。


例えば、今日は鶴の映像が流れた。まだ子どもは鶴を見たことはないけれども、いつか鶴に出会った時、それが鶴だと分かるだろう。同じようなことでいえば、「みんなのうた」の歌い手がこのあいだはさや姉で、次見たときは岡村ちゃんだった。子どもがいつかアイドルが好きになったらあの曲はさや姉だったのかと、いつかサブカル好きになったらあの曲は岡村ちゃんの曲だったのかと気づくだろう。それとは知らずに知っていたものの存在に、時を経てあらためて気づく瞬間はとても幸せだ。少なくとも私はそうだ。つまり教育テレビは子どもがいつか「何か」に出会う準備をしてくれているのだ。


教育テレビが民間に委託されると話題になったとき「教育テレビは“本物”を提供してくれる。委託なんかしてはだめだ」という主旨のツイートが拡散されていた。そのとき、なんとなくその気持ちは分かるものの「“本物”とはなんだ?それは権威と言い換えることもできないか」という違和感が拭えなかった。なんとなくそこへの答えも見つかった気がしている。


私には一人だけ追い続けているママさんyoutuberがいる。それは北脇可奈子さんこときゃなりんという元アナウンサーの方だ。アナウンサー時は京都のローカル番組を担当されていて、清楚なお嬢さま的雰囲気なのだけれど嫌味な感じが一切ない、真面目なところがとても好きだった。夫の転勤と出産で東京へ行かれたところまでは知っていたけれど、その後は追えておらず。自分が母になった直後、youtuberとして頑張られているところに再び出会えたのはとても心強かった。SNSでも発信する姿勢は変わらず真摯で安心した。


一方でそんなきゃなりんにも心無いコメントをする人もいる。子どもを使ってお金を稼いでいるとか。今まではなんでそんなことを言うのだろうと思っていたけれど、たしかにああいうyoutubeチャンネルが日々目に入る世界で生きていればそんな思考になるのもなんとなく分かった。youtubeと小説では相違点はあるものの、きゃなりんのことを応援するとき、私は「作品と作者を切り離して考える」ということの限界を考えてしまう。