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Site Hiroyuki Tateyama

ふぞろい

2021.03.09 03:14

1963年、鹿児島生まれ。テレビくらいしか娯楽のない典型的な田舎の高校生でした。特に高校2年時に母が亡くなってからは、夜のテレビドラマだけが慰みとなります。

受験勉強そっちのけで見入ったのは、予備校生だった1983年放送開始の『ふぞろいの林檎たち』(TBS)。主演は、中井貴一さんや時任三郎さんら、私より少し年長の俳優たち。山田太一さんの脚本に大いに共感し、出られたらいいなという思いが募ります。

テレビ黎明期の1957年にTBSに入社。”ドラマのTBS”と言われる時代を作った名プロデューサーで演出家の大山勝美さんは、父や私の高校の先輩です。鹿児島のTBS系列の放送局に勤めていた父は、特に懇意にしていただいていました。そんなご縁で、私は大山勝美さんに手紙を認めます。『ふぞろいの林檎たち』に出演したいです、と。

その頃の私はもう予備校生ではありません。多少前後しますが、父が再婚した頃、私は大学受験と同時期に舞台演出家の蜷川幸雄さんのオーディションに受かり、俳優としての第一歩を踏み出していました。しかし、1年中舞台の仕事があるわけではなく、連れ子がぷらぷらしているように見えたのでしょう。継母は私の俳優業にいい顔をせず、父も言いなり。自棄になった私は、2年ほどサラリーマンを経験したのでした。

そして、ボーナスを手にして渡米。ニューヨークで気分一新、俳優に戻ることを決意して帰国します。

大山勝美さんに手紙を認めたのは、俳優はテレビに出なきゃ話にならない、そう考えてのことでした。24歳になっていました。

1シーンでしたが、念願かなって『ふぞろいの林檎たち』パートIIIに出演しました。手塚理美さん演じる看護師の水野陽子にちょっかいを出し、水野陽子と自分の彼女に怒られるという役どころで、台本にはフィアンセという役名が。プロデューサーはもちろん大山勝美さん。今年2月10日に亡くなられた鴨下信一さんの演出でした。

台本10ページほどの長回しで、誰かがセリフを間違えても頭から取り直しです。緊張しました。当時は自分を下手だと思っていましたが、今、ビデオを見返すと、ナチュラルで、あの頃の自分にしかできない演技。なかなかなもんだと自画自賛しております。

鴨下さんの訃報に、セット裏での緊張感や埃臭い緑山スタジオ、迷路のような赤坂の旧TBS社屋を思い出しました。1993年までの10年ほどではありましたが、比較的順調な俳優時代でした。お陰様ですとお礼申し上げたいです。

鴨下さん、どうぞ安らかに。