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行く春や 鳥啼き魚の 目は泪

2018.03.03 04:56

http://575.jpn.org/article/174793647.html 【行く春や(松尾芭蕉)】より

行く春や 鳥啼き魚の 目は泪  松尾芭蕉

■ 訳

春が過ぎ去ってしまうことに鳥は鳴いて悲しみ、魚の目には涙が浮かんでいるよ。

■ 解説

「行く春」は晩春(季語)を指します。

■ この詩が詠まれた背景

この詩はおくのほそ道(第2首目)に収録されています。

この句の前に、「彌生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かにみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて 船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。」(3月27日、早朝の空はかすんでいて、月の光は日の出とともに薄くなっており、富士山はかすかに見える。上野、谷中(台東区)の桜のこずえを、いつまた見ることができるのだろうかと心細く思う。友人たちが宵のうち(18時ごろ)から集まり、船に乗って送ってくれた。千住というところ(足立区の北千住駅一帯)で船から降り、これから3千里(約12,000 ㎞)の旅が始まるのだと思うと胸がいっぱいになり、幻のように儚い運命の分かれ道に離別の涙を流した。)とあります。

(幻のちまたは「幻の巷」と書き、幻のようにはかないこの世の分かれ道という意味があります。)

豆知識

芭蕉がいよいよ旅に出発する際に詠んだ句です。

当時の旅は大変危険で、無事に生きて帰れるかどうかわからなかったことや、東北への旅は方角的に鬼門となるため、不安要素も多かったことかと思われます。

3千里(約12,000 ㎞)の旅と書かれていますが、実際の行程は600里(約 2,400 km)でした。

それでも大変な距離ですが、当時46歳だった芭蕉はそれをわずか5か月で移動し帰省しています。

http://senbonzakura.skr.jp/05hosomichi/13tokyo/004senju/senju01.htm 【出立の地(矢立初の地) 千住】 より 

1689年3月27日(新暦5月16日)千住から奥の細道への長い旅路が始まりました。

弥生(3月)も末の27日、あけぼのの空はおぼろに霞み有明の月(明け方の月)で光が薄らいでいるとは言え、富士山が霞んで見え、上野や谷中には桜の梢が見える。それらを又いつ帰って見られるのか…、心細く思える。

親しい者たちは前の晩から集まって、今朝はともに舟に乗り見送ってくれる。 

千住と言うところで船を下りると、ここから先3000里も有るかと思うとその思いで胸がいっぱいになり、どうせこの世は夢幻のように儚い世界だとしても、そうは分っていても旅立ちにあたっては別れの涙を流すのである。

  行く春や鳥啼き魚の目は涙  ( いくはるや とりなき うおのめはなみだ )

(春が去ろうとしている。そして我々も旅立とうとしている。その心細さに、鳥の鳴声が泣いている様に聞こえ、魚の目には涙が浮かんでいる様に思えるよ)    

 この句を旅の最初の句として、旅の第一歩を踏み出したがなかなか思うように足が進まない。人々は道の途中に立ち並んで、後姿が消えるまでといつまでも別れを惜しんで見送ってくれるのである。

 中央卸売市場足立市場前の『千住宿 奥の細道プチテラス』。

平成16年(2004)12月12日(日)奥の細道 矢立初の芭蕉像 落成式(松尾芭蕉生誕360年記念事業)が行われました。

訪問したのは2007.2.24、富士も見えなければ上野の桜も谷中の桜もまだですので手持ち写真でそれらしく…

 江戸から、東北地方に向かう日光街道の支えとなるのが千住大橋。当時、川に橋の有るかどうかが街道の重要なポイントとなりました。

深川から舟で隅田川を遡り、千住で舟を降りていよいよみちのくへの旅立ちです。

橋の北側・橋の下にちょっとした広場があって、壁面に関連の記事や絵が描かれています。

橋の袂に広場・大橋公園が有ります。ここに、松尾芭蕉・曾良の「奥の細道」紀行出発にあたり、初めの一句を詠んだところ(=矢立初めの地)の記念碑が建っています。

また、矢立ての初句、『 行く春や鳥啼き魚の目は涙  』の石碑が有ります。

ところで、実際には別な句が詠まれたようで、『おくのほそ道』の仕上げの段階でこの句になったようです。

結びの地・大垣の句は『 蛤(はまぐり)のふたみにわかれて行く秋ぞ 』つまり、『行く春や』と『行く秋ぞ』が対になっています。

 【南千住・素盞雄(スサノオ)神社】

南千住側の、橋の手前にスサノオ神社があり、境内に芭蕉句碑が有ります。桃の節句を控え、豪華な雛壇飾りが展示されていました。

深川の芭蕉庵を去るときの句。『草の戸も住み替はる代ぞひなの家』の句が思い出されます。奥の細道の千住部分の一節と『行く春や…』の句が載っている句碑。


https://yeahscars.com/kuhi/yukuharu/ 【行春や鳥啼魚の目は泪】 より

ゆくはるや とりなきうおのめはなみだ

行春や鳥啼魚の目は泪元禄2年(1689年)松尾芭蕉「おくのほそ道」の旅。3月27日(新暦5月16日)の晴天の中、見送り人とともに千住に下船して、この句を「おくのほそ道」の詠みはじめとして、不安の募る中で人々に別れを告げた。

曾良旅日記には3月20日に千住に入ったとあり、3月27日夜は春日部泊とあるが、これは誤りか。杉風詠草には、多病が心もとなくて弥生末まで引きとどめたとある。

以下、「おくのほそ道 旅立」より。

弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

 行春や鳥啼魚の目は泪

是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。

▶ 松尾芭蕉の句

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句評「行春や鳥啼魚の目は泪」

蓑笠庵梨一「奥細道菅菰抄」1778年

杜甫ガ春望ノ詩二、感時花濺涙、恨別鳥驚心。文選古詩二、王鮪懐河岫、晨風(鷹ヲ云)思北林。古楽府二、枯魚過河泣、何時還復入。是等を趣向の句なるべし。

素盞雄神社の句碑(東京都荒川区)

行春や鳥啼魚の目は泪千住の隅田川河畔に素盞雄神社があり、本殿脇に、荒川区指定文化財「松尾芭蕉の碑」がある。「千壽といふ所より船をあかれは 前途三千里のおもひ胸にふさかり まほろしのちまたに離別のなみたをそゝく 行くはるや鳥啼魚の目はなみた はせを翁 巳友巣兆子翁の小影をうつし またわれをしてその句を記さしむ 鵬斎老人書」と刻まれる。

文政3年(1820年)の芭蕉忌である10月12日、千住の山崎鯉隠による建立。銘文は亀田鵬斎、画は建部巣兆が手がけている。長年の風雨により損傷が激しかったが、平成7年に復刻した。その際に「奥の細道矢立初め全国俳句大会」を行い、現在では毎年の恒例行事となっている。

以下は、素盞雄神社鳥居外に掲げられた、句碑の説明文である。

ここ千住は日光道中の初宿で、当社より少し北上したところに架かる千住大橋は、江戸で最初に架けられた橋として知られています。浮世絵のなかの大橋も行き交う人々で賑っていますが、旅を住処とした漂泊の詩人・松尾芭蕉も、ここ千住から「奥の細道」へと旅立ちました。

この紀行から百三十年後の文政三年(一八二〇)、千住宿に集う文人達によって旅立ちの地の鎮守である当社に句碑が建てられました。

「奥の細道」矢立初めとなる一節を刻んだこの碑は、江戸随一の儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を、文人画壇の重鎮である谷文晁の弟子で隅田川の対岸関屋在住の建部巣兆が座像を手がけています。

千住からは日光街道を辿ったから、芭蕉が下船したのは隅田川の対岸、今は大橋公園となっているあたり。そこには、「おくのほそ道矢立初の碑」がある。

【撮影日:2019年5月6日】


http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/oku/edoaa02.htm 【<江戸・千住>(えど・せんじゅ)東京都足立区、荒川区】より

 元禄二年三月二十七日(1689年5月16日)早朝、芭蕉は深川を発ち、多くの見送りの人たちとともに隅田川を舟でさかのぼり、千住に上陸しました。

 右の写真は千住大橋のたもとの公園に立つ文学碑。

 むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪(なみだ)をそゝぐ

<訳>親しい人たちはみな、前の晩から集まって、(今朝は)舟に乗って見送ってくれる。千住という所で舟からあがると、前途三千里という思いで胸がいっぱいになり、この幻の(ようにはかない)世の別れ道に立って離別の涙を流す。

 見送りの人たちとも別れ、この先曽良(そら)と同行二人。約5ヶ月に及ぶ『奥の細道』の旅の始まりです。

「行春や鳥啼魚の目は泪」

 是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。

<訳>「…下段参照…」この句を矢立の初めとして歩き出したが、(人々の名残惜しさに)行く道はなかなか進まない。人々は道に立ち並んで、(私たちの)後ろ姿が見えるまではと見送っているのだろう。

続いて、芭蕉の句(↓)へ。

<芭蕉の句>

 行春や 鳥啼魚の 目は泪

(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)

<句意>

暮れて行く春に(に自分も旅立ってゆく)。(その悲しさに)鳥も鳴き、魚も目に涙があふれていることよ。