星屑と断頭台【仗助とジョルノ】
自分の背丈以上ある向日葵の間を縫うように歩きながら、本当にこんな場所に天文台などあるのだろうかと考える。だが確かに自分は傾斜に沿って黙々と山を登っているし、花びらの間からはちらりと目的の建物の影を見た。
車で行ければ楽なのに、山肌に広がる向日葵畑はどうやら来るものを拒んでいる。遠くからの見た目こそ溌溂とした黄金色の花畑だが、七十年代のイタリア映画のなかでは、その根の下には無数の兵士たちの死体が埋まっていたし、そもそも種をつけて首を垂れる花の姿は、どこか人間のようで気味が悪いとも思う。この無限に広がる向日葵畑は、この向日葵は、本当にただの花なんだろうか?何しろここは杜王町だ。常識など通用しない、スタンド使いの人生が交わる奇妙な街。
日本はイタリアと違って高温多湿の気候であり、既にシャツはじっとり湿って背中に張り付いている。太陽が落ちはじめ、時折吹く海風が潮の香りを運んでくるが、いよいよそれすらも鬱陶しい。ジョルノはついに足を止めて一度大きく息を吐いた。……もうかれこれ、自分はどれくらいの間、この向日葵畑の中を歩いている?
「あ、いたいた。迎えに来たッスよ。」
滴る汗を手の甲で押さえた瞬間に、向日葵の間から大柄な青年が顔を出した。リネンの開襟シャツと細身のパンツ、それはどちらかといえばシックな装いなのだが、その上には相変わらず立派なリーゼントが乗っている。
「ああ……仗助、久しぶり。遅くなってすまないね。」
「いや、こっちこそ。迷ったろ?この季節、此処にくる奴はときどき迷うんだよな、一本道だってのに。」
仗助が指差す方向に合わせて振り返ると、なるほどそこには、確かに先程までは無かった道がある。ジョルノはやれやれと頭を振ると、自分がどうやら杜王町の洗礼を早々に受けたらしいことを知った。
「わざわざ此処まで来るなんてさ、珍しいじゃあねえの?」
「積もる話がありましてね……。」
そうだ、反対するフーゴやミスタを押し退けてでも此処に来る理由があった。全ては星のせいなのだ。星が定めた運命の。
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仗助はS市内の大学に研究者として籍を置きつつ、ほとんどの時間をこの古い天文台で過ごしているという。ドームの中には口径三百センチメートルを超える巨大な望遠鏡があり、ピカピカに光るそれが財団の支援で設置されたのは明らかだった。望遠鏡を取り巻く通路には最新の計器と膨大な書籍が並び、新しいものと古いものが混在する様子は雑然としているようだが一定のルールがあるらしく、居る人の性格を反映していてそれがジョルノの興味を惹いた。
「前から聞こうと思ってたんですけど、仗助は、どうして此処で天文学者になったんです?貴方の才能と立場なら、どんな未来だって選べたはずでしょう。」
「親父の親父はパイロットだろ?承太郎さんは海洋学博士とくれば、俺はもう宇宙に行くしかないと思ってさ。でもま、俺は杜王町を守りたいし、その結論が、この天文台かな。」
天文学者になった理由を冗談めかして語る仗助は、ソファから本の山を退けると、ジョルノをそこへ掛けるように促した。ジョルノがソファに腰掛けると、仗助は事務椅子を引っ張ってきてそこに掛け、カフェテーブルにコーラの瓶を二本並べた。
「ふうん。それで、宇宙の秘密は分かったんですか?」
「さあ、どうだろう。」
ジョルノはカフェテーブルに積まれていた本の中から、手慰みに一冊のファッション誌を引き抜いた。目の前でコーラの栓を開けている男は洒落ものだから、こうしたモード誌もこまめに読むのかもしれない。ジョルノはイタリアブランドが特集されたページをそそくさと過ぎ、一気に巻末の星占いまでを読み飛ばした。二○一一年、九月、牡牛座のあなたの運命は……。
「……仗助、貴方は運命って信じます?予定論、って言ってもいいですけど。」
「それが本題?」
あんまり勘が良すぎる男って嫌われますよ、と出掛かった言葉を飲み込んで視線を上げると、潤んだサファイアの瞳と目があった。ジョルノはすぐに、あんまり優しい男もギャングには向きませんね、という言葉も飲み込んだ。
「そうですね。僕の出生はご存知でしょう、それから、十年前に僕がどうやってパッショーネを掌握するに至ったか。運命だなんて言葉で片付けるには余りにも残酷な経験をしたけれど、それでも最近は……」
「逃げられない、と感じている?」
「……そうですね。」
仗助はふうんと小さく唸ると、コーラの瓶から手を離した。
「運命ってのは便利な言葉だよな。上手くいかないことがあったり、自分ではどうしようもないことがあったりした時、それが運命だっていうなら、少しは気持ちが楽になることもある。そういう発想が、人を助けることもある。」
ジョルノは、仗助が祖父を亡くした事件のことを頭に思い浮かべたのち、すぐに十年前に失った仲間たちの顔を思い出して思わず目を伏せた。
「でも、それだけのことだと思うぜ、俺は。」
「……つまり?」
「必要以上に捉われることはないって意味。運命だと思いたい事と、そうじゃないこと、折り合いつければ良いだけってはなしだろ?それに、もし人生が自分にとって辛いものだったとして、運命を恨みたくなったとしてもさ、それは星が決めたことなんだぜ。お前にもあるだろ、星が。星はいいぜ、いつ見ても綺麗で、一つひとつ毎日表情が違って、飽きないからな。わかるだろ?星は燃え尽きてもまだ光るんだ。他のなにより、星が俺の運命を決めてるってんなら、俺はそれで納得するね。」
ジョルノは服の上から肩の星を押さえると、今一度仗助の顔を見た。その表情にはある種の覚悟めいたものが滲んでいて、ジョルノは自分の考えが誤っていなかったことに自信を持った。
「……ありがとう仗助。もう行きます。」
「行くのか、アメリカ。」
「はい、運命が僕を待っていますから。」
眩しそうに細められた仗助の瞳が輝いているのを見て、ジョルノはそれを星のようだと思った。きっと仗助も自分と同じく、星に人生を運命づけられた種類の人間なのだ。一九九九年、彼の生涯ただ一度の夏は燃え尽きて、けれども彼は杜王町の光として、この先も多くの人の道を照らすのだろう。
ジョルノは仗助の助けを断って天文台の外に出た。夜の帳が下り、空には満点の星がダイヤモンドのように燦然と光っていた。星影の中、向日葵畑には一本の道がまっすぐに通っていた。ジョルノは振り返らずにその道を行き、二度と迷うことはなかった。