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アニミズム

2018.03.10 03:12

http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%83%A0  【アニミズム】 より

アニミズム/animism

イギリスの人類学者、E・B・タイラーが、宗教の起源を論じるなかで提唱した用語。あらゆるものに霊魂の働きを感受する世界観を表す語として広く用いられている。タイラーは、すべての宗教の起源は「霊的存在への信仰」にあるとして、これをラテン語で「気息」「霊魂」を意味するanimaに由来するアニミズムの語で包括した。その後、アニミズムを宗教の起源として直線的な進化図式の冒頭に位置づける彼の仮説は、西洋中心主義的であるとして批判された。ともあれ、山川草木に霊性を感受するあり方がいまも世界各地に息づいている以上、その命名にはなお一定の有効性があるといえる。タイラーの説は、同じくイギリスの人類学者J・G・フレイザーによる樹木崇拝や穀霊の議論に影響を与え、さらに日本民俗学者の柳田国男や折口信夫おりくちしのぶの稲魂談義にまで波及した。たとえば折口は、大嘗祭だいじょうさい・新嘗祭にいなめさいにおいて諸国から奉納される稲穂は神であり国々の魂であると論じ、「稲の魂は、神の考えが生ずる、一時代前の考え方」(折口信夫「大嘗祭の本義」『折口信夫全集』三、中央公論社、一九九五)としており、同型の思考が垣間見える。他にも日本の宗教の基層にアニミズムをみる言説は多いが、そこでしばしば言及されるのが本覚思想である。日本仏教で独自に発展した本覚思想は、あらゆる衆生に悟りの可能性があるとする如来蔵思想を発展させ、草木国土までもがそのままで悟りを開いているという「草木国土悉皆成仏」の思想にいたったが、これはアニミズム的発想が仏教に取りこまれた結果であるという。近年では、自然のなかに自己とのつながりを感じ宇宙との調和や一体感に生きる世界観を目指すニューエイジやスピリチュアリティ文化が、アニミズムを自らのルーツとして称揚することがある。


http://www.isc.meiji.ac.jp/~hirukawa/text/animism.htm 【アニミズムとシャーマニズム】より

▼アニミズム animism (有霊観)

霊的存在への信仰として、人類学者タイラー Tylor が提唱。animaはラテン語で霊魂という意味人間だけでなく、動植物や無生物にも霊魂が宿っていて、物体から離れても独立して存在しうるという観念

特定の事物に特別な霊的存在が宿るという考えは呪物 fetish 崇拝(fetishism)

霊魂は日本語ではタマ tama (霊魂が宿る球形の石)、カム・カミ kamï (畏れの対象、上方を意味する kamiとは別語源)など

宗教の起源の研究の中で、アニミズム→多神教→一神教、という進化主義的モデルの一種として提唱されたが、このモデル自体は否定されている

しかし、近代的文明社会にもアニミズムは存在する。アニミズム自体が科学的に根拠がないことが証明されたわけでもない

▼シャーマニズム shamanism (巫術、巫俗)

語源はツングース語・マンシュー(満州)語の saman(知る人)。サンスクリット語のśramaṇa(沙門)起源という説もあり

シャーマン shaman (巫師、巫者)という職能者が、トランス状態という、一種の変性意識状態に入って、霊的、超自然的存在と直接接触し、 儀礼を行う

古代日本語ではミコ(貴い人)で、これが漢字の巫女に対応させられた。民間巫者としてはイタコ(北東北)ユタ、カンカカリャー(琉球)など

脱魂型シャーマン

脱魂 ecstasy によって他界を訪問する。狭義のシャーマン。狩猟・採集社会、南北アメリカ先住民社会に多い。男性が多い

憑霊型シャーマン

憑依・憑霊 possession によって他界的存在を呼び寄せる。霊媒 medium としてシャーマンとは区別されることもある。旧世界の農耕・牧畜社会に多い。女性が多い

進化主義的な説が正しいかどうかはともかく、世界宗教(仏教、キリスト教、イスラームなど)が広まった地域(おもにユーラシア大陸)では、周縁化されていることが多い

日本(とくに琉球)は仏教の影響が大陸よりも弱く、民族宗教である神道も含めて、アニミズム、シャーマニズムの文化が根強い

▼シャーマン(と呪術師、占い師など)の仕事

病気の原因を探す、病気を治療する

薬草などによる治療

「気」のような作用による治療?

プラセボ効果 placebo effect

自然治癒の因果関係の誤認によって治ったように感じられる?

呪いをかける、かけられた呪いを解く

呪いの社会的説明→平等主義的な社会では呪いが社会的平等を実現しているという側面もある

死者の霊を呼ぶ・神や精霊を呼ぶ

霊魂仮説、ESP仮説、演技あるいは思いこみ仮説

未来を予言する、その他人生相談

人間に予知能力はあるのか?(決定論と自由意志の問題)

バーナム効果 Barnum effect とコールドリーディング cold reading


https://note.com/kateikyoushi/n/nfa94fd8fa858 【アニメという言葉】より

アニメって、動く漫画のことだと思っていたのですが、一応語源があったのですね。詳しく調べていないので通説は知りませんが、メモとして書き留めておきます。

英和辞書には、animation(英語)

1、生気、活気

2、動画、アニメーション

とあります。1番に「生気、活気」とあるので、2の意味は派生して出てきたものでしょう。ではなぜアニメが生気になるのか。

アニメ、と似た単語に「アニマ」「アニムス」という語があります(これらの語を初めて知ったのはゲーム『ゼノギアス』でした)。「アニミズム」というのもありますね。アニマとアニムスを区別して用いたのは心理学者のユングだそうですが、心理学独特の用い方みたいです。在宅情報ではアニムスの語源が出てこなかったのでひとまずアニマだけ読み解きます。

「アニマ」(anima、ラテン語)

・古代ギリシャの「プシュケー」(Psyche、息、呼吸・命・心、魂の意味)に由来する言葉。ということですので、もともと「命」や「魂」という意味があったのですね。

そこから考えると「アニメ」とういのは「命や魂を与えられたもの」という意味になるのではないでしょうか。

漫画にそれらがないとは言い切れませんが、実際に動いて喋るようにすることを「命を与える」「魂を宿す」「活気を与える」と考えたのではないかと思います。「アニミズム」も万物に霊魂が宿るという思想ですよね。

2次元に魂が宿っているとは、多分にスピリチュアルな思想です。


http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%B0%91%E9%96%93%E4%BF%A1%E4%BB%B0 【民間信仰】より

みんかんしんこう/民間信仰

民間に流布・伝承した多種多様の信仰形態の総称。国などの管理をうけず民衆の間で日常的に行われる宗教的行為。民俗宗教ないし民俗信仰、庶民宗教ないし庶民信仰、固有信仰とほぼ同義に用いられている。文化を表層文化と基層文化とに分けた場合、基層文化に含まれる。前者は「見える文化」であり、後者は「見えない文化」と表現できる。言い換えると、成立宗教と非成立宗教の対置となるが、組織的・既成的・歴史的なものと土俗的・地生的なものとがあることを意味している。成立宗教といった場合、教祖・儀礼・教団の三要素の存在を明確に指摘できるが、民間信仰という場合は、非組織的・非既成的・伝承的・土俗的・地生的な性格を持つ信仰形態を指す。したがって民間信仰は、宗教の基層ともいえるアニミズムであり、それ故に特徴として、アニミズムから展開した死霊・祖先神を有する産霊信仰や、守護霊としての和霊と悪霊としての怨霊や御霊ごりょうの信仰を持つ。また、仏教の天部の神格などにみられるように外来宗教との接触によって生まれた信仰、いわゆる習合宗教の特徴などを有するとされる。堀一郎は東京大学の講義題目に民間信仰を民俗信仰と言い換えている。堀はアメリカ・シカゴ大学のレッドフィールド(R. Redfield)の提唱した大伝統と小伝統との区分に触発され、小伝統で基層文化である民間信仰を成立宗教と対比した場合、未分化組織としての民間信仰よりも習合宗教としての民間信仰の特徴に注目し、成立宗教的な要素を持つものとして捉えた。以後、民間信仰の語を民俗宗教の語に置き換えることが行われるようになった。このように、宗教学や文化人類学の観点にたった場合と日本の信仰を実態に即して捉える場合とではおのずとアプローチの仕方が異なるといえる。現在は民俗宗教・民間信仰と併記されることもある。

【参考】堀一郎『民間信仰』(岩波書店、一九五一)、柳田国男『民間伝承論』(『定本柳田国男集』二五、筑摩書房、一九六四)、桜井徳太郎『日本民俗宗教論』(春秋社、一九八二)、宮家準『宗教民俗学』(東京大学出版会、一九八九)、楠正弘編『宗教現象の地平』(岩田書院、一九九六)


http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0 【御霊信仰】より

ごりょうしんこう/御霊信仰

御霊ごりょうとは非業の死をとげ、その結果この世に未練や恨みを持つ死者の霊魂を指す。また御霊をめぐる種々の信仰を御霊信仰という。平安時代の御霊では菅原道真が有名だが、道真以前にも、早良さわら親王(崇道天皇)や伊予親王なども御霊であると信じられていた。御霊は恨みをはらすために人々に疫病を振りまくことから、それらの荒ぶる霊魂を鎮め、慰撫することによって、災厄をもたらさぬように外の世界へ送るための祭礼が御霊会ごりょうえである。このような御霊信仰が平安時代には牛頭ごず天王の祭と習合し、やがて祇園御霊会として定着してゆく。平安京で行われた御霊会は、桜の花が散り始める頃から初夏にかけて町中に疫病を撒きちらす疫神を様々な芸能や歌舞を披露することによって鎮め、都の外へ送るために行われた疫神送りとしての法会であった。牛頭天王はインドでは祇園精舎の守護神とされているが、日本に移入されてからは御霊信仰と結びついていわゆる疫神とみなされるようになり、この神を祀れば疫病やその他の災厄から免れることができるとして広く民間に普及したといわれている。

【参考】柴田実編『御霊信仰』(『民衆宗教史叢書』五、雄山閣出版、一九八四)