ZIPANG TOKIO 2020「河川を付け替えて形成された城下町の特徴ある地割りを残す町並み!彦根市 河原町芹町地区 伝統的建造物群保存地区に選定!」
彦根市は滋賀県の北東部,琵琶湖 び わ こ 東岸に位置する。
保存地区は,旧の城下町の南東隅に 形成されたかつての町人地 (ちょうにんち) である。城下町と中山道 (なかせんどう ),さらには東方の農村部及び山間部を 結ぶ芹川 (せりかわ) 北岸の往来に沿った町並みで,北から江戸時代の河原町 か わ ら ま ち ,袋 町 ふくろまち ,安清 町 (やすきよちょう ),善利新町 (せ り し ん ま ち )にあたる。
彦根の城下町は,元和 げ ん な 期(1615~1624)に三重の堀を巡らす城下の骨格が 定まり,寛永 かんえい 期(1624~1644)にかけて城下町も整備されるが,河原町 か わ ら ま ち は元和 げ ん な 4年(1618)以前,南端の善利新町 せ り し ん ま ち も寛永 かんえい 18年(1641)には成立したとさ れる。
保存地区は,ゆるやかにS字を描く幅二間程度の往来に沿った約780メートルの範 囲である。所々に不整形の敷地を見せながら,短冊形に割られた敷地が並び,芹川 せりかわ の 流路を付け替えて城下町を整備した名残を,現在の地割りによく残す。
この往来に沿って,切妻造,瓦葺,二階建とする伝統的な町家が建ち並ぶ。二階をつし 二階として虫籠窓 む し こ ま ど を備えるものが多く,袖うだつを設けるものもある。片側を土間とし, 部屋を一列もしくは二列に並べる間取りが大半で,二列の場合には土間側の一列を幅一間 とするのが特徴である。 敷地に合わせて不整形に建てる町家や,近代以降も商業地として栄えた様相を伝える銀 行等の近代建築,表構えを洋風に改造した町家等が,町並みに変化を与えている。
彦根市 ひ こ ね し 河原町芹町地区 か わ ら ま ち せ り ま ち ち く 伝統的建造物群保存地区は,江戸時代前期に河川を付け替えて形 成された城下町の特徴ある地割りを良く伝えるとともに,街路に沿って江戸時代から昭和 戦前期にかけて建てられた町家等を良く残し,商家町としての歴史的風致を良く示すこと から,我が国にとって価値が高い。
彦根市 河原町芹町地区 伝統的建造物群保存地区
所在地 彦根市河原一丁目( かわらいっちょうめ) ,河原二丁目 (か わ ら に ち ょ う め) ,河原三丁目 (かわらさんちょう 及び芹町( せりまち )の各一部
面 積 約5.0ヘクタール
補足
彦根城の歴史
彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。
近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝です。
彦根城は、平成8年には築城以来5回目の大改修が完了。天守の34種類約6万枚にも及ぶ屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが中心に行われ、現代に美しく蘇っています。また、彦根城の周囲は特別史跡に指定されています。
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