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父母未生以前の本来の面目

2018.03.09 03:47

https://www.myoshinji.or.jp/tokyo-zen-center/howa/1086 【父母未生以前の本来の面目】より

暖冬の中に寒波が訪れ、身体が対応できずに苦しむ日が続きます。

昨日、檀家さんが親子三代で墓参に訪れた折、五歳の男の子が「大きなカエルはいないよね?」と怖がっているのと「お寺のガマガエルは冬眠しているよ、でも間も無く土の中からでてくるだろうね」とお祖父さんが優しく教えておられました。その光景を微笑ましく見ながら、もう梅がそちこちで咲き春が近づいているのを感じました。暖冬の上に飲食店の排気で冬でも生温さを感じる浅草の地で、ガマガエルは満足に冬眠できているかと、勝手ながら心配しました。

毎朝のように凍っていた庭の池に、いつのまにかカエルが飛び込む音が聞こえてハッとして春を味わうような寒暖の差は、ずいぶん昔のことのようです。

松尾芭蕉の句集『春の日』に以下の有名な句があります。

古池や 蛙飛びこむ 水の音

一説では根本寺(現在の茨城県鹿島)住職の佛頂和尚のもとで臨済禅に参じた折の一節が元になっていると伝わっています。根本寺と鹿島神宮の間で領地争いが起こり、佛頂和尚は末寺であった臨川庵(深川。現在は臨済宗妙心寺派臨川寺)に幾度となく滞在していました。和尚の滞在中に芭蕉が訪れ、参禅を重ねていたようです。佛頂和尚が尋ねました。

如何なるかこれ、青苔未生以前の本来の面目。

(青々とした苔が生き生きとしているけれど、苔が発生する以前の本来の面目とは何か?)

すると芭蕉は、 

蛙飛びこむ 水の音

と答えたと伝わっています。

この公案は、

父母未生以前の本来の面目

(お前の両親が生まれる前の、お前の本来の面目とはなんだ?)

という形で、円覚寺の釈宗演老師に夏目漱石が参禅したことでも知られています。両親が未だ生まれていない時の自分とはなにか?と問われても、常識や知識では答えに窮します。けれど立ち止まって自分という存在を考え直すと、両親にとどまらず、大きな生命の流れの中に端を発していることに気づきます。大きな生命そのものが、即今みずからの中にあることを心身で知覚することが肝要だと、この公案から知ることができます。蛙が池に飛び込む音はどの時代でも不変の音ですので、芭蕉はこの公案に 蛙飛びこむ 水の音 と応えたのもかもしれません。

さて、一月の終わりに次女の一歳の誕生日を迎えました。長女と違い、十一ヶ月で力強く歩くようになった次女を私の母が見て「一升餅を背負わせよう」と意気込みました。姉を見て習い歩くようになっただけだから、それほどに特別なことではないようにも思いましたが、折り目は丁寧にしなくてはとも思い一升餅を背負う催しを企画しました。

Amazonや楽天で一升餅を検索すると、配布しやすいように小分けになっていたり、餅に名前がプリントされていたりするものなど様々な商品がヒットしました。餅だけではなく一升のパンもあり、まさに多種多様です。家内と話し合って、小分けになっている紅白餅を選び、当日を迎えました。

餅を背負い、励まされながらもよろめいて、あっという間に倒れる娘を祖父母は手をたたいて喜んでいます。途中で家内に向かって私の母が「私の子供三人の中でこの子だけが一升餅を背負ったのよ」と私を紹介したので、こども扱いされてムッとしましたが、ふと言葉にならない春の陽気のような暖かい心持ちがして気づいたことがありました。

ひと昔前であれば、生まれてきた子供が一歳の誕生日を迎えることが当たり前ではありませんでした。その上、元気一杯に歩いて誕生日を迎えるなど奇跡に近かったのだと思います。ですからもち米を蒸して餅を搗き、みんなで精一杯のお祝いをしたのだと思います。辛く苦しいことばかりの諸行無常のなかで、噛みしめるほどに嬉しいことだったのだと想像しました。

姉を見て習い、歩くようになっただけだから、それほどに特別なことではないと思ってしまっている自分が恥ずかしくなりました。科学が進歩し、便利を享受して生きていると、いつの間にか諸行無常のなかで生きることを忘れてしまっていました。

さらに母に「私の子供三人の中でこの子だけが一升餅を背負ったのよ」と云われ、こども扱いされてムッとしましたが、連綿と続く生命を慈しむ姿をみました。諸行無常のなかで、自分も親心をもって子供を育て、生命を繋いでいくのだとしみじみと感じました。考えればわかること、当たり前と言ってしまえばそれまでですが、こうして身をもってしみじみと感じることで忘れがたいものとなるのだと思います。

そう考えてみれば、松尾芭蕉が参禅に困り果てて捻り出した

蛙飛びこむ 水の音

もとても味わい深いものです。季節や人生の節目を大切にして、諸行無常を味わって生きていきたいものです。


https://skawa68.com/2019/11/22/post-13151/ 【「父母未生以前本来の面目は何か」という「禅の公案」と「則天去私」】より

1.禅の公案

(1)「(一切放下)父母未生以前」(いっさいほうげぶもみしょういぜん)

意味の分からないやり取りを「禅問答のようだ」と言います。確かに禅宗において、考える課題として提示される「公案」も、簡単に答えの出るものではありません。数多くの数学の天才たちが何世紀にもわたって挑んでも解けない「数学の未解決問題・超難問」と似たようなものです。

私は、どの本で読んだのか定かではありませんが「一切放下父母未生以前」という禅の公案が印象に残っています。しかしネットなどを見ると「一切放下」を付けたものが見当たらないので、私の記憶違いかもしれません。

夏目漱石の小説「門」で、主人公の宗助が禅寺に参禅して老師から与えられた「公案」として、「父母未生以前本来の面目は何か」というものがありました。

 老師らうしといふのは五十格好がつかうに見みえた。赭黒あかぐろい光澤つやのある顏かほをしてゐた。其その皮膚ひふも筋肉きんにくも悉ことごとく緊しまつて、何所どこにも怠おこたりのない所ところが、銅像どうざうのもたらす印象いんしやうを、宗助そうすけの胸むねに彫ほり付つけた。たゞ唇くちびるがあまり厚過あつすぎるので、其所そこに幾分いくぶんの弛ゆるみが見みえた。其その代かはり彼かれの眼めには、普通ふつうの人間にんげんに到底たうてい見みるべからざる一種いつしゆの精彩せいさいが閃ひらめいた。宗助そうすけが始はじめて其その視線しせんに接せつした時ときは、暗中あんちゆうに卒然そつぜんとして白刄はくじんを見みる思おもひがあつた。

「まあ何なにから入はひつても同おなじであるが」と老師らうしは宗助そうすけに向むかつて云いつた。「父母ふぼ未生みしやう以前いぜん本來ほんらいの面目めんもくは何なんだか、それを一ひとつ考かんがへて見みたら善よかろう」

宗助そうすけには父母ふぼ未生みしやう以前いぜんといふ意味いみがよく分わからなかつたが、何なにしろ自分じぶんと云いふものは必竟ひつきやう何物なにものだか、其その本體ほんたいを捕つらまへて見みろと云いふ意味いみだらうと判斷はんだんした。それより以上いじやう口くちを利きくには、餘あまり禪ぜんといふものゝ知識ちしきに乏とぼしかつたので、默だまつて又また宜道ぎだうに伴つれられて一窓庵いつさうあんへ歸かへつて來きた。

晩食ばんめしの時とき宜道ぎだうは宗助そうすけに、入室にふしつの時間じかんの朝夕てうせき二回くわいあることゝ、提唱ていしやうの時間じかんが午前ごぜんである事ことなどを話はなした上うへ、

「今夜こんやは未まだ見解けんげも出來できないかも知しれませんから、明朝みやうてうか明晩みやうばん御誘おさそひ申まをしませう」と親切しんせつに云いつて呉くれた。夫それから最初さいしよのうちは、詰つめて坐すはるのは難儀なんぎだから線香せんかうを立たてゝ、それで時間じかんを計はかつて、少すこし宛づゝ休やすんだら好よからうと云いふ樣やうな注意ちゆういもして呉くれた。

宗助そうすけは線香せんかうを持もつて、本堂ほんだうの前まへを通とほつて自分じぶんの室へやと極きまつた六疊でふに這入はいつて、ぼんやりして坐すわつた。彼かれから云いふと所謂いはゆる公案こうあんなるものゝ性質せいしつが、如何いかにも自分じぶんの現在げんざいと縁えんの遠とほい樣やうな氣きがしてならなかつた。自分じぶんは今いま腹痛ふくつうで惱なやんでゐる。其その腹痛ふくつうと言いふ訴うつたへを抱いだいて來きて見みると、豈計あにはからんや、其その對症たいしやう療法れうはふとして、六むづかしい數學すうがくの問題もんだいを出だして、まあ是これでも考かんがへたら可よからうと云いはれたと一般いつぱんであつた。考かんがへろと云いはれゝば、考かんがへないでもないが、それは一應いちおう腹痛ふくつうが治をさまつてからの事ことでなくては無理むりであつた。

「自分が生まれる前の更に前の、父母が生まれる前において自分は一体何だったのか」あるいは「まだ自分が母の胎内を出る前の、つまりいまだ生まれ出づる前の汝の心境を言ってみよ」というような意味かと思いますが、「そんなこと考えたことない」「この世には影も形もなかった」と答えるぐらいが関の山ではないでしょうか?

漱石自身も27歳の時、厭世気分に陥り、鎌倉の円覚寺で10日間の参禅をしています。その時、老師から出された「公案」が「(一切放下)父母未生以前本来の面目は何か」だったそうです。漱石も老師が満足するような答えは出来なかったそうです。

(2)「(一切放下)父母未生以前本来の面目は何か」という公案にまつわる逸話

「一撃所知(しょち)を忘ず、更に修治に仮(か)らず」あるいは「香巌撃竹大悟(きょうげんげきちくたいご)の逸話」と言われるエピソードです。

中国・唐の「香巌知閑禅師(きょうげんちかんぜんじ)」は、一を聞いて十を知る聡明で博識の禅僧でしたが、当時禅界の第一人者であった百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師に師事していました。百丈懐海が亡くなった後は、潙山霊祐の下で参禅を続けました。

その時出された公案が「父母未生以前本来の面目は何か」という公案でした。「まだ母の胎内を出ない先、未だ生まれいづるその前の汝の心境を言ってみよ」というわけです。

仏教でいうところの「輪廻転生(りんねてんしょう)のことを考えよ」ということなのかも知れません。

あるいは、「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人間界」「天上界」の六つの迷いの世界の「六道(ろくどう)」を輪廻する「六道輪廻のことを考えよ」ということでしょうか?

五里霧中の中に置かれて、香巌は戸惑いました。頭で考えたことをあれこれ言っても潙山は許しません。博識のゆえに学識理論にとらわれ過ぎていたのです。長い年月が過ぎ、失意の極に達した彼は、「どうか教示願いたい」と嘆願しました。

しかし潙山は、「私がそれを教えたり言ったりすれば、それは私の言葉であり、お前の心境から出た一句ではない。今私がその一句を言ってしまえば、後で必ず私を恨むことになろう」と言って応じなかったそうです。

とうとう彼は自分の愚鈍さに失望して、潙山のもとを去り、かつて慕った国師の墓守りをして暮らすことにしました。

そんなある日のこと、かき集めた落葉を竹藪に捨てたところ、そのごみの中に小石が混じっていたのか、竹に当たってカッーンという音がして静寂の山の墓地に響きました。

その途端に彼はハッと悟りを得ることが出来たというのです。「恍然大悟」ということです。

その大悟の内容はわかりませんが、「読書や思索・思想は指針を得るためのものであるが、座禅ではそれまでに得た指針を捨てること、頭で考えたことや勉強で得たこと一切を、自分の考えの全てを捨て去ることがまず必要」で「心身を脱落させると、一切の念にひきずられないようになり悟りに至る」「本来の自己、虚飾を全て捨て去った本質的な自分」というようなことになるのでしょうか?

(3)夏目漱石の「則天去私」

漱石が晩年に文学や人生の理想とした境地を表す言葉として「則天去私」があります。

これは「自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの」で、「我執を捨てて、諦観にも似た調和的な世界に身を任せること」です。漱石の死去により未完となった「明暗」は、則天去私の境地を描こうとした作品とも言われています。

これは「(一切放下)父母未生以前本来の面目は何か」という禅の公案に対する漱石なりの答えだったのかもしれません。

私などには、「この公案はよく分からない」というのが正直なところですが、漱石や香巌もそう簡単には大悟に至らなかった難問の「公案」ですので、「自我とは何か?自己を見つめる、自分を見つめ直す」という意味で、生きている間に気楽にゆっくり考えて行こうと思っています。

2.お経

「お経」は、般若心経でも法華経、阿弥陀経にしても、だらだらと唱えているだけで知らない人間には何を言っているのか聞き取れないし、当然ながら意味もわかりません。

ただ浄土真宗のお葬式のお経の中にある「朝(あした)に紅顔ありて、夕べに白骨となる」という部分だけは、はっきり聞き取れて意味もよくわかります。

これは和漢朗詠集の「朝に紅顔あって世路(せいろ)に誇れども、暮(ゆふべ)に白骨となって郊原に朽ちぬ」に由来します。

「朝健康そうな顔をしていた若者も、夕方には死んで白骨となることがある」という意味で、「人の生死のはかり知れないこと、この世の無常なこと」を表しています。

和漢朗詠集にある藤原義孝の詩の一節ですが、蓮如上人がその著「御文章」の中に引用したことから、浄土真宗のお葬式で唱えられることになったものです。

3.パソコンなどの説明

インターネットなどを見ていて、あるいはエクセルで作業をしていて、何らかの不具合が発生した時出て来る「ダイアログ画面」がありますが、その文章は「言語明瞭、意味不明瞭」と言うのがぴったりします。「Yes」か「No」かと問われても、言葉の意味が理解できないので判断のしようがありません。皆さんも経験があるのではないでしょうか?