大阪アジアン映画祭プログラミングディレクター・暉峻創三さんにインタビュー 完全版
3月5日より、梅田ブルク7・シネリーブル梅田・ABCホールほかで開催中、毎年恒例の一大映画イベント・大阪アジアン映画祭。
今回は、そんな大阪アジアン映画祭のプログラミングディレクター・暉峻創三さんに取材を敢行。
「プログラミングディレクターって?」「作品選びの方法とは?」といった根本的な疑問から、「映画祭と動画配信の関係性について」「近年の日本におけるアジア映画への注目について」などなど、お話を伺ってみました!
大阪アジアン映画祭に興味がある方はもちろん、映画祭運営に興味がある方も必見です!
暉峻創三さんとは?
インタビューの前に、まずは、暉峻創三(てるおかそうぞう)さんについて、ご紹介します。
暉峻創三(てるおかそうぞう)さんは、日本の映画批評家であり、大阪アジアン映画祭のプログラミングディレクター。
学生時代に自主映画の制作を経験し、監督作『革命前夜』が第6回ぴあフィルムフェスティバルに入選。黒沢清監督の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』では、役者として出演も果たしました。
のちにアジア映画を中心とした映画の批評を数多く手がけ、2002年には、東京国際映画祭「アジアの風」部門の選定プロデューサーに任命。大阪アジアン映画祭では、2009年以降、プログラミングディレクターを務めています。
それでは、インタビューに移っていきましょう。
暉峻さんの経歴について
映画チア部:暉峻さんは、学生時代に映画制作を経て、映画評論の道に渡ったと聞きました。どういう流れで映画評論家になったのかについて、詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか。
暉峻さん:正確に言うと、順番は逆です。先に評論を書き始めました。今の時代との大きな違いとして、自分が学生の頃って、下手すると映画監督より批評家の方がカッコいいぐらいの時代があったんですよ。
日本映画もそれなりの浮き沈みがあって、当時、日本映画界は、けっこう沈んでいた。直後に、黒沢清などが商業デビューしてくるわけなんですけど……。一方、評論の方だと、蓮實重彦さんらが一番活発に活躍していた時期。毎月、色んなものを書いて、みんなを扇動していた時代で。評論家の方が遥かに威張っていたというか、世間を動かしているような時代だったんですよね。
なので、まずは映画評論を書きたいと思いました。当時は映画雑誌も活字中心なものだけでもいくつかあって、そのなかの一つ、「月刊イメージフォーラム」が自分のデビューの場でした。
ただ、そのころはまだ、アジア映画は世界的に言っても、ブルース・リーとかジャッキー・チェンを別にすれば、今のような存在感を持っていなくて。自分自身も、最初は、ヨーロッパ映画や日本映画辺りを書くのが中心。世間からも、アジア映画ばかりを紹介していくような人になるとは全く思われていなかったでしょうね。
評論を書くようになってちょっと経ったぐらいのタイミングで、アジアの、特に、香港・台湾・中国・韓国辺りに、現地で映画の新しい波(ニューウェーブ)と言われる動きが起きたんです。でもそれらのほとんどが、当時の日本ではロードショーもされなかったし、多くの評論家が、どこかアジア映画を一段低く見下している感じがありました。
それで、アジアから素晴らしい作品が続々現れているのに、誰も紹介していないのなら、自分が文章で紹介していかないとと思うようになり、ある時期からはほとんどアジア映画のことばかり書くようになりました。
自分はアジア映画の専門家になるつもりは全くなかったんですけど、そうこうしているうちに、世間からはアジア映画に詳しい人と思われるようになって、映画祭のプログラムも任せられるようになったという流れですね。
映画チア部:当時、アジア映画が知られていなかったという背景もあったため、今に至るという感じなんでしょうか。
暉峻さん:もし、今のようにアジア映画がある程度認知された時代に自分が若い世代であったとしたら、そんなにアジア映画についてばかり書かなかったかもしれないですね。自分が若い頃は本当に、アメリカ・ヨーロッパ・日本だけが良い映画を作っているという思い込みが世間一般にあったように思います。
当時のアジア映画の鑑賞方法について
映画チア部:当時は、どのような形でアジア映画を鑑賞していたんですか?
暉峻さん:大きく分けると、4つあって。1つは、自主上映会。アジアの国の大使館が16mmのプリントを持っていたりして、時に非商業的な上映が行われたんです。またビデオのライブラリーもありました。ほかに近場に限りますけど、現地に直接行って映画館で観ることや、現地のビデオショップで買ってくることもありました。日本でも、池袋などアジア人の多い町に行くと、アジア人向けのレンタルビデオ店があったりしましたね。
現地で観るということのなかには、現地の映画祭に参加するということも含まれます。特に香港国際映画祭は、毎年のように参加しました。レッドカーペットなどの派手なイベントやスターでお客さんを集めることより、とにかく映画上映を基本として重視するという当時の香港国際映画祭の伝統は、大阪アジアン映画祭の現在の方向性にも影響を与えています。
映画チア部:当時、学生が自分たちの作った作品や、未公開作品を上映していたというお話は聞いたことがあったんですが、大使館などでも、そういう形の上映があったということなんでしょうか。
暉峻さん:そうですね。これは国によっても違うんですけど、例えば、韓国なんかは、お金があるので、自分のところの施設で、映画の上映が出来るビルを使って、月イチで上映会を開いたり、台湾だと、上映会場は持っていなかったんですが、16mmやVHSビデオなど、日本では公開されていないものを持っていたりしました。そういうもののおかげで、こちらも作品を知ることが出来たというのはあります。
あと、今のように、インターネットで検索などは出来なかったので、監督や作品について調べるのは、現地に行った際、人名事典や作品事典を買ってくるという形しかなかったですね。インターネット時代とは全く異なる困難もいっぱいありました。
映画チア部:正直、今であれば、言葉が分かって、ネットで検索ができれば、情報を見つけることができますし、作品自体も、動画配信サイトで観ることの出来る場合があるので、今と全然敷居が違いますよね。
暉峻さん:足を使って、開拓していくしかないというような感じではありました。
プログラミングディレクターとは?
映画チア部:プログラミングディレクターについてお聞きします。僕のイメージとしては、「作品を鑑賞して、上映作品を決める」というざっくりとした感覚なんですが、その仕事内容について、詳しく教えていただいても大丈夫でしょうか?
暉峻さん:今、言ってもらった通りで、基本中の基本は「作品を選んで、上映作品を決める」。あと、映画祭によって、実際にやる内容は違います。例えば、上映したい作品を選ぶのみで、上映するための交渉は別の人が担当するケースなど。大阪アジアン映画祭では、ほとんどの作品の交渉も含めて、自分が担当しています。
映画チア部:そうなんですね。
作品選びの方法とは
暉峻さん:また、上映作品を決めるのにも、大きく分けると2種類のパターンがあって。まず、ひとつは、この映画祭って、一応、誰でも応募できるっていう、オープンな仕組みになっていて、映画祭のウェブサイトを通じて、世界中の人が応募してくるわけですよね。そこから、作品を選んでいく。これが一つ。もう一つは、応募してきていない、応募してこない作品でも、どんな良い映画が作られているんだという情報を集めていって、そういうものに関しては、こちらから「この映画祭に是非出してください」と。いきなり交渉の方に入るわけです。
そもそも映画祭って、必ずしもプログラミングディレクターがいるとも限らなくて。中にはプログラミングディレクターがいない映画祭っていうのもあるんですね。
例えば、大昔の東京国際映画祭なんかは、もう、ずっとプログラミングディレクターがいないっていうのが、伝統になってた映画祭でした。でもそれが映画祭の方向性の曖昧さにつながり、批判されるみたいなこともありました。
こういう、映画祭の方向性をしっかり定めていくというのが、プログラミング・ディレクターのもう一つの重要な仕事だと考えています。大阪アジアン映画祭の場合では、どういうところから補助金を出してもらうかなど財政面に関しての基本的な部分とか、どういう部門、イベントで構成していくか、どういう賞を設定して次につなげていくか、外部のどういう組織に関わってもらうかなども、映画祭の方向性に関わる重要な部分。なので、この方面もかなり基本的な仕事としてやっています。
ディレクターと聞くと、監督とも訳されたりして、ある組織のトップに立つというイメージがあるかもしれませんが、自分にとっての解釈では、あるところに映画祭を方向づけていく人というイメージです。
プログラムの方向性について
映画チア部:作品の全体的な方向性と言うのは、例年、変わったりするんでしょうか?
暉峻さん:方向づけというのは、作品の選択に関してというより、映画祭の骨組みの部分に関することです。だから年ごとに上映作品の方向性を変えているわけではありません。プログラムを決めるギリギリの段階まで、基本的にはニュートラルで観るんです。ただ、最後の瞬間に、今年は、こういう傾向があるから、それを手厚く見せていくと面白いかなと考えることはあります。
映画チア部:ありがとうございます。毎年、テーマが決まっているというわけではないんですね……。
暉峻さん:そうですね。芸術祭などであれば、それぞれの回で、最初からあるテーマが打ち出されていたり……ということもあるじゃないですか。でも映画祭では、そういうのはしないようにしていて。
ともかく、ニュートラルにオープンにしておくと、実際の上映作品を決める直前に、今年の作品から何かが見えてくる段階があります。例えば、今年の作品だと、やっぱり、「コロナの時代」、「感染が広がってきてから撮られた映画」というのがあったり。そういうものを別に特集という形でまとめてはいないんですが、この映画祭で多く作品を観てくれたお客様には自然と気がついてもらえるといいなと思いながら、ピックアップしている部分はあります。
例えば、今言った例の日本映画だと『4人のあいだで』というものがあります。この作品では、「大勢が一度に狭い場所で集まって騒ぐ」というようなことが出来なくなった時代を背景にしていて、4人で会話してるんですけど、1つの場所に集まって会話しているのではない。
スマホの何かのアプリを通じて、会話しているけれど、映画の作り方として、カット割りがすごい絶妙で。いかにも、同じ場所にみんなが集まって、会話しているようにも見えるっていう、今の時代ならではの企画なんですよね。
同じ背景の作品だと、フィリピン映画の『こことよそ』というものもあります。フィリピンは、日本より、はるかに厳しい感染対策の規制がしかれたんですが、みんなが集まるわけにもいかない中、ドラマを作っていこうとした作品が本作です。
さらに、フィリピンの場合、規制の厳しさが、一時的に映画制作のストップにまで繋がってしまって、映画人たちが本当に仕事がなくなっちゃうみたいなことが起きたんですけど、さすがに、その状態を続けるわけにはいかないということで、政府の方も、ある程度、こういう条件を満たせば良いというガイドラインを作ったんですよね。
「こことよそ」は、そういうガイドラインに則って、シナリオも書かれ、撮影もされたみたいな部分で「コロナ時代の生み出した映画」と言えますね。
映画チア部:確かにそうですよね。いろんな国で対応も変わり、それによって、作品の取り組み方も変わっていったりする。いろんな国の作品で「コロナについて」という一貫したテーマで見た時、何か見えてくるものがあるのかもしれないですね……。
暉峻さん:そうですね。まぁ、映画って、一つの企画が生まれて完成するまでに、普通は何年もかかるので、この中のラインナップ全体に、それが出ているわけではないんですが、そうやって、ごく一部でも、コロナ時代への反応が表れたっていうところは、ちょっと興味深いところかなと思いますね……。
映画チア部:ありがとうございます。
コロナ禍の作品選定の苦労について
映画チア部:さきほどの作品選びの方法に関して、応募していない作品でもオファーされるということですが、それは、映画祭で観た作品や、監督から選ぶんでしょうか?
暉峻さん:そうですね。どこか、海外の映画祭に行くとなると、2つの側面があるんです。とにかく、観ることの出来る作品を観まくるというのが、一つ。そしてもう一つは、監督・出演者・プロデューサー・セールスエージェント(映画を売買する人たち)ら関係者が集まってくることから、そこから情報収集をして今後生まれそうな秀作の検討をつけていくという形です。
ただ、今回は本当に特別な年で、去年の3月から今年の3月まで世界的にコロナの影響が広がっていたので、今年は、自分がプログラミングディレクターに就任して以降、初めて、海外の映画祭に参加せずにプログラムを決定しなければならないという事態に陥りました。
映画チア部:映画ファンの視点からすると、オンラインで世界の映画祭をやってくれていると、いつもは行くのが難しいけれど、観ることが出来るという利点があったとは思うんですが、プログラミングディレクターの立ち位置としては、かなり、困難があったということですね。権利交渉などで、基本的には、現地でというイメージが強かったのですが、その点に関してはどうなんでしょう。
暉峻さん:実は、権利交渉に関しては、人それぞれやり方があるとは思うんですけど、自分の場合は、現地で直接という形はほとんどしてこなかったんですよ。その場で感想や関心があるということは伝えるものの、権利関係はトラブルを避けるために、メールで活字に残すようにしてきました。そのため、その点においての苦労は、あまり、ありませんでした。
ただ、映画祭というのは、こちらの予想していなかった思わぬところから、面白そうな映画が現れたり、情報を手に入れたりすることもあるので、今年は、それがないという点で辛い部分はありましたね。
映画チア部:情報収集が出来なくなったということが大きかったんですね。
暉峻さん:ネットだと、それは出来ないですからね。「情報収集」といっても、物理開催されてる映画祭の現場では、日常会話の端々からヒントをつかみ取っていったり、急に誰かから人を紹介されたり……。そういうことは、ネットの世界では難しいですね。
映画チア部:例年、参加していると、現地などで人脈なども広がっていって、良い作品に巡り合えることが多いということですね。
暉峻さん:そうですね。あとは、向こうから、作品を観て欲しいと声をかけてもらったりというのもあります。
対面だと言いやすいですが、改めて、メールになると言いづらいというのはあるので。ちょっとした違いが大きいことではありましたね。
映画チア部:ありがとうございます。
大阪アジアン映画祭と動画配信サイトの関係について
映画チア部:今年は、オンライン開催もされる大阪アジアン映画祭ですが、近年では、動画配信サービス増加の影響もあり、映画祭でしかかからなかった作品がすぐに配信へ流れてしまうことも多くなったように思います。そういう部分に関して、何か変わったことはありましたか。
暉峻さん:コロナという部分に関係なく、近年の大阪アジアン映画祭では、「Netflix問題」というのがあります。Netflixって、今、ものすごくアジアを重視しているんですよね。アジアの良い作品や作家に、次々と声をかけて、大きな資金を投じて、映画を作らせたりとか、独占配信権を買ったりとかしていて。
で、偶然なのかもしれませんが、Netflixが目をつける作品と大阪アジアン映画祭が目をつける作品が似ているんですよ。他の配信サイトと違い、Netflixの場合だと、自分のところだけで観ることの出来る状況を作るのが基本戦略なので、一度、そこで権利が買われると、他では上映することが出来ないみたいなことが、しばしば起きるんです。
(画像は映画.comさんより、引用)
例えば、去年の例で言うと、『君の心に刻んだ名前』という台湾映画を世界初上映したんですが、タッチの差で、こっちの方が早かったので、大阪の上映ができ、台湾以外の国では、大阪が最初で最後の劇場上映になったんです。そういうことは、これまでもいくつかありましたね。
コロナの影響で色んな映画祭がオンライン化されましたが、大阪は、新作は基本、劇場上映するという方針を堅持しました。劇場上映にこだわったからこそ、今回のような、例年とくらべてもほとんど見劣りしないラインナップにできたのは間違いありません。
それはなぜかと言うと、大きく2つの理由があって。作り手は劇場で上映することを想定しているため、すぐにオンライン配信されるのを避けるケース。そして、海賊版問題など、ネットに対する警戒感の強いアジアの映画会社が、完成直後のオンライン配信を断るケースがあります。
そのため、オンラインで色んな新作の配信が増えても、ほとんど映画祭にネガティブな影響はないかなぁという印象です。
映画チア部:ありがとうございます。
近年のアジア映画への国内での注目について
(画像は映画.comさんより、引用)
映画チア部:(『パラサイト』や『はちどり』の反響などで)特に近年、国内におけるアジア映画への注目が高まっているように感じますが、暉峻さんは、アジア映画のどのような部分が国内の映画ファンに受けていると思われますか。
暉峻さん:昔の国内の環境と比較すると、当時ほど人々が「アジアに対するバリア」を感じなくなっているというのか、割と普通に受け入れるようになっているというのはあると思います。
一方で、『パラサイト』などが登場したことによって、初めて韓国映画を観たという人も相変わらず存在していて、アカデミー賞を受賞したということも含め、欧米の権威を経ないと観てくれないという習性は、今でも日本に残っているのだなぁと思いますね。
映画チア部:これまでも、韓国映画が好きな人、インド映画が好きな人という層の偏りはあったと思うんですけど、それが、少しずつ、いろんな国の作品を観る人の増加へ変わっているような雰囲気は感じますよね。
暉峻さん:インド映画も昔はそんなに人気だったわけじゃないですが、ここ数年で、かなりコンスタントに人が入るようになりましたしね。
『パラサイト』とか『はちどり』に特定したことでいうと、どちらも、最初から海外向けに韓国っぽい要素で売っていこうということも、あえてせず、自然体で作っているんですよね。変に世界進出みたいなことを意識して、内容に取り入れるとかではないのが、逆に人々に受けていった理由だとも思いますけどね。
映画チア部:普通に世界的にヒットさせようというよりかは……
暉峻さん:身近な話を語っていると思うんですよね。どちらも家族の話ですし。
映画チア部:そうですね。確かに作品によっては、それぞれの国の前提知識がないと、ちょっとよく分からない作品なども多い中で、あの2作品は、それがなくても分かるという普遍的な物語という意味で、優れていたのかもしれないですね。
暉峻さん:ひと昔前まで、アジア映画の場合、世界に売るためには時代劇を作るとか、都市文明の及ばない田舎を舞台にするっていうのがあったんですけど、今はそういうのとは違うやり方で、アジア映画が世界に出てるという感じはありますよね。
映画チア部:時代劇みたいな形にすると、それぞれの国の知らない文化を知れるという部分があるかもしれないですけど……
暉峻さん:なんか、こう、オリエンタリズムを刺激するみたいなところもあって、日本でも、最初に有名になったのは、黒澤明とかではないですか。それも、そういう原因はあったと思うんです。逆に小津安二郎なんかは、遅れてから、海外で評価されるようになりましたよね。
映画チア部:確かにそうですね。自分の国の文化というところから、少しずつ、普遍的な物語に変わっているという傾向は強いのかもしれないですね。
今回のラインナップで若い人にオススメの映画とは?
映画チア部:今回のラインナップの中で、この作品は若い人に観て欲しいという作品はありますか?
暉峻さん:まず、今回は、短編が十数本あるんですけれども、これは、作っている人自体も若い人が多くて、同世代感覚で見れると思いますのでオススメです。
例えば、韓国だと『イニョンのカムコーダー』という作品が、同世代の監督が制作しているので、ぜひ、見て頂きたいです。また、ベトナムの作品だと『エジソンの卒業』という短編も同世代が作った作品になります。
映画チア部:特に、最近は、若い人たちの使うSNSなどもtwiterの文字からinstagramの写真になって、今は音声だけで出来るSNSも登場したり、短時間で色んなものを得ようとしている人が多く、流行るものは短いものが多い気がします。それを踏まえると、短編などは入りやすいかもしれないですね。
暉峻さん:日本って、大学などでの映画教育が遅れていたこともあった傍ら、逆に周辺のアジアでは映画の教育が充実していて、20代前半の人が作った映画でも、作り的には全く素人色がないんですよね……。そういうところも観ると、刺激になるんじゃないかとは思いますね。
若い人におすすめのアジア映画について
映画チア部:若い時に観て良かった映画、もしくは、若い人が観ると、アジア映画への興味が広がりそうな作品って何かありますか?
暉峻さん:先ほども言ったように、台湾・香港・中国などで、現在、巨匠となった映画監督たちの新しい波(ニューウェーブ)が80年代前後に起きていて、その時期に自分がアジア映画を積極的に見始めるようになったのは、すごく大きかったなぁと思っています。
(画像は映画.comさんより、引用)
その中の監督でも、色々な傾向はあるんですけど、すごい東洋的であることを打ち出した作品、例えば、チャン・イーモウとかホウ・シャオシェンが受けたのは当然として、他に台湾の場合、エドワード・ヤンという監督もいる。彼なんかは全く東洋性みたいなものを売りにせず、映画を作ってきていて、それで海外などでも評価を受けたりと、そういう監督が表れたのは、大きな衝撃になりましたね。
映画チア部:やっぱり、今、評価されていている監督や巨匠の過去作品から、遡ってみるのが良いのかもしれないですね。
アジア映画の良さについて
映画チア部:ざっくりとした質問になってしまい、恐縮なんですが、他の映画と比べた時に、アジア映画独自の良さなどって、何かあると思われますか?
暉峻さん:アジア映画を一言でまとめて、他にはないこういう良さっていうのは、なかなか、難しいですね。時代や国によっても、かなり異なるし、それぞれの作家次第という部分もありますね。
映画チア部:作品ごとに、それぞれの良さがあって、なによりも、これまであまり知られていなかったアジア映画を少しずつ知ってもらいたいという思いがあったんですね。
暉峻さん:そうですね。他の国の作品と比べて、アジア映画に独自の価値があるとまで思ったわけではないんですが、ともかく優れた作品や作家が、次々に現れているし、アジア映画を見ることでアジアに対する様々な先入観が修正され、世界への見方が変わるはずです。それをぜひ、大阪アジアン映画祭に通って実感してほしいですね。
以上、大阪アジアン映画祭プログラミングディレクタ-・暉峻創三(てるおかそうぞう)さんのインタビューを紹介いたしました。
大阪アジアン映画祭の詳しい情報に関しては、以下の公式サイトから、ご確認いただけます。
皆様、ぜひ、奮って、ご参加ください。
執筆:映画チア部 神戸本部 大矢 哲紀