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本覚

2018.03.10 12:28

もしかして仏性とは集合無意識、アカシックレコードと言われるものではないでしょうか?左脳が鎮まればだれもが(個人的な無意識の浄化ののち)触れることのできる意識ではないでしょうか??

https://ameblo.jp/gu-don/entry-10653192415.html 【親鸞と仏性 ~『涅槃経』『大乗起信論』「本覚思想」~】 より

「仏性(ぶっしょう)」という言葉があります。

『涅槃経(ねはんぎょう)』という経典に「一切衆生悉有仏性」とあるのが有名です。「一切の生きとし生けるものには、ことごとく仏性がそなわっているのだ」という意味です。

意訳すれば、「だれしも必ず、やがて仏になるのだ」ということ。仏の因子が誰にでも備わっているのです。

親鸞聖人も、仏性の思想の影響を受けていることは明白です。

『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』には『涅槃経』の引用回数が、他の経典に比べてはるかに多いのです。

我々は、誰しも「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を生きています。我々は誰しも「無我(むが)」を生きています。清沢満之の言葉でいえば、誰しも「不如意(ふにょい)」なる生を生きています。これが「仏性」です。けれども我々は、成長する過程で、常なるものを追い求め、私の精神・肉体を自分のものと思い込み、努力次第で思い通りになるものだと考えてしまっています。これが迷妄なのです。

竹野山浄福寺の懺悔ブログ ~親鸞・唯識・臨床哲学・臨床心理学・臨床仏教・そして愛~-仏性

『涅槃経』と並んで仏性を説く経典に馬鳴(めみょう)の『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』があります。

大乗起信論には、この事態を、「本覚(ほんがく)・不覚(ふかく)・始覚(しがく)」という用語で説明しています。

我々は、仏法の無常・無我・不如意の道理を生きている(本覚)、しかしそれを誤って常・我・如意だと思い込んでいる(不覚)、けれども人生の過程において、道理が道理自身の力で、我々に「無常・無我・不如意」を教えてくれるのである(始覚)。

我々の努力で仏になるのではなく、道理が道理であるが故に、我々に教えてくれるというのは、実に他力(たりき)的です。

親鸞聖人が二十九歳まで学んだ天台宗では、『法華経(ほけきょう)』と並んで『涅槃経』が最重要な経典とされています。親鸞聖人は他力的にこの経典を読破したのでしょう。

なお、平川彰先生は「法蔵菩薩は仏性である」という旨の論文を書かれており、曽我量深師の「法蔵菩薩は阿頼耶識である」という説に反論されています。親鸞聖人の仏性思想から言えば、平川先生の指摘が深い意味をもつものと思われます。研究テーマとして、例えば『大乗起信論』の訳者である真諦(しんだい)三蔵における仏性思想と唯識思想の関連と重ねて、この法蔵菩薩論は面白いものではないかと考えられます。

また、『大乗起信論』の本覚のみを取り出して、「すでに救われているではないか」と説けば「天台本覚思想」となります。歴史上、実際にそのような論が流行しましたが、不覚の事実に目を向けていないという点で誤っているのではないでしょうか。研究の余地はあります。

少し専門的な話になりました。ゴメンナサイ。後日噛み砕いた記事にできればと思います。

涅槃経の解説は古田和弘『涅槃経の教え』(東本願寺)が平易で、かつ仏教学の入門書としても優れています


https://ameblo.jp/gu-don/entry-10530306981.html  【浄土真宗と唯識】より

浄土真宗の近代教学の中で、唯識の教学が研鑽されて、親鸞の教えを明らかにしていったという話を先に記しました。

そもそも江戸時代から、真宗では唯識は仏教学の一つとして重視されていたようです。その伝統で、近代教学にも唯識がとりあげられたのでしょう。

竹野山浄福寺の存在する新潟県三条市には、かつて米北教学校(べいほくきょうがくこう)というものがあり、僧侶が仏教を学ぶ学問道場としてあったそうです。

私が通った名門(!)新潟県立三条高校は木造建築で、築百年ほどだといわれていました。あまりに汚い学校で、暗黒の高校時代でしたが、その校舎は現在の三条別院にあった米北教学校を移築したものであるといわれています。

さて、曽我量深という念仏者は、この教学校で、『成唯識論(じょうゆいしきろん)』と『無量寿経』を同時に学び、それが後世の曽我教学を形成したといわれています。

曽我量深は、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)は阿頼耶識であるという独自の教学を残された方です。

そして、その弟子安田理深は、曽我の教学を受け継ぎ、唯識を学ぶことによって親鸞が理解できるという方向性を切り開きました。

曽我量深の法蔵菩薩論は難解で、私も理解しきれていないのですが、これから研究を続けたいと思います。研究が進み次第、このブログで報告させていただきます。

竹野山浄福寺のブログ-唯識の唄

法蔵菩薩とは、『無量寿経』という経典に説かれた阿弥陀仏の修行者時代の「物語」です。

法蔵が「すべての生きとし生けるものを救いたい」という願いをたてて、修行したというのが『無量寿経』の物語ですが、例えばマルクスも「すべての生きとし生けるものを救いたい」という願いをもっていたでしょうし、マザーテレサもそう思っていたでしょう。

『無量寿経』がそれらと次元を異にしているのは、そしてメチャクチャ面白いところは、個性的な事は、「そしてその願いは成就した」と記されていることです。

マルクスやマザーテレサは人類の救済は未来ですが、無量寿経では完成しているのです。これは、どういうこと?(ソリューションフォーカストアプローチですよね。脳は自分が選択した方向に向かって働く=それに即した情報を選択的に受け取る)

この観点から、前回記した「そもそも南無阿弥陀仏って何」を読んでいただければと思います。

さて、その修行者法蔵が阿頼耶識であるというこの言葉は、しばしば学者に否定されます。

我々が流転(るてん)するのはすべてを含んで流動する阿頼耶識によるのであり、阿頼耶識を清らかにしていくのが修行である。つまり阿頼耶識は否定されるべきもの、法蔵のような立派な人格ではありえない、むしろ法蔵は「仏性」であるなどといわれます(ちなみに東京大学の平川彰先生は法蔵菩薩は仏性であるという説を提示しました。仏性については後の記事で述べますのでご参照ください)。

けれども、唯識を学んでみますと、我々の存在を超えて存在している阿頼耶識を、「我である」と認識しているときは「阿頼耶識」と呼ばれるけれど、阿頼耶識は我を超えていると正しく認識した時、阿頼耶識と呼ばずに「異熟識(いじゅくしき)」と呼ばれるといいます。

また、さらに認識が深まると(ここはまだ勉強不足です)、異熟識は「無垢識(むくしき)」と呼ばれるとあります。  (安田理深選集3巻『唯識三十頌聴記』143頁参照)

つまり法蔵=阿頼耶識で修行の段階であり、正しい認識によって時を隔てずに覚りを得ること(法蔵を阿弥陀と認識できるといっていいのでしょうか)が可能なのです。(阿頼耶識を個人的無意識 我を超えていると認識したものを集合無意識と言えるのではないでしょうか?)

曽我量深・安田理深の教学は難解で、私の理解が正しいのかおぼつかないですが、「私は私を超えてあるという事実」、それが諸行無常(すべてのものは移り変わる)であったりという悲しい事実でもあり、己の小ささの認識であったり、あるいは捉えきれない自分の・他者への尊敬、世界へのあこがれのような複雑な感情を生み出すのではないかと、現時点では考えております。

少しややこしい話になってしまったかもしれません。次はもう少し噛み砕いて記してみます。

反省、ショボーン。


https://ameblo.jp/gu-don/entry-10524430280.html  【南無阿弥陀仏と唯識】より

仏教には、唯識(ゆいしき)という学派があります。

南無阿弥陀仏が理屈を必要としない傾向があるのに対し、唯識思想では、理屈で覚りへの道筋を詰めていきます。

そもそも浄土真宗でも、七高僧と呼ばれる歴史上の念仏者の中に、インドの天親(てんじん)菩薩をあげています。

天親は、唯識の大成者であるのです。

また、浄土真宗の歴史、とりわけ近代になってから、浄土真宗の哲学を、唯識思想を援用して解釈しようとする試みが、清沢満之の弟子、曽我量深とその弟子安田理深によってなされました。

竹野山浄福寺でも、住職・小僧ともに、理屈っぽい性格をしているため、なかなか「ただ念仏」という具合にはいかず、唯識を勉強しなくっちゃと、毎晩行燈の明かりの下で、汗を流しながら、書物の頁を繰っているわけです。

竹野山浄福寺のブログ-殺人事件

唯識思想では、我々の根底に、我々の思いを超えた深層の阿頼耶識(あらやしき)というものがあると説いています。

「阿頼耶識」って、名前がいいですね。

なんだか、学問をしている気分になります。カタカナで「アーラヤ識」という表記もします。

フロイトの発見した深層意識に比べられることもよくあります。

けれども、発見された文脈が違うため、少し違うもののようです。

唯識に対し、初学者の私ですが、阿頼耶識と、親鸞が『歎異抄』で語る業縁(ごうえん)と比べると、理解が深まるのではないか、と考えています。

親鸞が、弟子の唯円に、今から人を千人殺してこいといいます。親鸞の言葉を信じているならば、できるはずだといいます。

唯円はひるんで、「そんなことは、できません」といいます。

そこで、親鸞は

「そうだろう。殺したくても、殺すという業縁がなければできないのだ」

「逆に、殺したくなくても、殺すという業縁があれば、己の意思を超えて殺してしまう事もある」

といいます。業というものは、己が今までなしてきた行為です。身と口と心でなしてきた行為です。それが積み重なって今の私がいます。

そして、縁というのは、私を形成しているもろもろの働きです。

己の肉体だったり、人間関係だったり、環境だったり、季節だったり、いろいろな働きが縁となり影響を与えて今の「私」があるのです。

業と縁の全体像は、私には見えません。これは、原理的に人間には認識しきれないものです。本当はそれに流され、振り回されて生きているにも関わらず、それが見えていず、「私」が生きていると感じております。

だから、殺したくなくても、殺してしまった時、その事実を不可解だと思ってしまうわけです。

私のせいでありながら、私を超えて殺してしまう事実に、懺悔をしながら、赦されていくのが仏教です(田辺元の『懺悔道としての哲学』は、まさにここを明らかにしています)。

思いを超えたこと(阿弥陀仏)が、業縁という理解を通して、阿頼耶識と関連付けて考えられるのではないかと、今考えております。(業縁は抑圧された個人的無意識、阿弥陀仏は集合無意識・潜象界・波動の世界と言えるのではないでしょうか?


http://www.obpen.com/eight_hundred/20160809_01.html 【草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)と天台本覚思想】 より

斉藤 征雄

 草木国土悉皆成仏という言葉がある。草木のような非情のものでも仏になれるという意味だが、草や木を人間と同じように心あるものととらえるところに、日本人独特の感性が表現されている。能の謡曲にもたびたび使われており、私の好きな言葉だ。

 もともとインドで、煩悩による曇りを払えばすべてのものが仏になる可能性を宿しているという如来蔵思想が生まれたが、そこに植物は含まれていなかった。それが中国に伝わって老荘思想の影響を受け非情のものも成仏すると考えられるようになった。そして日本でさらに発展して、草木一本一本が芽生え花や実をつけ枯れていくという姿そのものに人が悟りを開く姿を重ねたのである。自然の姿にこそ悟りの本質があるという考えである。

 平安初期、最澄は比叡山延暦寺に日本独自の天台宗を開いた。以後比叡山は日本仏教の修行、教理探求の学問の山となった。その比叡山で、平安末期から中世にかけて発展した思想を天台本覚思想と呼ぶ。

 それはインドの如来蔵思想を日本流に解釈し、衆生はすでに悟りを開いており衆生のありのままの現実界こそが悟りの現れとする思想である。つまり、この世の現実をそのまま肯定する極端な現世主義思想であった。(悟りを潜在意識と顕在意識の差を取ること・気づき、自己一致と解釈できるのかもしれません。それをありのままと表現するのではないでしょうか?逆に「現実は潜在意識と顕在意識で望んだ・引き寄せた」現れとも考えられます。)

 現世の世界が悟りの世界であれば、なにも修行などする必要はない。凡夫は凡夫のままで良いのである。その考えは当時の末法思想とも相まって安易な現状肯定を生み出し、僧兵の横暴や仏門の堕落退廃を招いたといわれる。

 比叡山に学んだ法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などがあいついで鎌倉新仏教を創設したのもこうしたことが背景にあったとされ、本覚思想は歴史的に批判されてきた。

 一方で、本覚思想は草木国土悉皆成仏という精神を生み出し、その後の日本文化に大きな影響を与えて今日に至っている。それはこの精神が、いかに日本人の感性に合っているかを示している。

 本覚思想は仏教の中では異端として衰退するが、その枠を超えたところで生きているといえる。