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砕け散ったプライドを拾い集めて

バカロレア

2021.03.03 00:44

(パンテオン・ソルボンヌ大学)


友人たちと話していて時折話題になるのは、〝日本人には「哲学」がないのではないか?〟ということである。

そんなとき、フランスへ目を転じてみると……。
ここでは高校3年の時点で「哲学」が必修科目になる。文科系の生徒は週8時間、経済社会学系は週4時間、理科系は週3時間、技能系でも週2時間の受講が義務付けられる。その成果は、「バカロレア」で問われてくる。

 「バカロレア」とはフランス国民教育省が管理する高等学校教育の修了を認証する国家試験である。これを取得すれば原則どの大学にも入学することができる。「一般バカロレア」(さらに「人文系」、「経済社会系」、「理系」の3つに再分化)「技術バカロレア」「職業バカロレア」とあり、受験科目も大変に多い。

 ヨーロッパ全体を見てもフランスほど徹底的に哲学教育をやっている国はない。哲学愛好国と言える。批判精神に優れ、街角でマイクを向けられると誰もが理路整然と語る。哲学雑誌が一定数売れ、哲学カフェはいつも盛況だ。これらは哲学教育がベースにあり、哲学が共有されているからこそ可能なことだ。 高校でこういう思考訓練を徹底的に受けている国民は議論をしたらさぞかし手強いだろうと思うはず。
正しくその通りだ。実際フランス人とビジネスやプライベートで付き合ったことはあるが、本当に手強い。「もういい加減に、素直に“ウイ”って言えばどうよ?」と思うほどに粘り強く自説を曲げずに理屈っぽい。

 で、その「バカロレア」の「哲学」の出題を読んで、目を剥き、腰を抜かした。 ―――――――――――――――――――――――――――――
人文系の生徒に出された2019年哲学の問題を見てみる。

1. 時間から逃れることは可能か?
2. 芸術作品を解釈することは何になるのか?
3. ヘーゲル『法の哲学』からの抜粋の解説

●次に経済社会系の生徒に対する2018年のバカロレアの哲学の問題を見てみる。

1. 道徳は最良の政策なのか? 
2. 労働は人々を分断するのか?
3. ライプニッツ「デカルトの『哲学の原理』総論に対する批判」からの抜粋の解説

●最後に技術系の生徒に対する2019年のバカロレアの哲学の問題を見てみる。 

1. 交換されるだけのものは価値があるのか?
2. 法は我々にとって役に立つのか?
3. モンテーニュ 『エセー』からの抜粋の解説

●過去出題のいくつかも……
・2010年:「言語は道具に過ぎないのか?」
・2016年:「より短い時間働けば、よりよく生きられるか?」
・2018年:「欲望は私たちの不完全性の象徴ですか」 ―――――――――――――――――――

これを17〜18歳の高校生に問うて答えさせようとするのか!?
もちろん、自由解答で、与えられた時間は4時間。
日本人の一人前の大人でこれらに合格点が貰えるほど思索して書き込める者が何%いるのだろうか……?

その模範回答例なるものを見たが、「語句の定義」「論題の定義」「問題の定義」などをクリアにした後、「イントロダクション」「本論」「展開」と淀みなく書き込まれている。(※長くなるのでここでは割愛)

私は絶句して、俯いた。
稀代の名著であるウイトゲンシュタインの『論理哲学論考』の翻訳の野矢茂樹が「理性が野放しになった最たるものが哲学なのである」って言っているが、正しくそれが求められている。

 もちろん、日本にもこの辺りのフエイズに関して警鐘を鳴らす人は少なくない。

 ──もっと理を通して争いましょう。理不尽なことには理不尽といいましょう。理と理でなされる喧嘩を恐れるな。勉強しよう。言葉を覚えよう。論理を身につけよう。……目の前の面倒な争いごとに「反論も面倒だから」と屈するちょっとの怠惰が回り回って社会を息苦しくするから。(増田聡‏)

 ──本当にやってる人間、取り組んでる人間っていうのは具体的で物質的な話をするんだ。なぜなら世界は精神じゃなく物理で動いてるから。ごく当たり前のことなんだけど、これがやってない人間には分からないし、分かってても語るべき情報もノウハウもないから話す内容がどんどんスピリチュアルになっていく。(永島裕士)

 ──『心でっかちの日本人ー集団主義文化という幻想』(山岸俊男)という本がある。名著である。「心でっかち」というのは山岸俊男の造語である。お分かりのように、「頭でっかち」の反対語である。つまり、「心でっかち」とは情緒とか精神論で考え過ぎるということになる。ちゃんとした論理や推論が構築できなくて、情緒、精神主義やスピリチャルにグズグズに堕ちて行く傾向が日本人には強いと指摘している。

……でも、そういう理が立った世間になると大半の日本人にとっては住みづらくなるんだろうね。

──永らく海外(スペインだったかフランス)で活躍してきた女流の画家(名前失念)が、久しぶりに日本へ里帰りして、コメントしていた。「いいとか悪いとか言うのではなく、日本の画家の絵にはすべて〝靄(もや)〟が掛かっている」と。

須くそうなんだね。
湿度高すぎるんだよ、この国は。