白隠禅師が用いた禅の「公案」
http://ryuun-ji.or.jp/blog/?p=457 【白隠禅師が用いた禅の「公案」 ~別冊太陽より~】より
最近、臨済宗の禅問答について考える機会が多くなってきました。
平成25年に発行された別冊太陽『白隠』に寄稿させて頂いた文章を掲載いたします。
白隠が用いた禅の「公案」 細川晋輔
浄土宗に「名号」があり、法華宗に「題目」があり、真言宗に「阿字観」があるように、禅宗には「公案」というものがある。「公案」はいつ誰が造ったかははっきりしてないが、中国の唐の時代に禅宗が盛んになるにつれ、できたものとされている。「公府の案牘(案件)」の省略とされる。つまり「公案」とは一種の問題であり、これを修行者に与えて解かしめて、禅の真理の実証に導くためのものである。主として「公案」は古徳(昔の高徳の僧)の言葉から取ってきたもので、これを拈堤(ねんてい)(全身全霊でとりくむ)すれば、どこにその注意を払い、どこに実証への道を求めるべきかを知るわけである。
本来(ほんらい)の面目(めんもく)
公案といえば、夏目漱石が鎌倉の円覚寺で参禅したことは有名な話である。漱石が神経衰弱の病状著しかった二十七歳の頃、円覚寺の釈宗演老師に参じた時のことは、漱石の小説『門』にこと細かく描かれている。その中で漱石が釈宗(そう)演(えん)老師から頂いた公案が「本来の面目」というものである。「父母(ふぼ)未生(みしょう)以前(いぜん)、本来の面目とは何か」、つまり、両親が生まれぬ前のおまえの「本来の自己」を出してみよ、というのである。
この公案の元になったのは『六祖壇経』にある「不思(ふし)善(ぜん)、不思(ふし)悪(あく)、正与麼(しようよも)の時、那箇(なこ)か是(こ)れ明上座(みようじようぞ)(人の名)が本来の面目」である。つまり、「善悪を離れた、まさにその時、どのようなもの(が)明上座の本来の姿か」というものである。漱石はこの問題を与えられ時のことを、『門』で次のように述べている。「腹痛で苦しんでいる者に対して、むずかしい数字の問題を出して、まあこれでも考えたら可かろうと云われたのと一般である。考えろと云われれば、考えないでもないが、それは一応腹痛が治ってからの事でなくては、無理であった」と。
漱石は釈老師に公案の見解(けんげ)(答え)を持って行ったのだが、老師に「もっと、ぎろりとした所を持って来なければ駄目だ。その位の事は、少し学問をしたものなら誰でも云える」と突き返されてしまう。残念ながら漱石の参禅はここで終わりとなるが、晩年の「則(そく)天去(てんきょ)私(し)」という思想に大きく影響を与えた経験であったことは間違いないだろう。
では「本来の面目」とは一体どのようなものか。白隠は『ちりちりぐさ』で次のように述べている。
現実世界の一切の煩わしさ、迷いをうちすてて、もっぱらおのれの肚(はら)(丹田)にむかって観想し参究する方法である。この我が肚(はら)は、音もなければ臭いもないし、男でも女でもなく色もない。僧でなければ俗でもない、老幼、尊卑のいずれでもない。あらゆる相(すがた)を超絶している。その肚(はら)がそのまま我が本来の面目である。
そして白隠は、このように他念を交えずに参究していくならば、いつしか一切の思慮分別はなくなり、心もなければ身体もなくなってくる、と続ける。ここのところを道元は「身心脱落、脱落身心」とされた、とも述べている。まさにこのところが「本来の面目」なのである。
一休宗純の世語に、「闇の夜に、鳴かぬ鴉の声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」というものがある。「本来の面目」は見ようとしない限り全く理解できないものであり、それはまるで真っ暗な闇夜に目を凝らして、鳴かないカラスを見つけるようなものである、ということである。
趙州(じようしゆう)無字(むじ)
中国古来の公案で最も有名なものである。この「無字」の公案を「初透関(しょとおかん)」(一番最初に出される問題)としている修行道場も多い。
「趙州和尚、因みに僧問う、狗子(くし)に還(かえ)って仏性(ぶつしよう)有りやまた無しや。州云く、無」。ある僧が趙州和尚(七七八~八九七)に「狗子(犬)にも仏性がありますか」と問うたのに対し、趙州が「無い」答えたという『無門関(むもんかん)』第一則の「趙州狗子」という公案である。
白隠が若かりし頃、常に向かい合ってきたのは、この「無字」の公案である。だからこそ「無字」に対する思い入れは凄まじいものがある。白隠の仮名法語の代表作である『遠羅天(おらで)釜(がま)』にいう、
仏道修行を志し、煩悩を断ち、無明の眼のウロコを落とすには、やはり無字に限る。(中略)自ら大疑団そのものとなって、それ以外には何もなく、生でもなく死でもなく、 厚い氷の壁に閉じ込められたような、あるいはガラス瓶の中に坐っているような心地となり、坐っているとも思わず、起つことも忘れ、一点の情念なく、ただ一箇の無字にな りきる。この境地でさらに工夫してゆくならば、忽然と、この厚い氷が砕け、楼閣が崩れ落ちるように、これまで体験したことのないような大歓喜を体験するであろう。
白隠の禅においては、この「疑団」というものが必要不可欠である。迷いを「公案」を用いて起こし、それとがっぷり四つに組んで、そのものに成り切ってこそ「悟り」というものが現れる。しかし、これはそう容易なことではない。犬には仏性があるか、なぜ犬なのか、なぜ無いのか……などと理論的に考えては禅ではなくなる。だからといって、まったくわけのわからないまま公案に取り組み、「このわけのわからぬところが禅だ」などと妄想して、それが公案透過と思うのは大間違いで救いようがない、とまで白隠は言っている。
片手の音を聞け
白隠が六十三、四歳の時に創作した有名な公案であり、現在、臨済宗の道場では「無字」などとともに最初の関門とされている。「両手をうてば声がするが、隻手(せきしゅ)(片方の手)には何の音があるか」というものである。白隠が富郷賢媖という女性に宛てた法語『藪(やぶ)柑子(こうじ)』には次のように書かれている。
この五六年以来は、考えるところがあって、「隻手の声を聞き届けよ」ということを教えているのですが、これまでとは異なって、どなたも格別に疑団が起こりやすく、工夫を進めやすいようで、従前の公案とくらべ、その効果には雲泥の差があるように感じております。(中略)隻手の工夫とはどういうことか。今、両手を相い合わせて打てば、パンという音がするが、ただ片手だけをあげたのでは、何の音もしない。
何の音もしない、その音を聞き届けよというのである。白隠禅の大きな特徴は、前に述べたように、疑団がなければ悟ることはないというところである。心に何の迷いもなければ、自分の中にある仏性に気付くことはないというのである。だからまず、修行者の中に疑団を起こさせることから始めることになる。「波なきところに波を起こす」といった具合に、疑団を起こすには「隻手の音聲(おんじょう)」の公案が一番適しているというのである。
では「隻手の音声」とは一体どのようなものか。白隠は「隻手の音声」の消息とは、『中庸』にいう「上天の載(こと)は声も無く臭(か)もなし(天帝の世界のありさまは、耳で聞くこともできず、鼻で臭いをかぐこともできないようなものである)」であり、またその秘要はといえば、謡曲の『山姥』にいう「一洞空しき谷の声、梢に響く山彦の、無声音を聞く便りとなり、声に響かぬ何もがな」であると述べている。「隻手の音声」は耳で聞き得るものではないのである。白隠は『藪柑子』で次のようにいう。
この隻手の音は、耳で聞くことができるようなものではない。思慮分別をまじえず五感を離れ、四六時中、何をしている時も、ただひたすらにこの隻手の音を拈提して行くならば、理屈や言葉では説明のつかぬ、何とも致しようのない究まったところに至り、そこで忽然として生死の迷いの根源、根本無明の本源が破れる。(中略)
いつしか、意識の根源は撃砕され、この迷いの世界もまた根本から粉砕されており、ありのままの真実を見届け、行動する智恵がそなわり、一切を正しく見透すことのできるもろもろの智徳の力がそなわっていることを確信できるのである。
私が修行した臨済宗の専門道場ではこの「隻手の音声」の公案は「初透関」と呼ばれ、最初にして最大の関門とされている。「片手ではどんな音がするのだろう」とか「片手では音は鳴るはずがない」というような理論的な話ではない。「活三昧」というべく、その音に自分自身が「成り切る」ことが求められるのである。そのことを証明できて初めて「初透関」を透過したということになる。
白隠はこの「隻手音声」を透過した者に「龍杖図」というものを書き与えている。一種の証明書ではあるが、それはあくまでも「入門許可証」とでも言うべきものであり、「初透関」で終わりではなく、満足してはならないと注意しているのである。聞こえたからよいというわけではなく、不断の努力、向上の一路、隻手の声を聞き続けることが最も大切であると白隠は何度も述べている。
以上述べたのは、いわゆる「初透関」、公案の入り口である。中国古来の古則は数百もあり、これらは臨済禅の日本伝来以降に行われて来たものである。禅の特徴は、師がみずから得た体験をもって弟子に伝え、導いてゆくところにある。しかしながら、公案という問題がある以上は、それを解くことが自己目的となり、ややもすれば、このシステムは形式化し形骸化することになった。
白隠の時代は、室町時代以来の禅が衰退しつつあった時である。そのときに当たって、白隠は公案の取り組む修行者の到達した心境を点検するための問答(拶処(さつしよ)という)に、日本語の諺や歌謡を用いたり、公案を創作したりして、新しい方法を試みたのである。これらの方法は、やがて白隠下の弟子たちによって修行者育成のためのカリキュラムとして再編成され、修行システムが再構築されていくことになった。現存する臨済宗の修行システムのほぼ全ては、白隠の築いたものの上に立っているのである。白隠が「臨済禅中興の祖」と呼ばれる所以である。
「本来の面目」「無字」「隻手の音声」は「初透関」であるが、どの公案もじつに奥が深い。ぜひ禅寺を訪れて、坐禅を組み、どれか一つでも公案というものに向かい合って、「大疑団」を起こしていただきたいものである。