沿線冬景色 2021年 冬
今年、奥会津地域の天気予報は雪の日が多かった。冬も終わりに近づく中、JR只見線の記念すべき100回目の乗車は、沿線の冬景色を見に行くことにした。
この冬、福島県内は雪が降る日が多かったが、長く続くことは無かった。気温の高い日も多く、積雪と融雪を繰り返していた。福島県内道路等画像情報のライブカメラを見ると、只見線と並行するように走る国道252号線も乾いている日が多く、除雪部分と積雪部分の差が顕著だった。
このような天候の中、只見線沿線はどのような風景になっているのか、と思い列車に乗って奥会津に行くことにした。
今回は、早朝の駅で列車を撮影しようと三島町の早戸温泉「つるの湯」に泊まり、そこから只見線の列車に乗って会津川口に向かい、代行バスに乗り換えて只見まで行った。そして、ゆっくりと沿線の雪景色を見ようと、運休区間の只見~会津塩沢間を歩くことにした。
*参考:
・福島県:JR只見線 福島県情報ポータルサイト
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー / ー只見線沿線の宿/キャンプ場ー
今朝、早起きして早戸駅に入線する、始発の上り列車(会津川口発、会津若松着)を撮影した。今年は昨年よりは雪が多く、銀世界を背景にした一枚が撮られると期待していたが、最後の降雪後は、気温が高い日が続いたこともあり雪融けが進み、まだらな風景になっていた。
期待していた雪景色は、年明け早々の地表のすべてが雪に覆われ、木々が綿帽子を被った今年1月4日の風景。ここに列車が映り込めば...と思っていたが、今回は叶わなかった。次のシーズンに、またここを訪れ、“期待の一枚”を撮りたいと思った。
列車の撮影を終え、10分ほど歩いて宿に戻った。国道252号線から路地に入り、坂を下ると早戸温泉 「つるの湯」の日帰り温泉棟(正面)と、今回宿泊した湯池棟(左側)が見えてくる。
湯池棟は、2018年4月改築オープンし、デザインと設えは日帰り温泉棟に合わせられていた。
2階建てだが、エレベーターがあった。
私が泊まったのは「栃」。この他2階には、「志津倉」「欅」「桐」「三坂」という三島町にちなんだ名を持つ部屋があった。*1階には「沼沢湖」「只見川」「逆瀬川」の3室
「栃」号室は6畳敷。テレビや空調設備はあるが、湯池棟ということでポットやお茶碗など、一般の宿泊施設で見られるようなものは無かった。布団も左奥の押し入れから出し、シーツ敷まで宿泊者自身が行うセルフサービスだった。
窓からは、日帰り温泉棟越しに只見川と沼沢の外輪山の稜線が見られた。
室内設備。湯池棟ということで、物干しが竿が吊るされていた。
エアコンの他、寒冷地ということもあり、ガスファンヒーターが常備。また、ハンガーラックの下には金庫もあり、鍵は部屋のキーホルダーに付いていた。
トイレは部屋の中にもあり、温水ウォシュレット付きだった。
風呂は、もちろん温泉。男女別で1階にあり、10時から20時の間は右にある通路を通り、日帰り温泉棟を利用できるという。
更衣室。コンパクトで清潔感があった。
湯舟の“定員”は3人ほどか。日帰り温泉棟の露天風呂より一回り小さい感じがした。洗い場は2か所。シャワーの水圧も十分で、温度調節も問題なかった。
湯池棟として特徴ある設備。2階の談話ホールには4人掛けのテーブル、その隣には大きな調理室fがあった。
調理室には炊飯器(4台)、電子レンジ、オーブン、アイスボックス、鍵付き冷蔵庫、電気ポットの電化製品のみならず、薬缶や鍋などの調理器具もあり、充実していた。大きな調理台と4ケ所の洗い場は、複数のグループがいても不便を感じないような設備だった。
朝風呂をいただき、「つるの湯」湯池棟をチェックアウト。早戸駅に向かった。
駅舎を見ると、違和感があった。
駅名板が木製に変わっていた。 前回の訪問、今年の1月4にはアクリル製だった。駅名標も新しくなっていたので、合わせて交換したようだった。
まもなく、レールを滑るような音がして、早戸トンネルに目を向けると、ヘッドライトをつけた列車がこちらに向かってきた。
キハE120形2両編成が到着。錆びついた駅名標は新しくなり、光沢を放っていた。後部車両に乗ると、2名の乗客の姿があった。
7:47、会津川口行きの列車が早戸を出発。
出発後、まもなく金山町に入り、細越拱橋を渡る。冬の朝、太陽が低い時に見られる景色の陰陽が良かった。
会津水沼を出発して、まもなく「第四只見川橋梁」を渡る。現在は唯一の下路式トラス橋だが、全線復旧後は、「第五」、「第六」(新造)、「第七」(新造)、「第八」に下路式トラス橋があり、同じように鋼材の間から車窓の景色を見るようになる。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館「歴史的鋼橋集覧」
しばらく平行していた只見川と離れ、東北電力㈱上田発電所・上田ダムの洪水吐ゲート越しに山々を眺める。モザイク状に雪が残った山肌の雪崩路・雪食地形は、“観光鉄道「山の只見線」”の特徴の一つでもある、と再認識した。*参考:国土地理院「日本の典型地形について」6.氷河・周氷河作用による地形 24.アバランチシュート
中川地区の風景。国道252号線脇の電柱が地中化されれば、この景観の価値は、さらに高まると改めて思った。
会津中川に到着。昨年、雪不足により中止になった「なかがわ雪月列火」は、今年は新型コロナウイルスの影響で再び中止になってしまい、会場となるはずだったホームの東側には手つかずの雪原が広がっていた。*参考:拙著「金山町「なかがわ雪月列火」2019年 冬」(2019年2月16日)
会津中川を出発した後、再び只見川(上田ダム湖)が見えたところで振り返り、「東北電力水力館 みお里」を見る。周囲の景色に溶け込んでいて、デザインの良さを改めて思った。
手前のクレーンは、只見川(上田ダム湖)の浚渫工事のもの。ここにはコンクリートの台座があり、浚渫工事のヤードになっている。只見線沿線の発電ダム(東北電力㈱と電源開発㈱)にとって、浚渫は今後ますます重要になる。列車内から見える浚渫の光景は、只見線の日常の風景になることは間違いない。*参考:金山町「平成23年新潟福島豪雨災害対策特別委員会 調査報告書」(2014年12月16日):5.この地に住み続けるための対策 (3)電気事業者の責務 p5
列車は、大志集落の脇を通過。
前方に林道の上井草橋が見え始めた頃に、終点を告げる車内放送が流れ、列車は減速。
ここで振り返り、大志集落を包み込む風景を眺めた。“観光鉄道「山の只見線」”を謳うに相応しい、素晴らし光景だった。やはり、空気が澄んでいる朝は“ハズレ”が少ない、と思った。
列車は、ゆっくりと、静かに進んだ。
8:06、会津川口に到着。レールの脇の日陰には、1mを超える雪が残っていた。
6名の客が降りた。ここから先、只見までが「平成23年7月新潟福島豪雨」で運休している区間だ。
駅舎に向かい、途中で振り返り列車を眺めた。
駅舎を抜け、駅頭につけられた代行バスに乗り込んだ。
8:15、只見行きの代行バスが会津川口を出発。乗客は私を含め7人だった。
代行バスは国道252号線を進む。本名“駅”を出発後に東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端である本名橋を通り、「第六只見川橋梁」を見下ろす。積雪のためか、工事は中断しているようで、昨年最後に見た時から変化は無かった。
国道から見える只見線の橋桁には、1mほどの真っ白な雪が積もっていた。
会津越川“駅”を経て、会津横田“駅”を出発し、国道の二木橋から上流に掛かる「第七只見川橋梁」を見る。再架橋の全ての工事が終わった様子だった。
会津大塩“駅”を経て、滝トンネルを抜けて只子沢を渡り只見町に入り、塩沢スノーシェッドを通過すると、塩沢地区を取り囲む山々の雪は多く、期待に近い雪景色が見られた。
9:05、代行バスは会津塩沢“駅”、会津蒲生“駅”を経て、只見に到着。全7人が降りた。
駅員から許可をいただき、ホームに向かう。レールの脇には、5つの層が見られる2mほどの積雪があった。
会津川口方面を眺めると、運休区間にはこんもりと雪があった。
まもなく、小出からキハ110形2両編成が入線。停車すると、5名ほどの客が降りた。この列車は、折り返し、小出行きとなる。
積み重なった雪の層と、乾ききったレールと路盤、それらを照らす春を思わせる陽光。これからまた雪が降ることがあるだろうが、今年の冬を象徴する構図ではないかと思った。
ホームを後にして、駅舎を抜け表に出る。駅前は、例年とは違い、西側の空き地に綺麗な雪壁が見られた。
新型コロナウイルスの影響で、1973(昭和48)年から48回続いた「只見ふるさとの雪まつり」は、今年中止だった。会場には手つかずの雪原が広がっていた。
去年は雪不足の中、関係者の努力でなんとか開催にこぎつけ、今年は大雪が続いたが、よもやの中止。来年は、只見らしい雪が降り、二年分の盛り上がりがこの会場を包み込む事を期待したい。
駅前から国道252号線に入り、会津若松方面に向かって移動を開始。会津蒲生駅を経て、会津塩沢駅まで、約8kmの道のり。この只見線不通区間を歩くのは初めてだ。
歩きながら、左手に目を向けると、只見線の路盤を覆う雪は多く、雪崩予防柵を越えようとしている雪の塊に威圧感を受けた。只見線の除雪の労力や、雪崩防止対策の苦労を想像した。
この雪の多さと乗客の少なさで、会津川口~只見間は復旧されても、降雪時に運休されることが懸念される。只見線にとって雪は大きな観光資源でもあるので、同区間を保有することになる福島県はJR東日本と協力し、除雪体制と雪崩防止設備の検討を行い、観光客の期待に応えられるようにして欲しい。
国道を進むと、只見簡易水道の小屋は、大きな“帽子”を被っていた。
開けた場所から会津百名山で只見四名山の「蒲生岳」(828m)を眺める。“会津のマッターホルン”と呼ばれる、美しい稜線が見られた。
国道298号線の分岐となる交差点に到着し、新潟県方面を眺めた。 *参考:新潟県三条市「国道289号線八十里越」
会津百名山・只見四名山「浅草岳」(1,585m)の真っ白な山頂が、青空に映えて綺麗に見えた。雪庇もあるようだった。
この交差点のそばには、かつて叶津番所だった長谷部家住宅がある。厩中門造とよばれる曲り屋で県指定重要文化財になっている。*参考:福島県「只見川なるほど絵巻」
交差点の先には、堅盤橋があり、両側には良い景色が見られる。西には、叶津川の先に「浅草岳」が良く見えた。
東には、只見線最長の叶津川橋梁(372m)がある。
今日は、叶津川橋梁の曲線が景色に映え、より美しく見えた。このような雪が深く残る青空のもと、列車の中からはどんな風景が見られるのだろうか、来年の全線再開通が楽しみになった。
国道を進み、叶津川橋梁を潜り抜ける。架道部分の積もった雪は取り払われていた。
八木沢地区を進むと、民家に日向ぼっこするゴールデンレトリバーが居た。『何でしょ?』という表情で見つめられた。
集落を抜け八木沢スノーシェッドから北東を見ると、会津百名山「鷲ケ倉山」(918m)が見えた。
振り返ると、南西には「浅草岳」が見えた。
赤い鉄橋は五礼橋。「平成23年7月新潟福島豪雨」で左岸の橋桁が流出するなど大きな被害があり、只見川の増水に対応するため、河川拡幅工事に合わせて右岸に向けて45mの延伸工事が行われた。もともと右岸の河岸は木々に覆われていた。この工事で、只見線の列車内から見えた風景からは一変することになる。
拡幅工事は未だ終わっていないようで、河岸岩盤の生々しい掘削面が表出していた。
八木沢スノーシェッドを抜け、坂を上ると、国道の正面に「蒲生岳」が見え始めた。この光景は「蒲生岳」の荒々しい山肌と美しい山稜が目の前に迫ってくる感覚があり、いつ見ても感動してしまう。
10:37、さらに先に進み、国道から左折し路地に入り会津蒲生駅に到着。「蒲生岳」の直下にある駅舎は、深い雪に埋もれていた。
蒲生川橋梁に続く只見線の路盤も、すっぽりと雪に覆われていた。
国道に戻り、坂を上り、上蒲生集落に入る左カーブから振り返り西を見ると、「浅草岳」を中心に美しい冬の風景が広がっていた。
ここは、高低差はあるが、只見線が国道を並行して走っている区間なので、この景色を見ることができる。雪に覆われた山里のこの風景は、全線再開通後に“観光鉄道「山の只見線」”の冬の特筆すべき一景になるのでは、と思った。
国道を進み、蒲生橋で只見川を渡り、しばらく歩き、西に目を向けると「蒲生岳」の“鼻毛通し”がはっきりと見えた。この岩はトンネル状になっていて、内部から外に向かって松が鼻毛のように出ている。登山道の沿いにあるので、気軽に立ち寄ることができる。*参考:拙著「只見町「蒲生岳 登山」 2016年 初秋」(2016年10月11日)
国道を進み、只見川に架かる寄岩橋を中ほどまで進んだ。
橋上から、“三方良し”の「第八只見川橋梁」を眺めた。この不渡河橋は、列車と只見川、「蒲生岳」を撮っても見ても、列車に乗っても楽しめる。
「平成23年7月新潟福島豪雨」で被害を免れた下路式ブレートガーター橋。電源開発㈱佐久間発電所・ダムの建設により旧国鉄飯田線の移設(1953(昭和28)年12月~1955(昭和30)年11月)が行われ、旧線にあった鋼鉄橋がここまで運ばれ転用された。再来年度中の全線復旧でも使用が継続されるということで、鉄の耐久性に驚される。
11:14、寄岩橋を渡り、緩やかな坂を上り左折。路地を進むと会津塩沢駅に到着。ここも深い雪に埋もれ、駅舎は天井の一部が見えた。
駅の風景を思い出し、今年の雪の多さを実感した。
徒歩移動はここまで。
2014年4月8日に不通区間である会津川口~会津塩沢間を歩いたことがあり、今回の2駅間完歩で、約7年越しに不通区間を歩ききった事になる。現運休区間は27.6km。もう、歩くことは無いと思うが、約81億円の巨費を掛けて復旧される運休区間の重みを、体に刻むことができた。忘れられぬ経験になった。*参考:拙著「運休区間を歩く 2014年 早春」(2014年4月8日)
この後、代行バスの出発時間まで、少し時間があったので、周辺を歩いた。
国道に戻り、少し進んで町道に右折。十島橋から只見川(滝ダム湖)を眺める。今日も、見ごたえのある景観だった。この湖底は、戊辰役・北越戦争を指揮した、長岡藩の家老であり軍事総督だった河井継之助が息を引き取った地ということも考えると、景色の重みが違ってくる。
この十島橋からの光景は良いが、電線が入り込みもったいないと思っている。現代の技術ならば、十島橋の橋桁に固定し、視界に入らない工夫ができるのではないだろうか。
国道に戻り、さらに先に進み、河井継之助記念館の駐車場から「鷲ケ倉山」を眺めた。昨秋の登山が思い出された。*参考:拙著「只見町「鷲ケ倉山 登山」 2020年 晩秋」(2020年11月22日)
河井継之助記念館は冬季休業中だが、国道からの導線になっている塩沢踏切(第4種)は除雪され、雪の回廊ができていた。そこを歩き、記念館前に向かった。
記念館の駐車場の半分は、2mを超える雪が残っていたが、乾ききったアスファルトを見ると営業しても良いのではないかと思ってしまった。冬場の営業経費はかさむと思うが、雪深い只見の地の記念館として多大な訴求力があると私は思っている。全線開通しているであろう再来年度の冬には、試験的にでもオープンさせて欲しい。*参考:長岡市「河井継之助記念館」
記念館の目の前を通る只見線の路盤は、見る影もなく雪に覆われていた。
河井継之助記念館前から見える景色は良いので、記念館の立地も考慮し、この場所に会津塩沢駅を移転すべきだ、と私は考えている。法面を擁壁により垂直すれば一面ホームの設置は可能で、細長くはなるが駅舎も十分建てられる。この景色があれば、長時間の待ち時間も苦にはならないだろう、と私は思っている。
是非、只見町は検討し、復旧工事に合わせ実現させて欲しい。*参考:拙著「只見町「会津塩沢駅 周辺」 2020年 晩秋」(2020年11月22日)
河井継之助記念館前から国道に戻り、会津塩沢“駅”となる代行バスのバス停に向かって引き返した。もう一度、只見川越しに「鷲ケ倉山」を眺めた。
表面がキラキラと光る雪原も見納め。雪国では、気象条件により想定外の美しい光景が見られる事が分かった、今日の旅でもあった。
11:42、会津塩沢“駅”になっている塩沢簡易郵便局前で、只見からやってきた代行バスに乗り込んだ。先客は3名だった。
代行バスは国道252号線を進み、只子沢を渡り只見町から金山町に入った。その後、会津大塩を経て、会津横田で1人の客を乗せ、会津越川、本名とそれぞれの“駅”で停発車を繰り返した。
12:17、会津川口に到着。駅舎上空の空は、今朝よりもきれいな青空が広がっていた。駅舎の2階部分には、東京オリンピックの聖火リレーの幟がはためいていた。
駅前国道沿いの加藤商店で買い物をして、駅舎を抜けて列車に乗り込んだ。
12:31、会津若松行きのキハE120形2両編成が会津川口を出発。
列車がディーゼルエンジンを蒸かし、ゆっくりを進んでゆくと、前方に大志集落を取り囲む様子が見えた。
冬は山肌の残雪により、見るたび景色が変わる。雪の量に太陽光や雲、気温、只見川の色、只見川の水鏡など、それぞれの変化が重なり無二の景観が作り出される只見線沿線は、国内屈指の観光鉄道になり得る、と改めて思った。
会津中川で3名の客が先頭車両に乗り込み、会津水沼手前で「第四只見川橋梁」を渡る。
車内の様子。私が乗った後部車両は3名で、2両編成全体で10名程度の乗客だった。新型コロナウイルスの影響があるとは思うが、日曜日の昼の列車としては乗客が少ない。車窓から見える景色の良さが周知されれば、乗客は自然と増えると私は思う。
また、車内では吊革が目立っている。この雰囲気は、通勤列車を思わせ、せっかくの旅情が薄れてしまう。乗客の多い会津若松~会津坂下間でも、乗客の大半を占める高校生は吊革を使わないことを考えると、撤去しても問題はないと私は思っている。「只見線利活用計画」を進める福島県は、只見線に乗る観光客の視点を第一に、JR東日本に提案し協業して欲しい。
列車は、8連コンクリートアーチ橋、通称めがね橋と呼ばれている細越拱橋を渡り、三島町に入る。
早戸を出発し早戸・滝原の両トンネルを抜け「第三只見川橋梁」を渡る。
東北電力㈱宮下発電所の宮下ダムでは、ゲート1門が開かれ、勢いよく放水されていた。
会津宮下を出発直後に、大谷川橋梁を渡り、眼下に県道の宮下橋を眺める。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)
会津西方手前で「第二只見川橋梁」を渡る。会津百名山「三坂山」(831.6m)の稜線がはっきり見えた。
名入トンネルを抜け「第一只見川橋梁」を渡る。日向倉山(605.4m)のこんもりとした稜線が見えた。
会津桧原を出発後に滝谷川橋梁を渡り柳津町に入り、滝谷を経て郷戸を出発し、“Myビューポイント”を通過。会津百名山「飯谷山」(782m)を頂点とする山並みを背景に、滑らかな雪原が広がっていた。
会津柳津を経て会津坂下町に入り、会津坂本を出発し七折峠の登坂途上、木々が開けた“坂本の眺め”から会津百名山「飯豊山」(2,105.1m)を含む飯豊連峰を眺めた。標高が上がるにつれ白さが濃くなる山肌が、青空の下、くっきりと見え美しかった。
塔寺を出発し、列車は七折峠を静かに下り、会津盆地に滑り込んでゆく。前方には会津百名山「磐梯山」(1,816.2m)がくっきりと見えた。
車窓からの風景。田んぼの残雪に陽光が反射し、良い“借景”が見られた。乗客が少ない時は、このような楽しみ方もできるのが只見線。
13:41、会津坂下に到着。すれ違いを行う下り列車の到着を待った。
停車した会津川口行きから4人の客が降りるのを見届け、私の乗る上り会津若松行きが先に出発した。
列車は、若宮を出発したのち会津美里町に入り、直線を南進しながら新鶴、根岸で停発車を繰り返した。会津百名山「明神ケ岳」(1,074m)を頂点とする、西部山地との間に広がる田園の雪面は輝いていた。
会津高田に停車。前方には雪が一部に残った田越しに、「磐梯山」が見えた。駅には廃ホームがあるので、カフェ・レストランを整備すれば、この会津らしい風景を活かせるのはないだろうか。
北に目を向けると、冠雪した飯豊連峰。孤立峰として存在感のある「磐梯山」との対比で、この重厚な飯豊連峰は会津の山々の多様性を感じさせてくれる。列車の車窓から見えるこの山並みは、“観光鉄道「山の只見線」”を外から強力に支えてくれる存在だ、と思った。いつか、登ってみたい。
14:21、列車は会津本郷から会津若松市に入り、西若松、七日町を経て会津若松に到着。この後、列車の乗り継いで、富岡に帰った。
100回目の乗車となった今日は、青空の下、素晴らしい只見線沿線の雪景色を見ることができ、良い旅になった。車窓から見える只見線の冬の風景は、高い観光力を持っていると再確認するとともに、現運休区間の雪深さに観光面での期待が持てた。
再来年度の全線復旧までには時間があるので、新型コロナウイルス終息後を見込んで、『只見線に乗ってみたい』と思わせる雰囲気や文化を創り、11年振りの再開通の際は、素晴らしい雪景色を楽しむ観光客が車内を賑わせているようにして欲しいと思う。
(了)
・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。