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休憩と心のアソビ。

2021.03.09 15:12

辛すぎて辛すぎて、かかりつけ医で禁断の点鼻薬を処方してもらってきた。

鼻の血管を収縮させて詰まりを改善する薬。

ひと打ちすると、頑固な鼻詰まりが一瞬で消え失せた。

点鼻薬つよすぎ。

とはいえ薬害の鼻炎を経験しているので、常用するのは怖い。

昨日使ったから、今日は我慢してみてる。

ネットで調べたところ、1日3回を2週間程度なら大丈夫らしいので、少しずつ使おうと思う。

2週間後には花粉の季節が過ぎ去っている事を祈りつつ。

ハウスダスト対策のクイックルと掃除機もきちんとやった。

今日なんか、マットレスの下のベッドフレームまで掃除機掛けた。

うちのマットレスは20センチ越えの、ホテルですか?みたいなガッシリしたヤツなので1人では立て掛けながら動かすのがやっとの代物。

えっちらおっちら頑張った。

全ては快適な日常を送る為である。

ダムダム団の鈴木さんがよく部屋の無駄な空間を見つけてはデッドスペースがうんちゃらかんちゃらと小姑じみた事を言ってくるのだが、掃除と一緒に片付けをしていたら少しだけ気持ちが分かってきた。

これはあっちにしまおうかなとかラックがあったらいいなとか思えるようになってきた。

余計なモノが視界に入ると、生活の妨げになるのだなと本当に実感する。

時間が経つと面倒臭さや忙しさを理由に散らかっていくのだけどね。

最近は日々、断捨離も兼ねてお片付け中。

中野方面へお買い物がてらお散歩してきた。

すごいでかい実のなっている木があった。

なんの実かなあ。

柑橘系苦手なのでわからないや。

見てるだけですっぱい。

公園でひと休み。

小さい子供を遊ばせているママさんが何組かいた。

改めて思うけど、私は本当に休憩という行為をしない人間だ。

こういった散歩中の休憩を含めて、自ら進んで一呼吸置くとかお茶をするという選択肢が無い。

まだ動けるのに、休んで何になるというのだと思ってさえいる。

今日は少し足の裏が痛くなってきたかもと気付いて、荷物を置いてベンチに腰掛けてみた。

ふむ。

家族や友人と出掛けた際には、少しお茶して休もうみたいな流れになるが、それは人と会っている口実とかお膳立てみたいなモンだとばかり思っていた。

「お姉さんお茶しない?」みたいな茶番と同じようなやつ。

だからみんなひとりの時は、自分と同じで休んだりしないと思っていた。

でもどうやら違うらしい、と最近になって気付いた。

みんな、本当に疲れたから休憩を提案し、お茶しているのだ。

休憩とは、もう息が上がって喉がカラカラです無理ですという時にするものでは無いのか。

眠る以外の休むとは、疲弊に耐えかねた時の休息ではないのか、と。

私はそういった、ちょっとお茶しよっかという程度の疲れに気付くセンサーが搭載されていないようなのだ。

なんでだろうと考えた結果、自分の事を後回しにする性格が関係しているのではという結論に至った。

目的の遂行を最優先し、自分の身体の疲労や感覚に耳を傾けるという行為を切り捨ててきたのだと思う。

疲れていないから休憩なんて必要ないという考えは、結局の所"休憩する"という行為を選ぶ余裕の無さの表れなのだろう。

そして心身に限界がきて、大爆発を起こしてしまった。

今読んでいる本に、

「精巧緻密な車もハンドルにアソビの部分が無ければ運転し辛いし、戸棚やふすまもアソビが無ければスムーズに開閉しません」

というような事が書いてあって、まさに図星だと思った。

私は、ギチギチのギスギス人間だったのだ。

人に対してにこにこしていても、自分にはどぎつい内弁慶タイプなんだと思う。

なので最近は、行きたいと思っていなくても通り掛かったらトイレに寄ってみたり、カバンを触るついでにタンブラーの水をひと口飲んでみたりしている。

本当に些細な事なのだが、私の中には、自発的にそれらを行うシステムが無いのだ。

もっといえば、限界値に達するまで己の信号に気付けないのだ。

トイレも、喉の渇きも、そう。

だから夏場、脱水症状でしょっちゅうクラクラしていたのだと思う。

自制心を通り越して苦行のよう。

今はこころの療養中なのだから、もっと自分の欲求に対して敏感にならなければと思った。

何のための無職なのだ、と。

それもそれで真面目すぎる考え方だけど。

自分なりのやり方で、自分の思考や行動の癖と対峙してみている。

とはいえ当初よりだいぶ回復したし改善された。

いやだと感じたらやらない、迷ったら近付かないということが出来ているだけで100点あげたいくらい。

私はよくやっているぞと私に言い聞かせるのも、意識してやらなくちゃいけない、大切なひとつ。



最近やっと、通院やリハなどの用事ではない時に、交通機関を使えるようになった。

"自分が"買い物をしたい、映画を観たいという欲求だけで、電車賃を使えるようになった。

なんだそんなこと、と思われるかもしれないが、私にとってはものすごく大きなハードルだった。

食べたい物を買う、自分が欲しいからとホームベーカリーを購入するのも、それと似たワンステップだったと思う。

とにかく、自分のために何かをするのが苦手だ。

自分の欲求の為だけに、自分以外のなにかを消費するのが、苦手だ。

わかりやすいのがお金だけど、人と過ごす時間などは、相手の時間を消費してしまっていると考えたりもしてしまう。

自分が携わると、途端に浪費や犠牲にしているような感覚になる。

卑下とか謙譲ではなくて、これは私の中に元々備わっている当たり前の感覚なのである。

いわゆる自尊心が欠落しているタイプの人間のよう。

厄介な脳味噌だけど、それもまた個性と思えなくもない、と思いたい。

死ぬまではなんとか仲良くやっていきたいので、がんばって智恵を働かせて生きていこうと思う。

最近人気の高級生食パン風レシピを使ってみた。

もうね、ふわっふわっ。

びっくりする。

耳の部分を少し削いで食べたけど、これはめちゃくちゃ美味しいぞ。

柔らかいから、バゲットみたいに何かのせて食べるのは向かないかも。

生ハムは合いそう。

チーズも合いそう。

なんだ結局なんでも合うんじゃないだろうか。

それにしても、美味。

生クリームとはちみつが良い仕事してくれている模様。

バターを使い終えたので、業務スーパーでグラスフェッドバターというのを買ってみた。

牧草だけ食べた牛さんのバターで、ヘルシーらしい。

普通のバターより少し安いからどうなのかなと思ったけど、美味しく焼けてよかった。

はやく誰かに食べさせて、うまいうまいと言わせたい。

金曜日の両国サンライズに焼いていきたい気持ち。

入り時間早いから、前日に焼こうかなあ。

みんなのおいしいのために、がんばるぞ。