まず知ることから始めよう
「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」論語にもあるし、
ソクラテスだって、
「自分自身が無知であることを知っている人間は、
自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。
真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる。」
と言っている。
私は圧倒的に無知だけれど、
知る努力を怠ってはいけないと、最近強く思っている。
日本に原発が、
どこに
何ヶ所
何基
いつから
どうして
あるのかということを、私は今まで知らなかったし、まだ殆ど分かっていない。
でも、目の前に突きつけられた現実は、
何重もの安全策によって守られているはずの
原子力発電所が水素爆発を起こし、
高濃度放射線に汚染された水が海に垂れ流され、
半径20キロ圏内からは住民が退避をよぎなくされ、
半径20~30キロ圏内からは自主避難を勧告され、
福島~関東の原乳、野菜、魚が汚染されているという現実。
原発は必要不可欠だとか、
この事故に乗じて、にわか反原発論者が増えて困るとかいう人がいるけれど、
空気、土壌、海を汚染する恐ろしいものをコントロールできずに、
そして周辺に暮らす人々の安全を優先することもせずに、
パニック回避を名目に『ただちに健康に影響しない』を繰り返し、
情報を隠蔽する。
そんなこの国の仕組みでは、原発を安全に維持する事はできないってことが、
はっきりと目に見えたと思うから、私は今すぐ全ての原発を停止して、
エネルギー政策を大きく転換すべきだと思う。
それでは電力が足りないというのなら、
皆で解決策を模索すればいい。
各家庭での節電はもちろん、通勤時間をずらすことや、
企業が輪番操業をすることを、普通に行えばいい。
火力発電のエネルギー枯渇が懸念されるのであれば、
代替エネルギーを開発すればいい。
風力、太陽光、波力、地熱・・・できるかぎりのことをすべきと思う。
それじゃダメなの?
今、福島原発で懸命に事態を収拾しようとしている人達がいる。
そんな状況で反原発論を唱えるのはどうかしてる、って意見をネットで見たけれど、
非常に劣悪な環境で、命の危険の大きい現場で、使命感を持って仕事をしている方々のためにも、
私は原発の在り方について議論すべきだと思う。
「本当にありがとう、頭が下がります、どうかこの国の為にがんばって」
って祈るなんて無責任すぎない?
なぜ、彼らは命をかけて事態を収束させねばならなくなったのか?
そしてまだこれから多くの人が命を差し出さねばならないのか?
たくさんの人達が家や仕事を失い、不安な生活を強いられるのか?
天災だから?しょうがない?
そんなことで片付けられる問題ではないと思う。