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絶対零度

1980年5月〜7月の記憶の断片 中川一郎

2021.03.03 11:14

昨年末、1980年5月当時に絶対零度のマネジャーだった林原聡太さんのスケジュール記録のコピーを見せてもらいまして。断片的に思い出したことを時系列的に記してみました。


1980年5月〜7月の中川一郎@絶対零度のベース


■5/4

スタジオマグネット

「回天'80の開場前に食事か何かに行って、戻ってきた時に、結構な行列ができていた。その中に高校の時の同級生がいて「俺と笹山も絶対零度というバンドで出るんだ」みたいな話をしたような。


■5/11 筑波アクアク

筑波エクスプレスのなかった頃だから、ひたすら遠かった。土浦からバスで筑波中央だったか。いろいろとお世話してくれた浅野さん。その後、山海塾の関連記事とかでお見かけしたりして、思い出しました。


初めて突然段ボールを見た。とてもストレートなスリーピースで。ベースの人が蔦木ご兄弟と対照的だったのが印象に残った。絶対零度は何を演奏したのだろう。多分、回天の時とそれほど変わらないか。


いつの練習だったか定かでないのだけれども、この突然段ボールを見た後の練習の時に「拙速」が、笹山、木村の先導でできた気がする。


■5/25 GOBANGAI 

このときだったか?

これが下北沢の五番街だったでしょうか。

ライブの後で、地引さんに来ていただいて、笹山が持ってきた温度計をギターケースの上で割って、EPのジャケット写真となった。

それで、アケミが暴れ始めて、笹山が飛び出していき、アケミと四つに組み、中川は情けなくもアケミに「あばれるのではなく、音楽で勝負しなさいよ」とか声かけてた。笹山の勇気と行動に感動しました。


■6/8 アケタの店

S-Kenが対バンで。お客さんは少なかった気がする。初めてのS-Kenだったのだけれど、身構えていたのですが。とてもポップで明るい感じで。中川は非常にアウェイ感を感じていました。


■6/14 ストリートサバイバル宣言

一番最初のリザードが随分と丹念に時間かけて、リハーサルをやっていて。それでライブが始まったら大いに盛り上がって。お客さんも大いにノリノリで。


その直後に絶対零度の番で。一気に、大いに静まり返ったような印象があります。その場全体に冷水を浴びせたというか。「俺たちは予定調和を拒否する」みたいな気負いもありながら、中川はベース弾いてたかもしれない。


終わって、メンバーで二階から他のバンド見てたら、大熊さんに会いたいというミニコミとかやっていそうなお嬢さんが訪ねてきて。ああいう場を一気に冷やすようなライブやってもこうやって注目してくれる人もいるんだと感心したような気もします。


リザードのワカさんが、楽屋で、アンプに繋がぬベースギターで、もの静かにずっと、ドアーズの「ジ・エンド」のイントロのギターのリフを弾いていた。それを見ながら、「ドアーズ好きなんだ」と。「金曜娯楽館」というテレビ番組で見た印象と随分と違ったのが印象的でした。


一番最後がジュネ。ロンドンから帰ってきたことを報告して、確かこの時がオートモッドとしての初ステージだったか。大人数の舞台でギターの人が元気に飛び跳ねながら演奏していたのが印象深く。


■6/26

マイナーの闇射

 このライブ行ったの覚えてる。香村かをりさんのドラムス、大熊さんの不思議なシンセサイザーのフレーズの繰り返し、広瀬くんのシンプルなベースの繰り返し、そして白塗りの荻野さんのボーカル。


 ビートを解体して、闇を主題に脱構築する。絶対零度でやっていたこととの異質さを強く感じたのでした。

 

■7/2 レコーディング

基本的に一発録り。サックスとかピアノとか重ねたけれども。それでライブ感は出たなと感じます。


徹夜だった。朝、六本木から笹山と同じ地下鉄に乗って帰ったような。


以上 中川一郎でした。