Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

じゅんじゅんホームページ

伝えても、しょうがない。伝えなきゃ、わからない。

2021.03.01 13:30

昨日は父と姉と出掛けてきた。

日曜日の動物園。

小さい子供連れの家族がたくさんいた。

普段あまり目にしない光景に、無職になってから行動範囲や行く場所のレパートリーが完全に決まってきていたのだなと思った。

毎日こたつで暖を取るばかりで、少し煮詰まっていたのかもしれない。

飽きたり暇だと感じるのは抑うつが改善した証の一歩的な感じで言われているから、良い傾向なんだろう。

とはいえご時世もあるので、皆同じようなストレスを感じて生きているんだと思う。

以前の日常は、とんでもなくフリーダムだったのだよな。

[▲椿が咲いていて綺麗だった。梅の花も咲いていて、春がそこまで来ているんだなと感じた。お花見シーズンももうすぐ。]



どこからどこまでイカンのか手探りだし、確固たる正解はマスクくらいでそれ以外人それぞれで、難しい世の中。

人によってはダメって言われるんだろう。

ライブやるのダメって言う人も勿論いる。

私は自分の考えが正しいのだと主張したいとも触れ回りたいとも思わない。

人は人だし、理解できたとしても賛同できるとは限らないし、そんなことする必要ないし。

そういう部分をすり合わせるのって、同居人に、

「トイレットペーパーがなくなったら、新しいのを取り付けておいてくれよ」

くらいでいいと思う。

いや、

「水道の蛇口が少し開いていて水が出ていたよ、もったいないからきちんとしめてね」

くらいかな。

なんというか、深刻すぎる問題であればある程、疑念をぶつけるのは避けた方がいいと思ってしまう。

信仰する宗教の違いとか、政治の話とか。

どうでもいいことって、あっそれなら合わせるわとか譲るわってしやすいけど、どうしても譲れない部分となると難しい。

事象や思想そのものと相手という人間を切り離して考えて、感情的にならなければ良いだけの話なのだけれど。

互いに常に冷静で居られるかどうかなんてわからないし難しいこと。

核心に迫れば迫るほど、人は躍起になってしまう生き物だ。

しかも生き死にという極論に繋がっているから、今の世の中の常識の擦り合わせは、とても難しい。

難しいので、私は私なりの日常を過ごすまで。

それで意を唱えられたら、その人はそういう考えなのだなと思うし、離れていく人がいるならそれはそれで良いんだと思う。

昔の私だったら、その人その人に合わせて取り繕って、去ろうとする人に必死で笑顔を向けて引き留めたりしていたんだろう。

そんな事を思った。

何を言われてもどう思われても自分の毎日だし、そもそも他人である私の事考えてる暇ある他人様なんて世の中に居ないだろう。

"世間の人はあなたの事なんて日に30分も考えてません!"と本に書いてあって、本当にそうだよなと思った。

そう考えると、私の日記やライブを観に来てくれる方達はとてもとても貴重な存在だし、ありがたい事だ、と心底思った。

[▲ペンギン。3匹だけだった。幼稚園児の頃に家族でよく来ていたが、改装などで場所が変わったりしていた。ここは昔から変わっていないと思う。ペンギンの目がダムダム団のジンさんぽかった。人の話を聞いていない感じが似ていたのだろうか。]



父親に、

「暗い歌ばかり唄ってと言われてずっと辛かったんだよ」

と言った。

言い放った直後、堰を切ったように大号泣してしまった。

父は、卑下したつもりはなくてただの感想だから勘違いだと釈明した。

私はそうだったんだな、と思う一方、はいそうですかという気持ちにはなれないまま、

「親に言われる言葉って、幾つになっても、すごくストレートに、ずっしり刺さるんだよ」

と返した。

私の父は、そういうところがある。

昔から、言葉の選びが良くなくて人を傷つけてしまうところがある。

いわゆる無神経というやつだ。

悪気が無いから、タチが悪いのだ。

周りの誰にも指摘されなかったから、未だにそのままなんだとも思う。

この歳になってしまったら、もう考えも凝り固まっていて伝わらないかもしれない。

今後の改善に繋がらない無駄な擦り合わせは、精神の疲労でしかない。

頭ではそう分かっていた筈なのだが、気付いたら口に出していた。

「私が父に褒められて嬉しかった事なんて、一緒にパチスロ行ってフィーバー出して頭をなでられた時くらいだ!」

と言って泣いた。

これは自分で言っておいてちょっと笑ってしまった。

父も笑って、そうか、と言っていた。

売店で記念に何か買ってやると言われた。

姉はエコバッグと母へのお土産の柿ピーを選んでいた。

私はぬいぐるみが欲しかったが、おうちにコリラックマが既に居るしこの歳でぬいぐるみってどうなのかなと思って、ギターケースに付けられる手のひらサイズの動物のキーホルダーにしようかと売り場を物色。

結局、レッサーパンダのパペットにした。

可愛かったんだもん。

自分で思っておいてなんだけど、歳とかどうでもええわ。

帰り道、手にはめて歩きながら眺めた。

お姉ちゃんがかわいいねと笑ってた。

可愛いは、1500円で買える。

しかもプレゼント。

すごく幸せ。

父に感謝。

ありがとう。

[▲この間買ってきたニュータンタンメンを食べた。にんにくが効いていて美味しい。ジャンクフードもたまには良いよね。レッサーパンダさん、可愛い。]



人の寿命がいくつまでなのかわからない以上、伝えたい事はお互いが生きてるうちに伝えるべきだと思った。

人間って本当に、言葉に出さなきゃ伝わらない。

それがたとえ不毛な口論になってしまっても、死んでしまったら、ぶつけることすら出来なくなってしまうから。

私も父も不死の病じゃないしすぐ死ぬわけじゃない。

でも、おしまいがいつかはわからない。

心の中のどこかの私がそう思って、父親に言葉を投げたんだと思う。

突然あんな事を口にするなんて、自分でもすごく不思議だった。

人生には、自分の頭では理解が及ばない、不思議な事がたくさんある。

無駄な争いは避けて生きていきたい。

それでも伝えたい人には、思い切って伝えてみるべき。

可愛いと思ったら、思い切って買ってみるべき。

時には脳みそ使わずに、ババっと行動してみるのも大事だね。

それにしても私はすぐに号泣する人間だなと思った。

本心を打ち明けて泣くなんてそうそう無いから、ある意味良いアウトプットだったのでは。

もう少し小出しに賢く出来れば良いのだろうが、私にはこれが精一杯。

ちゃんと正直に言えて、えらい。

パペットを動かすのがとても上手なので、ずっとひとり人形劇していられます。

新しい話し相手が出来て、嬉しい日曜日でした。

せいいっぱい、生きた。