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「宇田川源流」 あの日から10年というこの日に震災の記憶を風化させないだけではなく自分の10年を振り返ろう

2021.03.10 22:00

「宇田川源流」 あの日から10年というこの日に震災の記憶を風化させないだけではなく自分の10年を振り返ろう


 あの日から10年たつ。もちろん、東日本大震災とそれに伴う津波での未曽有の被害である。同時にその津波の影響から福島原子力発電所が、冷却電源の喪失によって水蒸気爆発を起こし、10年たった現在も帰宅困難地域などができてしまっている。

さて、この10年間様々なことがあった。まずいえるのことは、東日本大震災の時の内閣は菅直人内閣であったということである。私はちょうどあの日、外国人から献金を得ているという疑惑のあった鉄穴と首相が国会の予算委員会で「違法献金」について追及されるということであったために、その取材にいっていたところ、地震に遭遇した。私のように、阪神大震災で直下型の大地震を経験している人にとっては「それほど大きなものではない」と思ったが、まさかあんなに津波が来て大きな事件になるとは全く想像もできなかったのである。

その後の政治の動きはあまりにも稚拙であったと思う。正直に言って、民主党政権が完全に支持を失ったのは、菅直人と枝野幸男官房長官によるこの時の震災対応があまりにもお些末であったからにほかならず、その枝野幸男氏が現在「野党第一党」を名乗り、なおかつ、政権交代を訴えても何の意味もないのではないか。

同時に、「原子力発電所」の再稼働を決めたのは、震災の翌年、大飯原発の再稼働を決めた野田佳彦内閣、つまり民主党政権である。民主党政権は「震災対応」「消費税増税」「原子力発電所再稼働」「尖閣諸島国有化(その後の中国との対応の稚拙さ)」「北方領土交渉を無視(前原外務大臣)」「沖縄辺野古基地移設決定」など、現在彼ら自身が自民党菅政権その前は安倍首相に対して「反対」していたことをすべて自分たちの手で成し遂げ、そして自己否定をしている。はっきり言って、このような人々を信用する国民が一人でもいることに驚きを禁じ得ない。

さて、10年間、様々なことがあった。震災と共に、この10年間を振り返るということはいかがであろうか。震災の記憶といえば、様々な悲しいことがよみがえるが、10年間の記憶を呼び戻す日として、考えてはいかがであろうか。

サンドウィッチマンが3.11に「オールナイトニッポン」出演!「震災から10年の月日を思いながら生放送に挑みます」

 3月11日(木)25時より、ニッポン放送では、「サンドウィッチマンのオールナイトニッポン」が放送される。

 サンドウィッチマンは、下積み時代の夢に「オールナイトニッポンのパーソナリティ」と書いていたほどのラジオファン。そんな2人が初めてオールナイトニッポンを担当したのは、東日本大震災から1週間後となる、2011年3月18日(金)のこと。地震直後から地元・宮城へ向けて発信を続けるサンドウィッチマンに、急きょのオファーとなった。

 当日の生放送では、被災地に寄り添った言葉でスタートすべきか、お笑いを届けるか直前まで悩んでいたという2人。結果、ショートコント「CD屋さん」で入るという、被災地に寄り添いながらもお笑い芸人としての覚悟も届ける一夜限りの放送となった。

 その後、サンドウィッチマンの2人は、ニッポン放送にてレギュラー番組となる「サンドウィッチマンの東北魂」をスタート。毎週、2人の素朴なトークから被災地の話題や今の状況をユーモアも交えながら伝えてきた。

 また震災から5年となる2016年3月11日には、地元の宮城・東北放送から生放送で「オールナイトニッポンGOLD」を担当するなど、節目節目でラジオを通じて自分たちの心境を届けてきた。

 今回は、震災から10年を迎える日の深夜に「オールナイトニッポン」を担当。番組では、レギュラー番組の撮影で宮城・気仙沼市でロケを行っている合間に被災した2人のその日をじっくりと振り返るほか、当日の夜にラジオから流れる情報を頼りに過ごした話を、当時の「オールナイトニッポン」などの音源を交えながらトークする予定だという。

 またゲストに、ともにチャリティ活動を行う狩野英孝が登場。出身の宮城県栗原市が震度7を記録し、実家の神社が被災した狩野から、地元のいまについても語られる。

<サンドウィッチマン コメント>

ギャラリーリンク「オールナイトニッポン」に出演するサンドウィッチマン

■伊達みきお

震災から10年の月日を思いながら生放送に挑みますが、笑いのある番組にしていきたいと思います。

■富澤たけし

当日は東北から戻ってきての深夜の生放送なので、寝ないよう頑張ります。

2021年3月4日 フジテレビュー!!編集部

https://www.fujitv-view.jp/article/post-264450/

 さて、この東日本大震災の時に強烈に記憶に残るのは、当時ワイドショーなどに出演していたサンドイッチマンのお二人である。ちょうど故郷の仙台に凱旋講演をしていた時に、震災に遭われたという、そのことを聞きつけたテレビ局が、「政府の対応」などを地震直後に聞いていたのである。今思い出せば、安全な東京のテレビ局の中でヘルメットを着けて報道していたあの時のテレビ局も、今から見れば滑稽である。そして、被災地でインタビューを受けていたサンドイッチマンのお二人は平服のまま。被災地の真っただ中にいるのに、画角を考えてインタビューさせていること自体が、今のテレビのおかしさを伝えている。

「今必要なのはそんなことじゃないんだ」

サンドウィッチマンの伊達さんか、富澤さんかどちらが言ったかわからないが、その魂の叫びがあって、テレビ業界が全て滑稽な政局報道から実地報道に変わった。やはり現地の声を大l菊伝えてくれる人の存在は重要である。お笑いを職業としている二人の切なる声は、当時も称賛され、多くの若者がその声に呼応してボランティアに行ったり、何か役に立つことを考えるようになった。今では「お笑い」の二人であるが、最近、テレビで見て、被災地の人々と話す姿は、やはり当時のまま温かい心のこもったものであったことに、なんとなく感動していた。

本当に感動することは心のこもった生の声なのである。

あえて強調して書かせていただいたが、当時「危機」「被災」の中でこそ、そのことを教えてくれた二人には、本当に感謝している。今のマスコミや政治家にはそのような心がないのではないか。視察という名の「お膳立てされたコースでの視察ショー」で満足し、また安全なところでポーズだけヘルメットをかぶった滑稽な演出で、なんとなく苦情さえ来なければよいというような同調圧力的な内容ばかり。本当はそうではなく、今もまだ故郷に帰れない人々の心や、当時の記憶、そして当時の記憶を新たにするための「未来への希望」そういうことをしっかりと考えて報道しなければならないはずなのではないか。そのこともわからない人には、何ができるのであろうか。

本当に「寄り添う」ということがどういうことなのか。それは苦労を分かち合うことではなく、自分にできる事を、相手の思いを考えてしっかりと行うことなのである。できない人に無理やりさせても仕方がないし、できることをできる範囲でする。しかし、一人では小さな一からでも、それが日本国民1億2000万人が集まれば、大きな力になる。実は、東にっほん大震災というのはそのようなことを教えてくれていたのではないかという気が吸うrのである。

では、10年たった今、それが今の日本人にできているのであろうか。忖度するということが何か悪いことのように言われ、相手のことを思いやることもできなくなった窮屈な日本が、それが、あの時被災した、または犠牲になった人々に見せられる10年後の日本なのであろうか。

我々はよく考え、自分に恥ずかしくない行動をとる必要があるのではないか。