「安かろう悪かろう」の常識と靴
足は身体の中で唯一・・・
と、言う役割、機能を持ちますが、
足は安易でぞんざいに多くの方は認識し、靴を履く事でその役割、健康、機能を失う事を。
足は身体のバランスを取り、支え、あなたの身体だけではなく、意思など多くのことを自分の思うがままに運ぶ事のできる唯一の部位。
その足の機能を失う、役割を落とす、痛みの世界に進める意識、安易さは靴選びから始まっています。
その靴選び、あなたは自分に確かさを求めていますか?
先ず、その意識の高い方はいないでしょう。
その安易さが自分のこれから、
足の健康と身体への影響を知らない事、意識で・・・
だからと、靴選びの意識を正しく、
高い認識を持てば持つほど、
市販の靴、既製品、インソールで足を健康とその機能、自分の為に適切、正しく選べる靴、製品などない事がよく理解でします。
それら供給量だけが多く、安易な製品で今よりも良くする事も出来ず、人の体は否応無しに衰えを止める事は出来ない中で、年齢と比例して足の健康被害者は増加、足の状態も複雑さを増し、対処し良くすることよりも、悪化を止めることだけでも難しい足と健康状態の方をよく診ます。
数の多さに自分の為のものがあると思う錯覚?
知らない事を世間と同等に正しい認識と信じる不確かさ。
人は人、足の形も、状態も、同じ方はいない事も認識に入れないで、靴と自分の足、状態、これからのあなたの何の確かさに繋がっているのか?
足と靴に困った方が相談に来ますが、
ほとんどの方が、世間と同じ。
世間と同じ認識、常識の中で足を悪くし、
「何故?私だけ・・・」
「私の足の形が悪いから、外反母趾に・・・」とか、
確かな視点を自分に当てはめ、現実の靴社会と自分、自分の為に健康、これからを良くする事や楽に、出来るだけ快適に足を悪くしない確かな感覚になるまで、安易さ、不確かな常識、その事と並行して足の状態、健康を悪くしていく人がほとんどです。
無い靴の世界の中で探す人たち。
(理にかなっていない世界)
その事を知っていても説明されず、無責任に足に不適切な靴の提供をし続ける文化の歴史、慣習の濃い靴を扱う者達。
これでは足の健康被害者は無くならない。
足元をすくわれて当然と感じます。
本物、本当の靴は足に痛みは起こしません。外反母趾などの原因も持たないので、外反母趾など成る理由がありません。
その為の技術と市販の靴は近くもなく、とてもかけ離れ、多くの理に適った技術。
「安かろう悪かろう」この言葉は
靴を指す言葉にいつも聞こえます。
業界内でも良く聞きますが、
言葉にする安易さからして嫌なものです。