SELMA, Bloody Sundayから56年!
1965年3月7日にSelma, Alabamaで起きたこと…
Martin Luther King, Jr. を先頭に約600人の公民権運動活動家がアメリカ国道80号線でSELMAを出発、Montgomeryに向かった。
Edmund Pettus Bridgeを渡る途中に地元保安官部の者達が、催涙ガス、警棒を使って攻撃しを彼等をSELMAに追い返した。
この攻撃があってこの日が"血の日曜日事件"、英語では "Bloody Sunday"、と呼ばれるようになった。
(2016年、Edmund Pettus Bridgeに行った時の写真)
2014年に公開された映画"SELMA"、
日本語タイトル
"グローリー明日への行進"
が日本でも上映されてこの歴史の事実が知られ、広まったと記憶してます。
アメリカ時間で今日がその出来事から56年が経ちます。
2015年で50周年を迎えて貴重な歴史として盛大な記念式典が開催された。
昨年が55周年だったのですが、新型コロナウイルスでそれどころじゃなかった。
アラバマは歴史の宝庫!
と知人が教えてくれた影響で黒人文化や歴史について調べるようになった時期がありました。
その時にです‼️
ネットサーフィンしてたらMartin Luther King, Jr. が日本宛に書かれた手紙発見して、アメリカに住む弓削礼子ちゃんが翻訳してくれたものをシェアします。
2年に一度くらいにシェアしてる気がします。
それでもまだ知らない人がいると思うと、シェアする今があるかなーと思うので今年もシェアします。
良かったら読んでみてくだい!
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”TO: THE PEOPLE OF JAPAN”
from Martin Luther King
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"日本の皆様へ"
マーティン・ルーサー・キングより
( 翻訳 Reiko Yuge )
日本は東西をつなぐ一つの可能性をもった橋のような位置にあり、また、東と西、富豪層と貧困層、世界の白人と有色人種との間にある緊張状態を和解するという歴史的な機会を授けられています。
日本は戦争の恐ろしさを経験し、放射線災害の雲のもとで他のどの国よりも酷い苦しみを味わいました(唯一の原爆被爆国である)。日本はまさに世界平和のために立ち向かうことができる国なのです。日本はまた、貧困を経験したにもかかわらず、目覚ましい経済発展を遂げるという証明をもしてみせました。
しかし日本は人種的な屈辱を経験したが、今もなお人種間の不一致の根源(種)が国境間に存続しています。また混血児として生まれた不幸な戦争孤児への平等な待遇(対応、ケア)が、この国が今実行に移さなければならない事柄の最優先にすべきことなのです。
私は皆様方の美しい日本への訪問をとても楽しみにしています。 そして近い将来スケジュールを調整して、私がアメリカの善意ある兄弟たちからの挨拶の言葉を皆様方に届けに行けるようにと願っております。
心を込めて
Martin Luther King, Jr.
1967年12月13日
”TO: THE PEOPLE OF JAPAN”
from Martin Luther King
SELMA BRIDGE CROSSING
MARCH 7th, 1965 to 2021
TheSpiritofthe56th
Continues
#Selma56