日本企業のアジア進出は、日本人のあり方を見直すきっかけになる
近年、ビジネス界ではアジア新興国での地域事業戦略が注目されています。多くの日本人にとっては、あまり耳にしない言葉かもしれませんが、日常生活にもグローバル化が反映する現代、日本で暮らす私たちにとっても、「新興アジア諸国の台頭」の意味することは、無関係なことではありません。
■変わってきた日本企業のアジア進出の意味合い
もっぱら企業活動が一つの国の内部で行われる経営に対して、国を越えて行われる経営を国際経営と呼びます。
日本企業にとっての国際経営活動を海外子会社の設立との関わりで見てみると、1985年のプラザ合意以降に本格的に展開され、輸出中心の戦略から海外生産へとその重心を大きく移していきました。
日本企業の海外子会社を地域別に見ると、アジア、北米、欧州の3地域に集中的に分布しているのですが、最も多いのがアジアです。
当初、日系製造業のアジア展開は、現地の低廉な経営資源を活かしたコスト優位性の獲得を志向したものでした。つまり、アジアはモノを安く作る拠点だったのです。
そこでの経営の成功のカギは、日本で行っていた経営活動(製造活動)を「正しく」現地に移植していくことでした。
例えば、5S活動を通じた改善、マニュアル化や標準化、小集団活動、OJTなど日本の製造業が長年培ってきたものづくりをイメージすると分かりやすいかもしれません。つまり、「正解」は日本側がもっていたのです。
しかし、2000年あたりから、先進諸国の経済成長は鈍化し、日本を含め、市場の拡大が期待できない状況になってきました。
一方で、この20年でアジア諸国は急速に経済発展を遂げ、巨大な中間層が出現してきたのです。すなわち、旺盛な消費意欲にあふれるマーケットとしての魅力が格段に高まったのです。
20年くらい前のアセアン各国を知っている人にとっては、現在の状況は、隔世の感があると思います。
しかし、そうは言っても、タイの1人当たりのGDPは、日本と比べても低いし、世帯当たりの所得もまだまだ低いのではないか、という指摘がありますが、実際にバンコクなどに行ってみると、その統計に違和感を覚えるのではないでしょうか。
その理由は、首都圏と地方の格差が大きいため国の平均値はあまり参考にはならないことや、アジア各国ではキャッシュ・エコノミーと言われる屋台や小売店の活動が盛んで、そうした活動が正式には記録されていないことなどを挙げることができます。
また、固定資産税や相続税などがない国が多く、資産家は保有する資産を元に不労所得が得られますし、それを正確に申告していないと言われます。
こうした表に出てこない経済活動をグレー・エコノミーと言いますが、その割合は、タイを含むアジア新興国経済の経済活動全体の50~60%を占めるとも言われます。
こうした部分を足し戻せば、統計上の数値ほどは日本と差がなく、バンコクなどアジア新興国の首都圏に見る人々の旺盛な消費意欲やライフスタイルの変化をより適切に理解できると思います。
すなわち、アジアは、もはや低廉な労働力の供給基地というわけではありません。日本企業のアジア進出は、現地市場の可能性を求めた市場開拓を目的とした進出へと、その意味合いを変えつつあるのです。
つまり、日本の生産システムの優位性を活用することで、モノを現地で製造し、先進国で販売をするという従来のモデルから、現地で考え、現地で製造し、現地で売り抜くモデルへと、戦略や組織の在り方を変化させる必要が生じてきているのです。
■地域全体の発展に繋がる互恵的生産モデル「タイプラスワン」
アジアでの経営において、必ずしも日本が「正解」をもっている状況ではありません。むしろ、現地のニーズやライフスタイルに合わせて適切な問いを立てることが大切なのです。
例えば、従来の国際経営は、国と国の間の輸出や輸入を前提としたインターナショナル、国の垣根を越えたグローバル、現地適応を重視したマルチ・ドメスティックなどグローバル統合と現地適合の関係を捉えてきました。しかし、メコン地域の経営実態を理解するには、リージョンという軸を加えて、現地の国々を「面」で捉えることが大切です。
アセアン経済共同体(AEC)によって地域の重要性が増しており、製造業を中心とした地域事業戦略の具体的な方法論の一つが、「タイプラスワン」です。
この考え方が、特に有効に働くのが、メコン川流域のタイとCLMV(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)から構成されるメコン地域です。
もともと、陸続きで交流の盛んな地域でしたが、近年、メコン川に大規模な橋を架けるなどにより、経済回廊と呼ばれる、各地を繋ぐ3つの大動脈が整備されました。これにより、よりスムーズにモノの行き来ができるようになったのです。
すると、工場を一ヵ所に集約して、そこで集中的に生産し、人件費が上がれば他の国へ製造拠点を移管するのではなく、例えば、労働集約的な人手のかかる工程は、比較的人件費の安いラオスやカンボジアなどで行い、そこで製造した部品を、最新設備が整うタイの工場に送り、そこで製品として完成させるという「タイプラスワン」という域内分業がスムーズに行えるわけです。
こうした実践を企業主導で行ってきた結果、タイだけが潤うとか、ラオスだけが潤うというのではなく、地域全体が互恵的に発展するモデルの追求が可能となったのです。
以前、中国の政治的なリスクを分散させるために、生産拠点を近隣国に移動させる「チャイナプラスワン」が注目されましたが、この場合は、工場を移管すると中国での製造はゼロになり、近隣国に製造が移ってしまいます。つまり、ゼロサムです。
しかし、「タイプラスワン」は、地域がウィン・ウィンの関係になるプラスサムです。この互恵的なモデルは、世界的にも珍しいモデルと言うことができます。
そこで、AECの利点を活用して、企業が主導する形でリージョセントリック(地域志向)な事業展開が行われたのです。現在では、多くの日系企業が、域内分業の「タイプラスワン」を活用した地域事業戦略を展開しています。
■利己的と利他的という二分法的な理解を超えた社会を考える
「タイプラスワン」戦略は、国と国、企業と企業、そして人と人が互恵的な関係を築くことで地域レベルでの競争力が強化され、持続可能性が高まることになります。
つまり、単に、人手のかかる工程は人件費の安い国で行い、より資本集約的な工程は最新設備のある工場の国で行うという、一国や一企業の利己的な経済追求のみを志向したものではない点が重要です。
結局は、メコン地域の共存共栄を目指すというビジョンは、地域住民の幸福という絶対価値の追求なくして実現することはできないのです。地域住民の幸福から遊離した利己的な経済的価値のみを追求するならば、こうしたビジョンは空虚な抽象概念に過ぎないのです。
先に、アジア新興国は市場が拡大し、現地で製造し、現地で売り抜くモデルへシフトしていると述べましたが、そのためには、市場を開拓し、現地の人々を巻き込みながら共に価値を創造することのできる、経営人材が不可欠です。
実際、私自身も、タイで、住宅の企画、設計、販売をする事業プロジェクトに関わったことがありますが、性能の良い日本の家を売り出せば、それで売れるというものではありません。現地の人の生活やニーズを深く理解し、日本の強みを活かしながらも、現地適応をしていかなくては、高品質だけでは売れないのです。
現地で必要とされない品質は、高品質ではなく過剰品質になってしまいます。そのためには、製品設計通りに機能を発揮する適合品質の追求のみではなく、現地の経営人材と協働し、顧客ニーズを設計品質へと組み込みながら、新しい価値を創造していかなくてはなりません。
しかし、残念ながら、現地の経営人材にとって、就職先としての日系企業は人気がありません。
欧米の企業に比べて人気がない理由は、収入面だけでなく、日本企業には、彼らがキャリアを開発していく仕組みができていなかったり、日本のサラリーマンから連想される、働き方の負のイメージがあったりするためです。
私たちは「日本的」という言葉が大好きですし、アジアでの経営においても日本的経営のすばらしさを強調することが多くあります。しかし、日本的美徳と私たちが呼ぶものが、よく考えてみると実は、日本に限らない普遍的な価値観であることが多くあります。日本特殊論ではなく、自らを相対化し、違いを認識したうえで、簡単には理解し合えないなかで、どのようにものごとを進めていくのかを考えなくてはなりません。
つまり、海外事業の課題の本質は外にあるのではなく、私たち自身にあるのです。内なる国際化は、以前から国際経営の課題と言われてきましたが、アジアと向かい合ういま、あらためて、自身を見つめ直し、自らの存在意義を相手の文脈で考えてみることが求められているのです。
私たちが取り組んだ例でいえば、自分たちがもつ技術をただアピールするのではなく、まず、現地に行き、どこにどういう問題があるのかをしっかり見出し、そのための問題解決を考え、自社だけで手が回らなければ、数社でクラスターを組み、現地の政府や企業と協働してソリューションを提供していくというアプローチを推進してきました。
いま、人間社会の一部であった経済が巨大化し、強欲化し、社会が経済に埋め込まれた結果、経済の主役である人間という存在への関心が失われつつあるような気がします。経済化した社会から人間性を回復させるために私たちは何ができるのでしょうか。新紙幣になる渋沢栄一氏の語録をまとめたものに『論語と算盤』があります。理想(論語)のみでは社会は動きませんが、その理想に現実性を与えるのが経営(算盤)なのです。
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