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「宇田川源流」【大河ドラマ 麒麟がくる】 大河ドラマの影響で明智光秀の好感度がアップするというドラマの影響力

2021.03.09 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 麒麟がくる】 大河ドラマの影響で明智光秀の好感度がアップするというドラマの影響力


 大河ドラマ「麒麟がくる」についてもう一回ブログで書くことができるとは思わなかった。それだけ、大河ドラマ麒麟がくるは、面白かったし、たぶん「視聴率」という数字以上に違う影響力があったのではないかと思う。

 実際に、昨年度の「麒麟がくる」は、ある意味でNHK大河ドラマの中ではかなりの意欲作であった問うことができるし、また新たなことが様々なに挑戦された内容ではなかったか。そのように考えるのである。

 まずはNHKなのに、天皇や公家のことをよく書いているということが言える。今までNHKというのは、皇室に関してはあまりよく書いていないし、その存在を無視したようなものばかりである、幕末であれば、それでも公家は書かなければならないものの、それでも皇室をそのまま書くということはあまりない。まあ、田がドラマ「篤姫」(2008年大河ドラマ)の時に、孝明天皇を東儀秀樹さんが演じ、様々な公家が出たものの、やはり江戸幕府と薩摩藩が中心になったし、それからちょうど10年後の大河ドラマ「西郷どん」(2018年)では、残念ながら皇女和宮はほとんど出ていた記憶がない。このように考えると、NHKは意識して天皇や皇室について書いてこなかったのではないかというような感じになってしまうのである。それに対して、今回は正親町天皇(坂東玉三郎)も、また三條西実澄(石橋蓮司)や近衛前久(本郷奏太)など、様々な京都の中の権力争いや、天皇から見た武家というものが書かれていた。ある意味で「NHKが大河ドラマの中で天皇や公家をタブー視しなくなった」という作品ではないかと思う。

 もう一つが「裏切り者」というイメージの明智光秀を使ったことである。まさに、明智光秀があんなに良く書かれるとは全く思っていなかった。しかし、それは「織田信長を悪い人」として書くのではなく、「すれ違い」「考え方の違い」という人間の機微を考え、そのうえで、社会の中の人間を書くことでうまく書いたのではないか。

 そのようなことがうまく表れた記事が出ていたので、今回はそれを紹介したい。

「裏切り者」のイメージだった光秀、好感度アップ…麒麟効果?視聴者の半数超が「好き」

 京都府福知山市は、2月に行った明智光秀のイメージ調査の結果を発表した。主君を討った裏切り者の印象がある光秀の好感度は、NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の放送前よりアップした。福知山城などがあるゆかりの街として、市の認知度も向上する結果になった。(森秀和)

 2018年11月、19年12月のドラマ放送前に続き、最終回翌日の今年2月8、9日にオンラインで東京、大阪在住の20~70歳代の1000人を対象に実施した。

 光秀の好感度は、「嫌い」が2・6%(前回11・2%)に減り、知将や家族思いの一面が描かれたドラマの視聴者は「好き」が半数を超えた。

 光秀のイメージを尋ねたところ、「策略家」が26・7%(同35・2%)、「裏切り者」が25・1%(同35・1%)となる一方、「良君」が22・3%(同12・5%)、「愛妻家」が16・9%(同11・4%)と増加した。

 光秀ゆかりの街という印象は岐阜市に続いて2位(大阪では1位)となり、3位の大津市、4位の亀岡市を上回った。

 光秀の子孫とされ、福知山市の特別大使を務めたクリス・ペプラーさんは「戦国史では謀反人とされているが、福知山ではたたえられている。行くたびに光秀が本当はどんな人だったのかが伝わりました」とのコメントを寄せている。

2021年03月04日 22時20分 読売新聞

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-986164/

 明智光秀というと、簡単に「裏切り者」というようなイメージが出てくる。しかし、実際のところ本当に「裏切り者」なのであろうか。私が「時を継ぐ者伝 光秀京へ」を書いたときに、現在の亀岡市の谷性寺、いわゆる「光秀の首塚」がある寺を訪れて、その話を聞いたことがある。まあ、基本的には女性にはよく話をするが、私のような人にはあまり話をしてくれない人であったが、一つだけその時の質問で「あのまま本能寺の変がなければどうなっていたか」という質問をした。住職の答えは「どうなっているかはわからないが、少なくとも言えることは今の日本ではなくなっているだろうし、日本そのものがなくなっていたかもしれない」ということを言っていた。ある意味で「今の日本を作った(守った)のが明智光秀である」ということであろう。

 単純に、織田信長はある意味で「功利主義」であり「合理主義」であった。そのために少なくとも長期的な戦略はなかったしまた、伝統や文化というようなことに関しては、あまり頓着しない性格ではなかったかと思う。そのように考えてみると、「伝統」よりも「新たなものを作る」ということの方が重要ではなかったか。しかし、日本人の多くはそのように「合理的」なものにあこがれは抱くものの、一方で「伝統」や「文化」を失ってほしくないものというような感覚を持っているのではないか。

 明智光秀は、「伝統や文化を守りながら」と考え、織田信長は「合理的にいらないものを捨てる」という感覚であった。いずれも日本の中には必要な考え方であるが、そのいずれもが「バランスを欠くと多くの指示がいられなくなる」というものであろう。

 ある意味で「バランスを欠いた二人」が見た「同床異夢」という非常につらい、そしてお互いを理解しながらお互いを信じ、そして、この二人の信頼関係があるからこそ起きた「本能寺の変」という、ある意味で「権力者が変わる『変』」ではなく「二人の心の希望しない方向にすべてが向かってしまって、望む結果にならなかった『変』」が起きたのではないか。

 今回の大河ドラマは、そのように「歴史的なタブー」という挑戦以上に「心の中のうまく描いた大河ドラマ」であったということであり、また現代の人々がさまざななところで似たようなことを考えていたのではないか。何か「親友であったのに疎遠になってしまった人」という存在がある人には、何か身につまされるドラマであった気がする。

 そのように見れば「明智光秀」も「織田信長」も特別な人ではなく、現代に生きる我々と同じ身近な人ではないかという気がする。まさに、そのような感覚から「歴史が身近になり、親近感を覚える」という人が増えたのではないか。

 ある意味で「ドラマ」の効果がうまく出てきたような気がする。改めてよいドラマであったと思う。