東日本大震災に想いを馳せる
こんにちは!ドイツ仕込みの動物自然療法士・ティアハイルプラクティカーの野原です。
今日は東日本大震災から10年という日。
亡くなられた方々、動物たち、被災した方々、動物たちに想いを馳せてブログに心境を綴ってみようと思います。
10年前の今日、私は大学の図書館で調べものをしていました。
私の大学は西宮の高台にあり、その日は春休み中ということもあり、非常に静かな環境でした。
あの日の震災は関西でも揺れたそうで、姉は大阪の勤務先のビルで非常に大きな揺れを感じたそうですが、私はというと地震が起こったことすら知らずにいつも通りの日を過ごしていました。
未曽有の事態が起こったことを知ったのは家に帰ってから。
その日は東京の帰宅困難者や仙台の家事の報道がほとんどで、もっともっと恐ろしいことが起きていることには気が付きませんでした。
翌日一遍して津波被害の報道。
"その"地震も津波も全く体験していない私ですら、未だに震災時や津波時の映像を見ると身体がこわばってしまうほどのインパクトがありました。
そして福島原発の爆発・・・。
チェルノブイリ原発の事故がいかに悲惨かを教科書で見ていたけど、まさかこれが2011年の日本で現実となるとは。
その後の報道で、どれほどの人々の人生が乱され、どれほどの人々が見も心もボロボロになったか、幾度も語り継がれました。
テレビではなかなか登場しなかったのですが、被災動物のことを伝える活動も拝見しました。
「震災で消えた小さな命展」に訪れ、作者のうささんとも直接お話させて頂きましたが、このような取り組みを通して当時を一生懸命に生きた人々や動物たちのことを後に語り継ぐことは非常に大事なことだと感じます。
大型犬の子が食料がなくやせ細って弱っていく姿を、自分たちの食料を削って生かす努力をされたご家族の話が中でも印象に残っています。
もしそれが自分たちだったら、自分の子がそんな状況に陥ったら・・・。
まさに胸が張り裂けそうな気持ちになります。
福島ではたくさんの動物たちが人間のいなくなった街で餓死しました。
立ち入り禁止区域に残された動物たちにフードや水を届ける団体さんの動画を拝見したことがありますが、それはそれは悲惨です。
言葉にすると息が詰まるほどの悲惨な状況・・・。
もしもあの世というものがあるのならば、どうか、どうか今は安らかに、好きなだけフードを食べて好きなだけ水を飲んでほしい。
「あの日の震災を忘れてはいけない。」
言うは易しですが、正直なところ毎日常に防災意識ばっちりの生活をしているかと言われると・・・、私は全然できていません。
こうやって節目の年になるとテレビやメディアで一斉に震災の報道が増え、被災者の当時と今についてインタビューが増えます。
最近続けて被災者のお話や原発事故のその後のお話を拝見して、なんとも語れない気持ちになりました。
あの日、私は地震にも気づかず図書館で静かに自分の時間を過ごしていました。
震災ボランティアも「行こうかな」で終わってしまっていて、被災地に「行ってみたい」もまだ実現しないままです。
それでもこの日が重く重く、自分ごとのように感じられるのは、あの日起こった出来事をなんらかの形で発信してくださる人々がいるからでしょう。
そうでないと物事はすぐに忘れられてしまいます。
10年前、たくさんの人とたくさんの動物が恐怖の中で亡くなり、苦しみ続けました。
今もいろんな問題を抱えて苦しんでいる人々、シェルターで保護され続けている動物たち、無人の街で野生化して生きている動物たちもいるでしょう。
当事者ではない私に何ができるのか?
やはりそれは、他人事で済ませるのではなく、共に悲しみ、共に寄り添い、犠牲になった生命に鎮魂の祈りを捧げることなのでしょう。
祈りをこめて。