アメリカのERで1日、いえ、2日過ごしてみて。。。。
アメリカでERにお世話になるって何か映画の世界のようですよね。救急車が引っ切りなしに入ってきます。
まさか自分が(息子が)ERのお世話になるとは思っていませんでした。
1月に初めてADHDのお薬を処方された長男のカイ君。17歳で思春期の多感な時期でもありましたが、脳外科の強いススメもありADHDのお薬”Methyphenid"を1月から試してみることに。気軽にお薬大国アメリカ。お医者様が軽い分量で処方箋を出すとのことで、我が家もキョロキョロしてなかなか学習に集中できていないカイ君の学習環境の改善に希望を持って試してみることに。
1月初旬から処方を始めたお薬に2週間もしないうちにカイ君はお手てがビリビリする、頭が痛い、ふらふらする。などの副作用を訴えました。その一方ADHDは全く改善されない。。。それだけでなくカイ君はいつもより心配ごとが毎日増えていくという怪しい服採用が顕著に現れてきたのです。
お腹が痛いので、腎臓に石がある。ほくろがガンになる。心臓がドキドキするので心臓発作が起きた。頭が痛いので脳浸透。とにかく尋常ではない健康へ心配ごとをずっと心配するカイ君。あまりに同じことを繰り返し連呼するのでイラッとして叱ってしまうことも。ごめんなさい!
2週間後にカイ君の様子が改善されないので怪しいと思い、脳外科のお医者様に連絡したところお薬の容量を下げるとのこと。え?最初から少ない容量から始めるので副作用は心配ないと言ったのはあなたでは!?という疑念を感じ始めたところでした。
2週間後にカイ君はお薬事態をを拒絶し、脳外科のお医者様が容量を下げると言った処方箋を無視し止めることに!そこからさらに地獄が始まったのです。 体の不調に関する一連のネガティブ、異常なこだわりは英語では一般的にOCD( Obsessive-Compulsive Disorder)と呼ばれるものですが、その良識を超えたパラノイア "Paranoia"。幻覚、幻想を見たり、聞いたり、眠ることさえ出来なくなったのです。しまいには私の手に捕まってなくては震えが止まらないほストレスと精神的な苦痛なほどの怯えに悩まされるようになりました。普段カイ君を知る学校の先生、セラピストの方達もびっくり。(さすがプロ。顔にはあまり出しませんでしたが。)
義理の父が倒れて以来夫は不在。症状が一進後退するカイ君の様子を見守りながらお友達ファミリーにもカイ君に会いにきてもらったり、海外に住む親しいお友達ファミリーとフェイスタイムをしてみたり。。。。しまいに大好きなパパとのフェイスタイムも本当のパパじゃないと拒んだり。スーパーや学校に行くと『お前は嘘つきだ』『捕まえてやる』などの恐ろしい声が聞こえてくるとのこと。夜も悪夢で寝れな日が続きました。 話を聞いただけでも恐ろしいですよね。。。。
お薬を処方した脳外科のお医者様は雲隠れ。でもどのお医者様に見て貰えばいいの?”Psychiatrist”って知ってますか?いわゆる精神病科医。しかしパンデミックの状況下、精神科医は3ヶ月先まで予約がいっぱいなのです。
掛かり付け医のススメもあり先週月曜日にはいわゆるERに連れていくことを決意。
当日は 長丁場を予想してカイ君のメディカルヒストリーファイル、私のコンピューター、大きなお水のボトル、上着。思いついたものを軽く詰め軽い気持ちで朝の10時半にERへチェックイン。
看護婦からの基本的な質問、いわゆるバイタルチェック、血圧などのチェックを済ますと程なくERの先生が登場。カイ君のこれまでの経緯をこと細かくに伝え精神科医を呼んでくれるよう要請。先生も精神科医を呼ぶとのお返事。看護婦からは、医者が来るのは1時間後かもしれないし4時間後かもしれないとのこと。 その後、壁のものや部屋のものを取り除いたり、私の私物をどけるよう要請したり(なぜ?)カイ君は部屋から出ることを禁止され、私達はなんとその後10時間狭い部屋で監視されたのです!
途中お友達から何度も電話が有りましたよ。大丈夫かと。私も何度も看護婦や受付、周りの人々に先生はいつ来るの聞きました。返事はいつも同じもうすぐ来る。10時間ですよ? 夜の8時半にようやく現れたのはなんと医者ではなくなんとセラピスト!しかもカウンティーから派遣されていて、カイ君が精神病院に入るか今からチェックするとのこと。
とても礼儀正しい日本人の私も流石にブチギレ(気が小さいのでプチギレです。)医者では無いなら必要ないと主張。ブルブル震えて私に捕まってる息子をどうやって精神病院に遅れますか!てか有りえない展開でした。そこでやっとERの医者も登場して『これはミスコミュニケーションでした。すみませんでした』などと言うでは有りませんか。 怒り狂ってはいたものの、とっても日本人なわたし。ブルブル震えているカイ君を連れて夜9時近くに怒り狂いながら帰宅。その間、次男は幸いお友達に面倒をみて貰ったもののほったらかしですよ!
さて、家に帰ってやっと気づきました。
『児童虐待』の可能性があるケースだと最初から決めつけられていたのです。
緊急事態だから助けを求めて行ったERで治療どころか10時間以上監禁された挙句、市から子供を虐待から守るための監視員を送ってきたのです。怒りのあまりその日は疲れも忘れて眠れず。オーストラリアに住むフランス人の友人に電話で話を聞いてもらい泣きまくりました。思い返すと私がERで取り乱していたらカイ君を取り上げられたかもしれません。
後々、子供が腕の骨を折ったなどのケースで児童虐待と疑われたと話を聞きました。本当に恐るべしアメリカ。 今週になってようやくカイ君の体調が回復してきました。学校の先生もカイ君の回復ぶりを見て涙目に。周りのアメリカ人の友人達はもちろん弁護士先生に相談するようにと。別のお友達はアジア人女性だから差別されたのだと。
カリフォルニア5年目。アメリカってつくづく大変な国です。その後、次の日は別の病院のERをおとづれることに。。。。。
今日も夕日とても綺麗でした✨
カイ君の回復への感謝とすばらしいお友達に感謝して明日も頑張ろう💓