負けてたまるか! 日本人
元伊藤忠商事会長、丹羽 宇一郎さんとノンフィクション作家、保阪正康さんの15時間に及ぶ対談をまとめたものです。保阪さんは 同志社大学文学部卒業後、編集者を経て作家になり、「昭和史を語り継ぐ会」を主宰し、延べ4千人に及ぶ関係者の肉声を記録してきました。2004年、一連の昭和史研究で第52回菊池寛賞受賞(出版社のHPより)。丹羽さんの本には「負けてたまるか」というタイトルがついている著作がいくつかあり、今回もてっきり、最近元気のない日本人に活を入れる内容の本かと思って読んだのですが、そうではなく(もちろん、そういった部分もあるのですが)、正直、読んでよかったと思いました。端的に言うと本書は、(副題に「私たちは歴史から何を学ぶか」とあるように)「歴史認識」に対しどう向き合うか? というのがテーマになっています。「歴史」と言っても単に教科書にある史実の確認ではありません。特に良かったのが第一章の「なぜ歴史を伝えなければならないのか」です。この中では「尖閣諸島の問題」「日米同盟」「沖縄」等の問題が議論に上がっているのですが、特に印象的だったのは、戦時中、軍部が科学者へ強要した原爆開発に関するエピソードです。
「原子物理学」の研究に携わった日本の戦時中の科学者たちの話の中で、保阪さんが(ある科学者から)「原子物理学は覚悟がないとできない学問だった。」と聞いた、という話から日本の原爆開発の歴史を語り始めるところがあります。その言葉の主旨というのは、要するに「原子物理学」というのは、原爆を開発するのに必要な研究をする学問で、戦時中軍部から「何万人も死ぬものを作れ」と命じられて、科学者は心理的に苦悶しながらも研究を進めます。「ウラン253に中性子を加えると爆発する」、という発見を応用し、人を殺す爆弾をつくるのが自らの研究とされた研究者中で、はじめは「作れるけどできません。」と断りますが、でも「作れ」と命じられて、相当に心理的に苦しみながら研究を進めました。例えば、当時を代表する湯川秀樹さん、朝永振一郎さんなどはその研究に対し、心の苦しみを書き綴り、その記録も残っているそうです。この日本における原子物理学の科学者の系譜は時代を通していくつかの世代にわかれますが、保阪さんは、その湯川さん達最初の世代が味わった「相当の苦しみ」が伝わった世代(おそらく、湯川さんのすぐ後の世代)は、さっさと原子物理学から離れて行ってしまい、今(原発の)研究をやっているのは、その「苦しみ」が伝わっていない(新世代の)人たちで、そういった科学者は「あまりモノを考えないで、予算が付くから原子物理学をやっている人たちだ。」と言います。
つまり、保阪さんは、原子物理学の研究というのは、日本では原爆をつくるために始めた学問であり、その研究目的が「人殺し」であったため、最初の科学者たちは、自らの良心において苦悶した、十字架を背負わされた。しかし、後世の原子物理学者は、戦中の科学者先輩の苦悶もしらず、研究に十分な予算が付く、というだけで何も考えず(今でも危険な)原子物理学を自らの研究対象に選ぶ若手に警鐘を鳴らしているのです。
丹羽さんはこの保阪さんの話に対し、「科学者はあくまでも真理の探究だけをするので、発見した科学技術をどう利用するかは科学者にだけ任せていたらダメで、利用方法を考えるのは『リベラル・アーツ』を勉強している人々(哲学者、宗教学者、歴史学者、心理学者など文系の研究者)と一緒になって議論して判断するのが今の欧米の動きになっている。」と語ります。「科学技術は、真理の追究でいくべきだと考えるが、技術者任せにせず、リベラル・アーツを入れ、どのようにしたら人々の幸せのためにその技術を生かしていけるのか、そういった議論が必要になる。」
保阪さんは、この丹羽さんの話から、更に戦時中の東大におけるエピソードを引用します。戦時中、東大で原爆開発理論の研究をやらされていた一番若手の研究者で、戦後大学の教授になった人がいたそうです。「当時、その人は、研究室で、ウラン235に中性子を加えたら、どれだけの爆発が起こるかの計算ばかりやっていて、爆心地からどのくらい離れた場所のビルがどのくらい破壊されるか、一つの都市がどのくらいの破壊被害を受けるのかの予測計算をしていました。」そして、不幸にも投下された1945年8月6日の広島の原爆の被害状況を知った時、彼は次のように語ったと言います。「(自分の)計算がぴたりと合っていたことに喜びを感じた。これはもちろん言ってはいけないことだが、きっと自分の子供や親や女房が死んでもそう感じたでしょう。」 。。。このように、家族を失う悲しみよりも、破壊の規模がぴったり計算通りになったことに喜びを感じるのが科学者だと保阪さんは話します。
ここで、福島の原発事故の話になるのですが、九州大学の吉岡斉さん(さきほどの「原子物理学」研究には覚悟がいる」と話した方)は、自分は決して原子物理学をやらなかった、というのが自慢で、「先達の話を聞いていたら、やっぱり私はやっちゃいけないと思って他の研究に行きました。普通の神経では覚悟できません。にもかかわらず、原子物理をやっている人がいて、テレビに出て福島の原発事故についてコメントしている人がいる、彼らはある意味、無神経で何も考えないで原子物理学をやった人たちです。」と保阪さんに話したそうです。(ちなみにすでに19571年に始まった反核の科学者会議(パグウォッシュ会議)においては、(原発は)「悪魔の手先の手法とシステムを使って、天使の恵みを作ろうとするからそこに無理がある」と反対した正統派の原子物理学者がいたそうです。)
「歴史」勉強というと、我々偏差値学習を経験した世代では、年号、出来事と人物名のセット勉強という何か無味乾燥的なイメージがありますが、この原子物理学研究の歴史においても、その研究の始まりから、当時の研究者の意識などしっかり語り継ぐことは大切だと思いました。やはり今を生きている人間にとって常に未来を生きる世代に伝えていくことは大事なことだと、痛感します。この原子物理学の他、本書では歴史について考えさせる項目がいろいろあります。最後の方には、歴史に関する丹羽さんと保阪さんのお薦めの書籍についての語っているところもあり、歴史を学ぶことにポジティブになれるお勧めの一冊です。個人的には保阪正康さんの著書はこれから読んでいきたいと思いました。また丹羽さん元伊藤忠会長という肩書ですが、歴史の勉強も相当されていて、保阪さんと対等な議論を進めていく見識の深さには頭が下がる思いでした。