宝ものを預かる
日本人の暮らしでは、ベタベタ人を触ることは少ないですね。
私はケアに携わったおかげで、いろいろな方を全身触らせていただくようになりました。
家族でもそう触ることがない隅々まで、初対面の方でも違和感なく預けていただく…有難いことだと思います。
どんな方でも、何回目でも、真摯に施術するよう心掛けています。
雑談で笑いながらだったり、(白状すると)ボーっと他のことを考えてしまう瞬間もありますが、集中するとスッと、何というかモードというか今どきはゾーンなんていうのか、そんな状態に入ります。
そして、ここまで生きて来られたその方を感じると、ケアの今日は御開帳の日で、お社に風を通して清めるような、御神体をお掃除させてもらっているような、そんな気持ちになったりするのです。
宗教的な意味ではなく、大切な宝ものを任せていただいているのだという気持ちです。
お坊さんのケアをさせていただいたことがあります。
もう役からは離れていらしたので、お坊さんだった方…でしょうか。
プライベートで可愛がっていただいていたので変な緊張はありませんでしたが、何だか気が引き締まりました。
まずうつ伏せで背中の状態をみてから、足へ降りていって足首周りからケアをします。
アキレス腱を触っていると、無性に涙が出てきました。
ご本人に悟られないようにこっそり拭ってケアを続けた、印象深い施術の想い出です。
正座をしてお経をあげて、亡くなった命、生きている命と向き合う。
途方もない修行の道のりを越えて来られ、たくさんの命を送り、多くの悲しみに寄り添い、集う人々と笑い、きれいごとばかりではないであろうあれこれを諭し、ご自身の人生を受け入れ…。
私の勝手な思い込みかもしれません。
でも、アキレス腱を通してそんな色々なことをブワッと感じてしまい、理屈では説明しようのない涙になってしまいました。
私のケアの師匠は、「アキレス腱は先祖と繋がるところ」と言っていました。
私たちを育ててくれる地球にグッと踏ん張り立ってこの命を繋ぐために、アキレス腱は大切な役割を担っています。
だから、その方の生き様が表れる場所の1つなのかもしれません。
この方に限らず、お一人お一人が人生の色々を乗り越えて来られた大切な命。
どこかで違う選択をしていたら、今を一緒に過ごすことはなかったかもしれないのですよね。
「ここまで来てくれてありがとう」と感謝しながら手を当てます。
大切な宝もの、これからも心してケアしていきます。