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「手放す」は「受け入れて許す」こと

2016.10.22 02:09

昔から曜日の感覚が薄いですが、子供のお世話生活だとますます病的になりますね w


世間的にはゆったりの生活になるのかな。


しかし。


24時間縛りすらもない忙しい仕事生活も経験した上での実感としては、そのころよりハードなイメージありますが。


とはいえ「生活」というベースの時間がずっとあるわけなので、刺激の部分は極薄味です。


なんですが…

日々な〜〜んにもないようで実は気持ちの上では無意識レベルのものも入れたら数え切れないくらいの「振動」があるなーと再発見しています。


前回の記事で、実際の外に見えるひとの表現よりも「本心」的な内側のエネルギーの振動が伝わってきたり、 「色」みたいな目に見えるようなものを”感じる”体質だ、と書きました。


なので

にんげん=エネルギーのいれもの

という意識がすごく強いです。

この感覚はとっても小さな頃からあるはずなのに、「自分の意識」と「自分」を切り離して考えることができなかったおかげでたくさんたくさんいらない苦労(と呼ばれそうなコト)を経験してきました(笑)


それはそれは刺激でいっぱい!ww


※「意識」と「自分」を切り離せそうな段階にきたっていうはなしはこの記事とこの記事で書いてます。


それが意識的に常に「自分」であれる状況が圧倒的多数になったからといって、未來永劫悟りの境地で怒りも悲しみもそれを感じる出来事もない、というわけではないことも含めて気持ちをハンドルできるようになってきて思うことがあります。


それはごくありふれた日常の動作やできごとひとつひとつの中にも、「感動」はあるし「しあわせ」はあるってこと。


それがいやな気持ちになることにも


です。


エネルギーの振動に耳を澄ます。

意識の目を向けてその波を感じる。


のみこまれないで観察者の視点を持てると、渦 の中からいつの間にか抜けてる。


そのスピードが早いし、いやな感覚でも面白がったり見えなかった角度の発見になったり。


結果「楽し」んでる自分がいます。


不思議なもんです。



それもこれも強制的に「家にいて世間的に特記できる何かをなにもしてない状態」の期間が通算で1年以上もあったから理解できたこと。


昔はこれが怖くて怖くて!


なんにもしない、とか全く無理で。

じっとしてるのが小さな頃からできない人でした。


加えて母との記憶からとても「主婦」としての時間を過ごす自分を許せなかった。


一見つまらない「静」のバイオリズムな時間。


苦しい、からと身をよじって避けることができない「内側」へのエネルギーの時間。


あえて受け入れて、あえてちゃんとそこに自分を投入してみたら、いつかの母の態度の理由も気持ちも見えてきた。


心が平和を取り戻せたら、その時間のほんとの味わい方も分かることができた。



「手放す」

 はわたしにとって

「受け入れて許容する」ことでした。



で、いまは…。


 「当時」からはまた視点も立場も違うから、願うことも少しずつ変わってます。


前ならそこに「過去」をくっつけて


あの資格があるから…

あの経験があるから…

あの実績を無駄にしないように…


損しないように


って考えてたけど。


でもその「コロコロ変わる」もオッケー出して、しかも生かしていくこともできるんじゃないかって前提を採用してみることにしました。


あ、これも「手放す」だな。

引き寄せの法則とかに対して表面ばっかで欲目当てでいた頃は、全然的外れな理解だったのに w

繰り返せば自然になっていくもんですね(笑)


そうするととても身軽。

ぽんぽんぽんとアイデアも湧いてくるし、情報もぱっ!とドンピシャのものに当たる。


できない前提、難しい前提でいると全然、調べても調べても全くヒントすらない上に、「やっぱダメなんだ」ってことを裏付けるような出来事や言動にぶつかるのに(笑)


ちょっと現段階では無理そうなアイデアがバンっ!と出てきてしまいました(笑)


お披露目の時期は見当もつきませんが、ちょっと温めてみようと思います。


またずっと前なら想像すらつかなかったけど叶ったことたちのように、ここに記すことができるのをたのしみに。


偶然見つけたハート形の雲。横倒しだけど ww